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[53] 教育の話し
日時: 2009/08/07 19:53
名前: 天橋立の愚痴人間

教育会議なる馬鹿の集まりが、馬鹿にふさわしい馬鹿な提言をまとめた。

曰く PTAに父親も参加すべし。

曰く 赤ん坊は、母親がおっぱいを飲まし、子守唄を歌うこと。


最早、会議そのものを解散し、かかった費用は彼らから徴収すべきである。
さすがに、政府もこれを発表する事は参院選のためにはならないと提言を差し戻したらしい。
またある議員は、おっぱいの出ない人に対して差別発言であるような理由をつけたらしい。

差し戻す理由も理由であるが、こんな馬鹿共を任命した責任も取ってもらわねばならない。

こんな連中が何を考えているか、知れたものではない。
こんな連中に教育改革を担当する資格はないのである。

つでに言っておきますが、マスコミに取材を受けた主婦達の反応は、そんなことはもとより解っている、大きな御世話というのが圧倒的であった。


どんどん入ってくる日本崩壊のニュースに、まとうな精神で対処していれば疲れてしまいます。

人生を振り返るに、今日ほど、愚劣な出来事が連続した記憶はありません。
管理人さんの考えは当たっているようです。
メンテ

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自主性教育  シュタイナー(ルドルフ)の学校 ( No.22 )
日時: 2019/02/09 12:59
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:KwNFUM3g

シュタイナー教育

シュタイナー教育とは、20世紀はじめのオーストリアの哲学者・神秘思想家ルドルフ・シュタイナーが提唱した「教育芸術」としての教育思想および実践であるヴァルドルフ教育を、日本で紹介する際に名付けられた呼称のひとつである[1]。シュタイナー教育では、教育という営みは、子供が「自由な自己決定」を行うことができる「人間」となるための「出産補助」であるという意味で、「一つの芸術」であると考えられている。

シュタイナー教育の根底にあり、目的でもあるのが精神(霊性)への教育である。

>魂と身体

シュタイナーの教育思想では、人間の本性、すなわち内面の特質を、身体(肉体、Leib)、心、(魂、Seele)、精神(霊性、Geist)の3つに分けて理解している。

または、人間の魂から身体までを、意識の座である自我、感情と印象の座であるアストラル体、生命の座であるエーテル体、物質から成る肉体の4層に分けて理解するとも言われる。肉体が誕生しても他の3層は未分化の状態であり、7歳のときにエーテル体が自律、14歳のときにアストラル体が自律、21歳のときに自我が自律するとされる。(それ以降も人間の成長は続くが、ここでは教育のみに話をしぼるため割愛する。)従ってその各段階に分けて人間の成長を理解することが重要視される。

魂はさらに意志・感情・思考(表象活動)の3つの領域から理解され、それぞれの発達にふさわしい時期にその能力を伸ばすよう、配慮されている。

人智学では再受肉(転生)が信じられており、シュタイナー教育を理論づける文献『神智学』では中心点ともなっている。再受肉思想は、直接的には神智学から導入された。転生の繰り返しを通して持続される「個人」と、その個人の覆いである「人格」があるとしており、個性には「個人の個性」と「人格の個性」があるという。後述する「気質」の概念は、この二つの個性が前提となっている。再受肉の思想は、教師に対して、目に見える子供の「人格の個性」だけでなく、その内奥にある太古から受け継がれてきた「個人の個性」を一歩引いて見るといった視点をもたらす、教育上の効果があるという。ただし、シュタイナー自身は、人間が肉体から独立した精神として精神界に在る霊的状態を霊視できたとされており、「個人の個性」など証明不可能な持論を超感覚的に現実として認識していたとされているが、シュタイナーと霊的に同レベルに達し同様の体験をしたと報告している弟子はおらず、教師はシュタイナーの言説を参考に「個人の個性」を想像することで認識を補う[26]。そのため教師には、シュタイナーの言説から得た特定の「調和」のイメージがドグマとなり、子供をその固定されたイメージに誘導するといった事態を注意深く避けることが求められており、自らを発達の途上にあると認識し、想像力の固定化を避け、子供自身と向き合うことが期待されている。

>七年期

上記の認識に基づき、この人間の特質を教育対象として年齢によって3期に分け、その発達特徴を理解する。この約7年間隔の発達的特徴に応じた教育課題があり、その課題を達成するためのキーワードが重要な指標になる。発達の生理学や心理学に基づいた説明がなされており、幼児期や思春期膳の誤った取り扱いは、のちに心身の発達や健康上の障害、広範囲な精神医学上的症状の原因を作り出しやすいという認識に立っている。生まれてから成人するまでの21年間のうちに世界から「真・善・美」を全身を通して理解し、その世界と自分との一体感を見いだし、世界の中で自由で自律的に生きることのできる人格の育成を目指す。

1.第1七年期(0〜7歳) -

誕生から7歳頃の交歯期までで、模倣を特徴とする。肉体の感覚器官が十分に発育する期間である。この肉体を動かす事、すなわち意志の成長が課題であり、無意識的な活動、特に毎日の生活のリズムを重視する。この時期の子供は周囲の大人、特に両親からの直接的、間接的な影響を全身に吸い込んで成長する。つまり無意識的にも「(私の周りの)世界は善であふれている」ことを子供が理解するような環境づくりを目指す。

2.第2七年期(7〜14歳) -

性的成熟期である。感情作用が活発化し、想像力が 育つ一方、権威あるものを求める人間の段階であるとされる。四魂の感情活動が分化・洗練される期間であるとされる。感情の成長が課題となる。そのため教科内容から抽象性を排して芸術的な味わいを持たせつついきいきした感情を育み、「世界は美しい」と感じられる教育を目指す。ドイツ文学者の子安美知子は、小学校時代の教師は「愛される権威」「自明の権威」であることが目指されると説明しており、シュタイナー教育を受けた娘の子安文は、教師は非常に怖い存在であり、教師は教師であって友達のようにはならないと述べている。

3.第3七年期(14〜21歳) -

認識活動が中心にあり、自分の判断で自分と環境世界の関係を決定していく時期である。肉体と魂に結合した自我活動が精神に向かっての思考を開始する期間。表象活動の活発化が課題となる。明晰な表象活動により「世界は真実だ」との認識が目覚める方向の教育を目指す。

この7年周期は誕生から死までだけでなく、死後も繰り返される転生の中で続くライフサイクルであるとされている。


上の3期の具体的な手法についていろいろと解説されていますが、共通することは、子供にどのように自主性を理解させるというものです。

これは3段階に分けられていて、

幼児期の自主性の開発の為には、それこそ子供の潜在した可能性を導き出す為に、何事も子供に任せるということをするらしいです。

※ 子供の我がままを受け入れると言うことではないので注意。

我が国と異なるところは、小学生、中学生の年代になると教師の指導を中心とする様に切り替わってきて、教師はあらゆる社会的な規範を子供にしつけると言います。

その後、子供が自立する時代、要するに高校生の時期から、再び、子供の自主性を尊重し、それぞれが、それぞれにあった生き方を選択するように指導すると言う方法を取っている事です。

そのために、特に小中学校の時代の教師の能力を育てるような事がされていて、新任の教師には、人により様々ですが、1〜3年くらいは先輩の教師が、その教師の指導に当っているという事です。
この点も、学校出たての新任教師が赴任すると、たちまち一人前に扱われ、誰の干渉もなく教育に当っている我が国の環境とでは教師の質に大きな違いがあります。

「自主性教育」と言う言葉だけを追っている我が国の間違いを認識するべきですが、文部科学省、教育委員会、日教組全てが、本当の子供の教育とは、何かを問う姿勢はなく、単に自分たちの立場から教育方針を弄んでいる現状では、誰もが気がつきません。
ましてやペアレントモンスターなどと言うPTAが存在していては、我が国の教育に何の期待も出来ないでしょう。

ドイツ、アメリカ、イギリスをはじめ、シュタイナー学校と併設する形で教員の養成に努める施設が存在する。その多くは、初年度にシュタイナーの基本思想とシュタイナー教育の実践を学ぶ基礎コースを含む2年から4年にわたる制度を採用している。

(追申)

自主性などは、その過程で無意識のうちに醸成されてゆく、責任感を伴った自我に基づくものでなければなりません。 自我とは、これも広辞苑によりますと哲学的には「認識・感情・意志・行為の主体を外界や他人と区別して言う語」、また心理学的には「意識や行動の主体を示す概念」、精神分析の世界では「イド」(注)から発する衝動を、外界の現実や良心の統制に従わせるような働きをする」とあります。 自我の発育は心理学で言っておりますように、思春期に反抗期を伴って顕著になってくるものであり、個人の心的体験等によりそれぞれに差異があるものです。

発育途上の子供に対して、択一的に、他動的に、まず先に、自主性の概念を教え込む等の手法によって、正常な自我を醸成させることが出来ると思っているのでしょうか。 自主性と言う言葉を自我と置き換えて考えればそんなに単純に、教えて身につけさせられることではないはずです。 自我の未成熟のまま自主性の概念のみが発達した、能力も責任感もない多くの人間が社会に出た時、社会の秩序が崩壊するのは目に見えております。

教育の場で「自主性」を云々するのは、如何にして正当な自主性を身に付けさせることが出来るかを、教育者自身が己に問う問題であり、子供に自主性を安売りするものではありません。 まして、事例を与えて子供に実験させて悦に入っているのみの教育現場のあり方は、もってのほかの状況と考えます。 「自主性」にたいする考え方が逆立ちしている様です。

誤った自主性教育を受けた我が国の若者が、年少にして小さく自己完結し、その人格のまま社会へ出たとき、社会が要求するものに応えられず挫折感を味わい対応できなくなる。

結果、自分が反省すれば良いが、うぬぼれた人格は自分が上手くやって行けないのは社会のせいにし現実逃避を計る。
それが昂じると自信を無くし引きこもりとなる。
何のための自主性教育であったか、教育者こそ反省しなければならない。
メンテ

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