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西武グループの堤康次郎のこと |
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西武グループの創設者である堤康次郎は同時に政治家でもあり、衆院議長まで勤めたいわゆる”やり手”の経営者だった。 土地取得に執念を見せる一方で、女にはだらしなく、見境なく妊娠させた。 生涯に4人の女性から五男二女の7人の腹違いの兄弟が生まれる。 妊娠しなかった、させなかった愛人の人数は数知れず多い。
康次郎が上京して早稲田大学に入学する前の20才の時、郷里の滋賀県の女性との間にもうけたのが長男の清。 グループ会社の近江鉄道社長に就くが、康次郎の逆鱗に触れ堤家とは“断絶”。 長女の淑子は康次郎が上京後、大学に通いながら特定郵便局長となった時、部下の女性局員との間に生まれた子で、後に西武鉄道社長となる小島正次郎に嫁いだ。 その後、康次郎は歌人の青山操と結婚、清二と邦子の一男一女をもうけた。 操との結婚を続けながら、石塚三郎元衆院議員の娘、恒子と非入籍の“事実婚”で義明、康弘、猶二の三男を生ませる。 整理すると認知した子供は、長男清(元近江鉄道社長)、長女淑子(夫小島正次郎西武鉄道社長)、操との間に、次男清二(セゾン文化財団理事長)、次女邦子(エッセイスト)、その間、石塚恒子との間に、三男義明と四男康弘(豊島園社長)、五男猶二(東京テアトル取締役、元プリンスホテル社長)。 認知していない子供の数は分からない。 堤家の後継者として義明が選ばれたのは、康次郎への絶対服従を貫く義明氏の気質が気に入っていたからだと言う。 康次郎は1889年(明治22)、滋賀県愛知郡八木荘村(現秦荘町)の農家の長男として生まれるが、幼くして父を亡くし、母親とも生き別れた。 21才で上京、早稲田大学政治学科に入学した。 在学中から100人もの人を使い、鉄工場を経営し、株も手がけていた。 29歳の時、軽井沢千ケ滝の開発に乗り出し、箱根の開発を行い、近江鉄道、西武鉄道などの鉄道事集へも進出すると言う、経営人としての才能は秀でたものがあった。 1924年、36歳で衆議院議員となり、以後13回当選した。 政治家になったのは土地に関する情報が入りやすく、安値で叩き買い、高値で売却するという金儲けが目的で、その他の事柄には何の興味も示さなかった。 康次郎に関しては経営者としての手腕より、女狂いに興味がわく。 昔から「臍(へそ)した三寸に人格はない」と言われ、自民党の政治家や財界人の多くが女を囲っているが、金がかかるので複数の女を囲う事は事実上困難だ。 康次郎のように気ままにSEXを楽しんだ政治家、経営者はめずらしい。 昔の話だが、総会屋が企業の社長の女を探すのが一つの仕事で、見つけるのはさほど難しくなく、見つけるとそれをネタに社長を強請る。 ほとんどの場合、女の手当ては会社の接待費から支払われているので、株主総会などで公になる事は命取りだ。 小物でも500万円、大物なら2000万円にはなる、と言っていた。 康次郎も当然会社の金を好きなように女に使っていたのだろう。 だから、株の公開はしたくなかった。 いまその教えを忠実に守った息子は留置場に居る。 おしまい |
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