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[1346] 小さな政府論・大きな政府論
日時: 2012/03/30 22:27
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:s.kDmLvY

野党各党 政府・民主党を批判
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120330/k10014098961000.html

谷垣も渡辺も、消費税増税反対の機運に乗じて「中央集権の大きな政府対地域主権の小さな政府という対立軸をはっきりさせていく」と言っている。

曰く「大きな政府として行うサービスを小さな財政で賄えるとしている民主党のマニフェストにけじめをつけていないことに原因がある」と言う方で、

民主党も小さな政府を目指しながら、社会保障の財源と称して、大きな政府を維持しようと消費税増税に走っていると言う矛盾を批難している。

そうなら、何故、はっきりと、社会保障はする必要はないから、消費税値上げに反対するといわない。

小さな政府、大きな政府とは、下記のごときものである。

(小さな政府)

政府の市場への介入を最小限にし、個人の自己責任を重視し、国家による経済政策・社会政策を最小限にする考え。
要するに、民間で出来ることは民間に任せ、規制がなければ、個人や企業が思う存分力を発揮できるため、良いサービスが提供され、全体としても経済が活性化する。
所謂、アメリカを中心に展開している新自由主義経済というもので、小泉、竹中が目指したものである。

小さな政府を徹底した体制は夜警国家あるいは最小国家ともいう。基本的に、より少ない歳出と低い課税、低福祉-低負担-自己責任を志向する。

小さな政府を志向するならば、子供手当てなど必要はない、老人医療なども個人の責任で解決させればよい(アメリカのように)。
高校教育の無料化なども必要ない。
年金制度も国家の負担の必要はない。

そうすれば、消費税など上げなくても40兆円の税収で賄える。


これに対して「大きな政府」とは

政府・行政の規模・権限を拡大しようとする思想または政策である。主に広義の社会主義(社会改良主義・社会民主主義・民主社会主義・スウェーデンモデル・日本型社会主義・集産主義)に立している。
そう、戦後、日本が歩んできた道である。

高福祉、高負担、社会的義務などを元に、歳出の策定や高負担税率はもちろん、巨大事業の国営化、企業活動に対する規制強化なども含まれる。公共事業インフラ投資強化(失業者の救済、地方経済の救済という側面も持つ)といった施策もとる。

如何でしょうか。

経済のグローバル化の影響で、国内の隅々まで疲弊した我が国の進むべき方向、進みたい方向は、「小さな政府」か「大きな政府」。

この判断において、官僚や権力者たちは、我が国の巨額の財政赤字を理由に「小さな政府」を志向し、国民に対していかにも「小さな政府」が理想のように誤魔化している。

少子高齢化の煽りもあり、破綻に瀕している我が国の社会保障制度を全て破棄しても1000兆円の財政赤字を無くすことはできない。
否、少子高齢化、及び景気が慢性的な低迷をしている時期に、財政の健全化の為に全ての福祉を切り捨てる愚は、何の為か、誰の為か。

財政健全化の話しは別の問題であり、国家の方向性を誤ることは許されない。
自民党も民主党も「大きな政府」を維持する為に、福祉国家を維持する為に消費税増税がぜひとも必要だと何故、言えない。

最もね、我が国では官僚組織による税の無駄使いの問題がある。
単なる事業の内容の事でなく、我が国の国の直接投資は無駄、中間搾取が多すぎて、90兆円(特別会計を含めると230兆円)と言われている資金が、有効に機能していない。
これを1割糾すだけでも20兆円を超える金が生きてくる。

それなのに、どうして、ここで「小さな政府」論が顔を出す。
そのような曖昧さ、誤魔化し、無責任さが、政治を覆っているので、国民が納得する施策が出てこないのである。
行政改革もできないのである。

野田ブタにも吐き気がするが、谷垣も渡辺も国民を馬鹿にするではない。

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Re: 小さな政府論・大きな政府論 ( No.5 )
日時: 2020/09/07 18:26
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:PVhIwDzI

世界中のどの国も、100年、200年前から見ると、見違えるほどの福祉国家となっている。

これは民主主義思想が行き届いたためであり、民衆の生活を守ることが国家の使命となってきたからである。
それ以前は、国家とは外敵から国家を守ることであり、他国を侵略して富を得ることであった。

武力による侵略の勢いがなくなり、代わりに国内の民衆の生活の向上が国家の使命と変わってきている。
民主主義の思想が、その様にしてきたのである。

しかしながら、福祉国家を充実させるには、国家の財源が豊かでなくてはならない。
国民の教育、医療制度の充実に過程では、税収を上げることによって、それなりに賄えてきた。
勿論、それ以前に、交通網、エネルギーの供給など社会のインフラ整備も行われてきた。

しかしながら、最近の50年の歴史は、それに加えて年金、失業者対策、老人介護が充実し、税収を財源とする方策では、とても足りなくなった。

100〜200年前の国家の歳出は、せいぜい、行政の事務費、国防費、道作り程度であり税収で賄う事が出来ていた。

現代社会で、消費税の問題が取りざたされているが、10%の消費税を含めても対GDPで見れば12〜13%くらいのもので金額で言えば60兆円あまり。

行政の事務費、国防費、道作り程度であれば税種で十分に事足りる。
しかしながら、年金、医療制度、老人介護、生活保護などの施策には手が回らない

そこで実際には税金ではないが、医療保険料、年金の積み立て、介護保険など別の名目で国民は積み立てている。
税金と、この分を含めて、国民負担率と言う。

我が国の国民負担率は 合計で44.6%
内訳が税金として26.5% その他の名目で18.1%である。

金額で言えば、日本の福祉体制維持を含む財源は、年間100兆円の金が必要であるということである。

しかし、これも正解ではない。
国民負担率を増やさないために、政府は年間30〜40兆円の赤字国債を発行し続けている。

要するに現状の国家の施策を維持するためには、年間130〜140兆円の税源が必要なのである。

国民負担率の問題について他国と比較すれば次の様になる。

スエーデン 59.0%(税 53.8 その他 5.2)
ドイツ   54.0%(税 31.5 その他 22.6)
アメリカ  34.6%(税26.1 その他8.5)
ヨーロッパでは、60〜70%の国も相当ある。

税負担が多いのは消費税が20%などと高いため。
一方でアメリカは、医療、年金、老人介護にはほとんど関心がないことが判る。

江戸時代の年貢は四公六民と言われ、農民に限るが収入の40%は税金を取られていた。
この時代の年貢は、国家維持の為以外に大名など貴族や武士の生活費に充てられ、年貢の多寡と幕府の施策とは関係が薄いが、農民の生活に占める税の割合は現代の日本に近いもの。
但し、苦しいが、その負担は自らに返ってくるものであることは大いに異なる。


さて、ここから本題に戻るが、最近の政府は、巨額の財政不足分を補うために、国家としての事業を廃棄し、その分の歳出だけを縮小して済ませようとしている。

>中曽根内閣では国鉄を民営化し、国鉄の赤字を国税で補填することを避けた。

民営化により地方の多くの支線は廃棄になったが、生活に必要な支線は地方行政の支援により多額の赤字を出しながら続けている。


>郵政民営化

その理由は、巨額の郵便貯金の運用を財政投融資の資金として全て特別会計で運用してきたが、融資先(道路公団・都市整備公団など)の事情が需要が減って来たため、その運用が困難になり、郵便貯金など300兆円あまりの運用先を民間、アメリカのヘッジファンドなどに向かわせるためであった。
同じころから全国各地の金融機関は店舗の合理化を進め、過疎地域では年金を受け取ることもままならなくなった。
幸いに地方の郵便局は合理化されずに頑張っているために、郵便局だけ過疎地でも存在している

>水道の民営化

これなど、明治以来敷設してきた水道本管の老朽化が進み、その改修に各地の行政は困窮している。
これを民営化して企業に任せれば、企業の責任で水道料金を上げて、これに対応するものと見た卑劣な施策である。

>年金機構の民営化

社会保険庁の記載漏れなどで騒がれた結果、社会保険庁を厚生労働省から切り離し年金機構にしたが、実際の問題解決はしてないまま。
国(厚生労働省)の責任逃れである。
将来は年金給付率を下げるなどの対策をする場合、民間の事業として止むをえない様に理由をつけたいためである。

このように、いろいろな手段を講じて国の事業としての責任を軽減し、福祉の切り捨てを企むものである。

この他に「地方分権」と言う言葉が良く出てくる。
景気対策など、国家の運営が行き詰まると、地方に権限を任せてはどうかと言うものであるが、

東京、大阪など、もともと財力のある行政は別として、全国の殆どの行政自体が財源に窮している。
地方分権に伴い税源も移譲すると言っているが、もともと国家がやれなかったことを、少しくらい財源を与えられてもできるはずがない。
地方で出来ないから国家が解決すると言うのが筋道であり、
国家には通貨管理の権力があり、赤字国債を幾ら出しても問題は出ないと言う利点がある。
地方行政が地方債を出すのとは訳が違う。

地方分権により多くの地方が生き返る環境であれば地方分権も良いであろうが、実際には、その真逆であり

要するに、国家は自分の使命を投げ出し地方に責任を転嫁するのが地方分権の正体である。

このような考え方を称賛する卑劣な議員が多い。

地方の再生、国家の再生、福祉国家の向上について、もっと異なった観点からの思索を求めるものであり、それは存在するのである。

これだけ発展した市場主義経済の結果をもって、今さらに、100〜200年も前の社会環境に戻らねばならないことはないのである。

国会議員も官僚も、どのようにすれば大きな政府が維持できるか、真剣で考えるべきであるのに、今や自分たちの責任回避にのみ廻っているのである。


(追伸)

今回のコロナ騒動でも、そうであろう。

政府は対応を出来るだけ地方に任せ、経緯を見守るばかり。
そりゃ地方でも人材がいて、対策は打ち出せるであろう。

しかしながらその対策には財源があり、通貨発行権がない地方行政では限りがある。
勿論、一人当たり10万円の給付や企業の持続か給付金制度などは国家がやってはいるが、合計で20兆円にもなるこの施策は、おそらく赤い字国債を念頭に置かねば出来ない事。

地方行政は財源をめぐり常に中央(国家・官僚)に救済を願わねば何もできない。

地方行政に困難な対応を任せ国家は格好の良い立場に廻る。
この様な殿様商売をするならば、国会議員、官僚などに、こんなに高給をやる必要はなく、議員の数も半分でも勿体ない。

これが地方分権の正体である。




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