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さて本欄の「政治と官僚」というテーマは日本では「国家腐敗の構造」という言葉で表現されると思いますが、それが日本の東大を頂点とする教育とは呼べない「利権者選別教育」であり、「点数難関主義教育」にあることを問題提起し、その改革がこの国を正す一つの方法論であることをめげずに主張して行きたいと思います。
このことを実感したのは、10年ほど前でしょうか。まだ介護保険制度は始まっていませんでしたが、年金破綻、医療保険破綻の危機が意識され、「少子高齢化」問題が深刻な姿を現したとき、当時の厚生省事務次官が老人福祉施設の理事長と癒着して高級マンションや自動車をおねだりして逮捕されました。この国の崩壊の兆しを前にして、この行政当事者の姿ほど浅ましいものはありませんでした。傲岸不遜に振舞うこの国の官僚がどういうものかを示してくれました。この光岡事務次官は2年浪人して東大法学部を卒業した者ですが、旧大蔵省や旧内務省の次官は東大法学部卒以外はなれない掟があり、いくら優秀だとしても早稲田などの私立は勿論、京大などの旧帝大系国立大キャリアでもなれません。東大経済だって危ないのです。作家の堺屋太一さんは通産省を中途で辞めましたが、本人じゃないと分かりませんが、彼は東大経済で次官の目がなかったからも辞めた理由の一つかも知れません。光岡の厚生省は旧内務省なのです。 日本の教育は育んだ官僚達により一度、この国は破滅しました。そして戦後に生きながらえた同じ官僚達が作った自民党とその下で暗躍する現役官僚達により、再びこの国は破綻の淵に立っています。社会保障制度や財政破綻だけではありません。高度成長を支えた地場の製造業、そして日本の農業や医療すら、崩壊の危機にあります。自民党政府に依存して利益を得てきた企業や地方の自営業者は、決して過半数ではなかったけれど常に自民党が第一党になる投票を続け、自らの利権を守ってきたのです。これを最近やけに喧伝される「官民協力体制」にちなみ「官学財民腐敗の共同体」と呼ぶことにしましょう。この構造を支えた病巣こそ東大を頂点とする「点数利権主義的選抜教育」であると考えたわけです。 私の次の見出しは「ああ玉杯に花受けて、栄華の巷低くみて、天上天下唯我独尊」ということで、東大で教育した者、卒業した官僚の業績評価を試みようと考えていましたところ、出張先の本屋で立ち読みしていましたら、新潮文庫の「東大法学部」という本が目の前に現れました。著者は一高寮歌「ああ玉杯に」の作詞者をお祖父さんにもつ水木さんという方で、結論的には私と同じく東大法学部批判なのですが、一高寮長のお祖父さんのぬくもりを感じさせる「東大法学部への挽歌」という印象も持つ本でした。東大の成り立ちについて、私の理解と少しずれますが、資料として参考になりました。 「ああ玉杯に花受けて」は「天皇から国家隆盛の運営を嘱望されて」、「栄華の巷低く見て」は「世俗の栄耀栄華などには興味なく」というのが正確な意味だと思いますが、「天皇国家から権限を与えられ、社会や人民を見下して」と解釈すると次の「天上天下唯我独尊」という言葉に続き、明治期以降、この国を壟断してきた一高東大官僚の姿になり、それが今日まで続いているこの国の可及的速やかに切除が必要な病根像になると私は考えていました。 「尊大な教育を受けた生徒は、尊大に振舞うことを覚える」の仮説に基づき、まず教師側として東大草創期の外人教師、それから東大教授としては日清戦争の火種になった竹添進一郎、辛亥革命の孫文の革命資金を猫ババしたといわれる中村弥六、被害者か加害者かは分からない卒業生の外交官小村寿太郎、牧野伸顕、東大卒首相の加藤高明、城山三郎さんの「男子の本懐」の浜口雄幸や井上準之助などについて、次の機会に検証したいと思います。 |
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主張者: 天の橋立の愚痴人間
日付: 2007/09/01 主張: |
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