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「三宝会」は竹下元首相の指示で1996年につくられた秘密組織で、新聞、テレビ、週刊誌、政治家、官僚、評論家が集まり、自民党にとって最大の脅威である小沢一郎氏をメディアの力で抹殺する作戦が行われている。 現在も存在し強力な指導力は健在だが、日本の裏社会を操作するこの会の内容は黒いベールに包まれている。 その中心的存在は自民党である事は言うまでもない。
激動する現代社会では、多角的で、迅速な情報の伝達が必須要件とされております。 これらの情報は、複雑多岐にわたるマスメディアの発達によって、政治、文化、経済など、社会のあらゆる分野から、絶え間なく生み出されてきています。 こうした情報を逸早く正確にキャッチし、吸収、消化して、行動の指針とするためには、それぞれの分野における人々が己の属する世界のみに閉じこもり、それにとらわれることなく、よりオープンに、立場を異にする各分野の仲間たちと円滑な人間関係を築き上げていくことが求められます。 そうすることによってはじめて、微視的ではない巨視的な判断と、公正で、客観的なものの考え方が得られるようになるのです。 この目的を果たすために、このたび親しい者同志が相語らって、新聞、テレビ、雑誌など、マスコミの第一線で活躍しているジャーナリストを中心に、政、財界の関係者らが定期的に集まり、情報交換を行ない、相互研鑽に励み、個々の資質の練磨と向上をはかるべく、新しく一つの会を設立することに致しました。 “永田町のフィクサー” 福本邦雄がまとめた三宝会・会員名簿
要は、年1、2回集まりマスコミを政・財界側にとり込もうというもの。 企業側の思惑は、当然ともとれるが、マスコミ会員は、どのような判断でここに参加したのか、ジャーナリストとしてこれを問われることになるのでは。
(「三宝会」趣旨書からここまではは「論壇」からのコピーです) 小沢一郎幹事長は田中角栄にかわいがられた政治家であることはよく知られている。 田中角栄は小沢に亡くした長男を見ていたのだと言う。 しかし、それを快く思わなかった者は少なくない。 その中の代表格の一人が竹下登だ。 村山首相が政権を投げ出し、橋本龍太郎氏が後継首相になると、竹下は「三宝会」という組織を結成する。 三宝会の本当の目的は、小沢を潰すことだった。 もっと正確にいうと、自分たちの利権構造を壊そうとする者は、小沢に限らず、誰でもそのターゲットにされるのだ。 なぜ、小沢を潰さなくてはならないのか、それは小沢が竹下の意に反して政治改革を進め、自民党の利権構造を本気で潰そうとしていることにあった。 この三宝会について平野貞夫氏は、その表向きの設立の目的を次のように書いています。 (三宝会の)設立の目的は「情報を早く正確にキャッチして、行動の指針とするため、立場を異にする各 分野の仲間たちと円滑な人間関係を築き上げていく」というものだった。 メンバーは最高顧問に竹下、政界からは竹下の息がかかった政治家、財界からは関本忠弘NEC会長ら6人、世話人10人の中で5人が大手マスコミ幹部、個人会員の中には現・前の内閣情報調査室長が参加した。 要するに新聞、テレビ、雑誌などで活躍しているジャーナリストを中心に、政治改革や行政改革に反対する政・官・財の関係者が、定期的に情報交換する談合組織だ。 平野貞夫著 『わが友・小沢一郎』/幻冬舎刊 この三宝会によって、小沢は長年にわたってことあるごとに翻弄され、しだいに悪玉のイメージが固定してしまう。 「剛腕」、「傲慢」、「コワモテ」、「わがまま」、「生意気」など、政治家としてマイナスのイメージは、三宝会によって作られたものなのだ。 記事 http://electronic-journal.seesaa.net/archives/20100218-1.htmlからのコピーです。 参考ブログ Aobadai Life おしまい 2010/5/20 |
糾弾の趣旨と提言 気ままコラム |
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追記![]() 「永田町のフィクサー」福本邦雄氏死去 zakzak 2010.11.02 故竹下登元首相の政治団体代表を務めるなど、「永田町のフィクサー」として知られた、画廊フジ・インターナショナル・アート会長の福本邦雄氏が1日午前、敗血症のため東京都港区の病院で死去した。83歳だった。 福本氏は1927年、戦前の日本共産党幹部、福本和夫氏の長男として生まれた。東京大学経済学部を卒業後、51年に産経新聞社に入社。その後、自民党の有力者、椎名悦三郎元外相の秘書などを務め、政財官界に人脈を築いた。 絵画ビジネスを手がける一方、89年には旧KBS京都(京都放送)社長に就任。90年代後半、竹下氏を最高顧問に据え、政治家や官僚、財界人、新聞記者などが集まる勉強会「三宝会」を主催したが、永田町では「同会は、存在感を強めていた小沢一郎氏と距離があった。政・財・官の深部を結ぶ秘密組織では」(事情通)などと囁かれた。 葬儀・告別式は3日正午から、港区高輪の高野山東京別院で。喪主は妻智子(ともこ)さん。 |
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