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新井将敬(朝鮮名 朴景在)自民党代議士の自殺(1998年2月19日)という異常事態の中で、疑惑が新井一個人の犯罪に限定された捜査で終わるなら、東京地検特捜部はこれまでも度重なる政治家、高級官僚の不正は見逃してきたのと同様に、またしても寸止め捜査の悪弊に堕ちいり、巨悪の温存をもたらす事になる
新井事件とは接待漬けとなって行政の公正を歪め、そうした不公正行政から底知れぬ政官癒着を深めた大蔵疑獄の中に位置づけるべきもので、その徹底的な解明なくしては巨悪を温存させる事になる。 新井も、民間業者から数千万円の資金援助を受けていた中島義雄 元大蔵省主計局次長も、そしてマスコミから目に余る接待を指摘されている長野あつし 証券局長もそれぞれ大蔵省キャリア官僚として同根の間柄であるだけでなく、疑惑の渦中にある。 新井がパシフィックホテル23階2338号室で首吊り自殺し、検査官汚職で2人のノン キャリア検査官が逮捕されている現実は、その裏側で、大蔵省中枢を支配するキャリア官僚にとって、疑惑の防波堤の役割を担わされている図式だ。 疑惑が発覚すると、まずノン キャリアを楯に、次は政治家の首を差し出すというリクルート事件でも、佐川急便事件でも見られた光景の再現は、つまりは、キャリア官僚、その奥につながる実力悪徳政治家たちが巨悪の本丸を守ろうとする権力の横暴を許すことでしかない。 新井の自殺を好機として、そうした闇の疑惑それ自体を封印する動きこそ許されない。 仮に新井の死に“口封じ”の狙いがあるとすれば、自殺ではなく、謀殺説も故なしとは言えない。 「殺された」とする方が自然だ。 それがそのまままかり通るなら、特捜部もまた巨悪の温存に手を貸していると言う事だ。 大蔵省接待疑惑の本質が金融界とキャリア官僚による構造汚職の構図にあるとすれば、新井事件はそうした官民の癒着行政に政治家がどうかかわってきたかを解明するうえで重要な捜査になるはずだった。 しかし、新井の自殺によって捜査が中断され、疑惑が封印されてしまうとすれば、そのことはむしろ新井の死を絶好の口実として、大蔵省=国税庁と検察、自民党の中枢政治家が互いの腐敗に目をつぶり合う悪の同盟が構築されていることを意味するものだ。 東京地検特捜部はリクルート事件以来、東京佐川急便事件、旧2信組事件、金融スキャンダルのそもそもの発端となった、橋本龍太郎首相の富士銀行不正融資疑惑、さらに泉井疑惑と、いずれも自民党中枢の政治家が捜査線上に浮かんでいるにもかかわらず、捜査を中途で終わらせてきた。 加藤紘一自民党幹事長に対する共和1000万円闇献金疑惑では、東京地検は当時の新進党から出されていた加藤に対する脱税容疑の告発に対し、地検自身の捜査でも現実に加藤に1000万円が渡ったと認めながら、「政治活動に使ったと思われ、所得税法違反に問えない」という不可解な理由で不起訴とした。 政治資金として受け取っていたなら政治資金収支報告書に報告義務があり、そうでなければ個人所得だ。 個人所得でも政治活動に使えば脱税に問わないとすれば、今後、政治家は政治活動を脱税の口実にしていいというお墨付きを与えたに等しい。 加藤の不起訴処分は政治権力に対する卑屈な姿勢だったのであり、正義の検察が死んだ日と記録すべきものなのだ。 山崎拓・自民党政調会長の泉井巨額献金疑惑も同様の捜査経緯を辿った。 山崎が闇献金の存在を認め、脱税容疑や政治資金規正法違反の疑いが濃厚になっているのに、特捜部も国税庁も追及を放棄している。 新井事件が表面化した背景には、水面下で、新井の疑惑を国会でクローズアップさせることで、山崎疑惑の再燃を防ぎたい自民党執行部の政治的思惑があった。 それに対して、自民党の反執行部派からは、新井の逮捕直前の死をきっかけに、次は山崎や加藤の闇献金疑惑を、改めてクローズアップさせようとする動きが始まっている。 政治家の重大疑惑がいとも簡単に政治の駆け引き材料に利用されるのも、双方の疑惑ともに東京地検特捜部の捜査が中途半端に終結し、これ以上発展しないことがはっきりしているからにほかならない。 新井の死を待つまでもなく、東京地検、国税庁が最初から有力政治家には手をつけない、という姿勢はこれまで一貫しているではないか。 特捜部の大蔵官僚捜査も、長野あつし 証券局長をはじめ宴席官僚たちの名前が次々に浮かんではいるものの、決して大蔵省中枢に届かないところで足踏みし、捜査対象をいたずらに拡散させているばかりだ。 新井は2月18日午後、東京地検特捜部の事情聴取を終え、記者会見に臨み、日興証券首脳との会話テープを示しながら“潔白”を強調した。 その後、新井はアメリカの有力紙の取材を受けた。 「自分はもう政治家としてはやっていけない。 しかし、別の道で頑張りたい」 新井は記者にそう胸中を語った。 恐らく、それが新井の家族以外に遺した最後の言葉だった。 新井は最後まで誰にも死を予感させる素振りを見せていなかったという。 中川一郎は83年当時、自民党ニューリーダーとして絶頂期にあった。 科学技術庁長官だった同年1月9日、突然、札幌市内のホテルで自殺した。 その後、中川の自殺に対しては異説、異聞が跡を絶たなかった。 この世界では邪魔者は消せ、と言う事がごく自然に、当たり前のこととして通用しているのではないか。 そして警察、検察も同じ穴のむじなである。 余禄 新井が自殺した5日後に同じパシフィックに宿泊したのですが、彼が自殺した部屋に宿泊したいとの希望は叶えられず、すぐ下の部屋に一週間宿泊した。 23階は全ての部屋が閉鎖され、廊下も照明が落とされて薄暗くしてあった。 同じタイプの部屋にあったのは自殺するには全く適さない換気口で、あんな狭い通気口にどうやって帯を入れたのか、やってみたが何か道具がないと不可能だと思った。 縦と横に金属らしい格子がはめてあり、数本をまたぐように帯を入れるためには、最初に針金様なものを入れないと出来ない。 どうにも自殺と言うには不自然さがある。 彼が化けて出てこないかと連日楽しみにしてたが、ついに出てこなかった。 彼から本当の話が聞きたかったのだが。 残念。 おしまい |
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