私立高等学校における校則と退学処分に関する考察
高等学校を中途退学する生徒が増えており、私学においては、入学者の1割を越えております。 理由はいろいろとあるでしょうが、やむを得ぬ事情がある場合、本当に生徒の自主的な進路の変更の意思に基づくものについては口をはさむ問題ではありませんが、多くはそれ以外のケースであると思います。 

そしてその大半は、校則違反を理由に学校から退学をせまられた結果の事と思います。 このたび私の子供も、同様の理由で退学をせざるを得なくなりました。 もちろん子供にも非のあることは明白でありますが、学校が判断された処分の内容には納得出来ません。 また同様のことで憤慨されている父兄は、身の周りを含めて沢山おられます。 

私の子供もそうですが、最近の青少年の無思想、無気力、社会的なルール無視は目に余るものがあり、我が国の将来を憂いている一人です。 またその様な子供達を教育しなければならない学校も大変苦労が多いことと思います。 子供達がこのような状態に陥ったのは、いわゆる先進国では共通の問題であるとおもいます。 

余りにも豊かになった生活と、信じられないような多数の情報が子供でも容易に手に入る現実、その中には、大人社会の醜い面、勝手な面も多数含まれていて、我々が子供の折、されていたような家庭での躾、親の注意が、今の頭デッカチの子供には、殆ど通用しない現実に直面しております。 また単純に子供ばかりを非難しておりますが、私達自身が、その昔に同様の環境におかれた場合、まっとうな成長が出来たでしょうか。 

青少年の問題は大変大きなことで、放置できない事ですが、我々自身が、我々自身が作ってきた社会の現実をしっかり認識して、その上で、我々自身に存在する問題と合わせて解決するようにしなければ成功することは出来ないと思っております。 私の少ない経験から言いましても、子供に限らず、社会人となっております若者でも同じですが、無思想、無目的な当人に強圧的指導・将来の為を想定した指導はなかなか通用しません。 

最終的にはこれを受け入れられる様にしなければならないのですが、単純に昔のような指導が当てはめられない事は、我々自身が認識しておかないと先行きしません。 

前置きが長くなりましたが本題にもどります。 義務教育の段階では、もちろん、停学・退学等の問題は発生しませんが、子供達が高校に入学したとたんに、私学の場合は特に前記の処分と向き合うことになります。 そして処罰の前提に校則があります、各学校は、それぞれに校則を設けてそれに違反するものを処罰してきます。 校則の内容は、大体において、その学校の教育的環境を維持する為のしつけ的な規範です。 

自由奔放な多くの生徒を管理する為、また社会人としてのマナーを身に付けさせる為に強権を持って対処されるのは、この時期必要と思います。 民主主義を採用している国においては、法律的根拠なく人を処罰する(人権を侵害する)事は禁じられておりますが、学校においては、教育目的達成のためには、学校の判断による処罰が認められております。 

確かに、違反をした生徒への通常の停学処分にいちいち裁判所の判断を願うなどは愚かなことで、学校の判断に任せることに依存はありません。 また学校によっては、躾の面で特に厳しくされることも、またそれを特徴として運営される学校もあってよいことと思います。 私が申しあげたいのは、退学処分が容易に、多数行われている現状についてであります。 その理由は次のようなものが大半です。 

喫煙・オートバイに乗った・髪を染めている・暴力行為(生徒同士の喧嘩の範囲)・教師の指導に従わない・無断で休む・成績が悪く進級の見込みが無い・授業の邪魔をする(程度が問題)等々。 これらの事は指導しなければならない事項とは思いますが、退学にせずとも、停学処分で十分対応できる事と思います。 

何故ならば、現在我が国においては、こうして退学処分を受けた生徒が同条件での高校へ復帰する事は非常に難しく、現実的には、8割以上は、定時制か通信制の学校へかわるか、勉学を断念している。 また通信制の学校へかわっても、卒業まで続けられない生徒が多くいます。 

生徒に非があるにしても、冒頭で申しました様に、心身ともに未成熟な者に対し、教育を受ける権利、また当人に意識はなかったにせよ、無事高校を卒業することで得られた、、幸せを追求する権利を、より大きな立場で考えられる学校は、相当の努力を持って守ってやらねばならない事と思います。 しかし退学処分が1年生に一番多く発生している事実をみても、学校側の実際の判断は、法的に許された、教育目的のやむを得ない判断であるとは到底思えません。 

公的機関から認可され、また少なくとも、経済的にも公的な補助を受けていながら、教育者(高校)が、その教育の現場で、教師達に都合の良いように、やりやすい様にまた自分の学校の範囲で処罰の裁量権を解釈しているものと思います。 ついこの前まで、義務教育のもとでそだち、自由奔放でわがままな生徒ではありますが、入学早々から、ふるいにかけて排除しようとする学校の姿勢には、学校及び教師自身に教育者としての理念の多大なる欠如を痛感します。 

現在のわが国の青少年の問題が意識出来るなら、更生が可能な多くの生徒を何とかしてやろうと言った気持ちは起きないのでしょうか。 そのための手段として、停学も留年も用意されているはずです。 3年で出来ないなら、4年5年かけて卒業出来るように見守り、指導するのが教育者ではありませんか。 

私は自身の事例をもって、このような問題に直面し、納得の行かないところを正す為に行動しましたが、この問題について真剣に対処してくれる場所は現在ありません。 教育委員会は私学の問題としてさけます。 弁護士は私学の教育上許された裁量権の範囲である場合が多いと言います。 人権擁護委員会も学校の事となると慎重になってしまいます。 

調べましたところ、国会での政府自身の答弁が概ね次のようになっております。 「学校は、教育目的達成のために必要であるならば、法律の具体的根拠に基づかなくても一定の規律を定め、それによって、憲法上の自由や人権も含めて、学生・生徒・児童の権利を制限できる。

後で述べますが、これは文部科学省が所轄する、学校教育法施行規則十三条三項にある、退学処分の規定と同じ問題を含んだままで、前記の関連機関の無関心の原因となっていると思います。 

次に現実に行われております退学処分がどのような根拠によっているか検討します。 まず学校教育法施行規則十三条三項を記します。 

1 性行不良で改善の見込みが無いと認められる者
2 学力劣等で成業の見込みが無いと認められる者
3 正当な理由なく出席常で無い者
4 学校の秩序を乱し、その他学生又は生徒としての本分に反した者
以上の場合は退学処分に出来るとかいてあります。 

一見して解ります様に、これでは、現在私学で行われております退学処分は全て問題なくなります。 この法律の目的は、退学処分については生徒が心身ともに未熟な年齢であることを考慮して、最大限、慎重におこなわれるために制定されたものですが、その条文自体が抽象的すぎてなんら規制の役に立っていないことです。 

まず1の性行不良とありますが、その度合いについて具体的に言っていない為に、単に数回の喫煙程度・髪を染めた程度でも退学になってしまう。 2についても、信じられないことですが、実際に学年末に成績の悪い生徒に退学を勧めている事例があります。 

1の場合も含めて、現在出来ない生徒でも、人生にとって大切な時期を過ごしている生徒の可能性を信じて、何故、1年や2年待ってやり、更正のチャンスを与えることが出来ないでしょうか。 3も同じ意味で退学処分の理由にはならないと思います。 4も同じように学校の秩序をみだす程度の判断の基準は教師にあり、その教師の判断自体が問題である場合が多い。 

このように、現在の条文では学校の裁量権を規制するにいたらず、学校と教師による勝手な退学処分が横行し、いわれの無い被害者が毎年、数多く、発生しております。 行政は私学における退学処分の実情をについて、それが憲法に鑑み、適正に行われているとするのか。 青少年の育成の問題から鑑み、このまま学校にまかせたほうが良いのか、しっかりと把握すべきです。 現状の私学の行為が違法であるならば、我が国の中に、公然と無法地帯が存在していることになります。 

行政は法律の文章や理屈のキャッチボールの前に、たくさんの退学者(名目は自主退学となっている)の実情をきちんと調べるべきであります。 自分の目・耳で判断しなければ、本当の事は把握できません。 

前述の学校教育法十三条三項の解釈をどのようにすべきかについては、早くから、この問題を啓発されている、教育関係者や弁護士が次ぎの様に述べておられます。 (要約)

イ 退学に値するような教育上の必要があること、又その生徒を退学させることにより予期できる教育的効果と生徒が蒙る権利侵害の程度を比較考慮することが要請される。 

ロ 単に指導にしたがわず、改善の見込みが無いと言うだけでは不十分で、生徒にとってもはや在学する必要のないとみとめられることの確認が必要である。 又その判断をする場合、生徒が心身ともに未熟な年齢にあることも考え慎重にしなければならない。 

ハ 生徒が学校の教育活動を現実に妨害し、あるいは他の生徒の安全や学習権を侵害している為に正常な教育的環境を維持でき、ないという、真にやむを得ない場合でなければならない。 

ニ 退学処分の裁量権は学校の教育目的を達成する為に付与されたものであり、その行使が教育的目的から逸脱し、不正な動機、に基づいて裁量を行うことは出来ない。 例えば、日ごろから問題行動が多くて、学校からにらまれている生徒、特に教師に対して反抗的な生徒等の場合、とかく処罰が、感情的、報復的又はみせしめとして行われがちであり、処分の教育上の意義は期待されない。 処分の理由に学校の対面とか経営上の事情等本来考慮すべきでない理由によってはならない。 

へ その行為に対して過重な処分は不当である。 たとえば単なる数回の喫煙行為があったとしても、それゆえに退学処分となる程の重大な違反行為にあたるとは考えられない。 

ト 単に停学処分が何回とか言った、機械的理由により退学処分は出来ない。 

チ 退学処分の決定については、その重大性を考え下記の手続きを踏むことが必要である。 常々、どのような行為にたいして退学となるかの予見性をあたえておく事。 生徒の行った違反事実を明確に通知すること。 生徒・親・関係者から十分事情を聴衆すること。 学校のもつ資料への要求に応ずること。 生徒・親に弁明の機会を保障すること。 大多数の教職員が出席する職員会議が開かれ、その審理の中で前項の手続きが反映されていること。 

以上の様に、学校教育法で定められている退学の基準は、その表現が抽象的であるために、実行にさいして、いろいろな問題を含んでいることがわかります。 また実際の退学が自主退学とされております事は、別の重大な問題を含んでいますが、ここでは省略します。 

前にも申しましたとおり、「私学の教育の自由」の看板の前に、相談すべき各行政の機関は積極的に取り組んではくれません。 

この問題は、私学の裁量権を何処まで認めるかの内容を含んでおります。 法律の内容に踏み込まねば解決出来ません。 このまま放置していては、何時までもこの状態が続くと思います。 私達は、この問題を我が国の青少年の問題のひとつとして取上げ(高校生の教育環境の整備)、市民の立場から運動を起こさねばならないと思っております。 

最後に別の話しを紹介します。 これは公立高校での話しです。 
ある少年グループが、近くの遊園地の施設で窃盗行為を働き、警察に逮捕されました、新聞にも掲載されました。 その中に公立高校の学生がいて、本人は当然退学処分を覚悟して、自身も通学することを恥じ、学校を辞めると言い出しました。 しかしその学校の先生は、とにかく学校を卒業させてやろうと本人を説得し、停学の処分はあったものの復学をさせ、見事に卒業をさせました。 もとより両親にとっては寝耳に水、本人も元々根っからの不良であった訳ではなく。 結果として感謝、感激しておられます。 

こんな話もあるのです。 教育とは何か、かたちばかりに囚われて、しっかり事実や本人を見ようとしない、教育関係者は、猛反省をしていただきたいものです。 

御長読、誠に有難うございました。 

投稿者:天橋立の愚痴人間
日付: 2006年8月

おしまい

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