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[53] 教育の話し
日時: 2009/08/07 19:53
名前: 天橋立の愚痴人間

教育会議なる馬鹿の集まりが、馬鹿にふさわしい馬鹿な提言をまとめた。

曰く PTAに父親も参加すべし。

曰く 赤ん坊は、母親がおっぱいを飲まし、子守唄を歌うこと。


最早、会議そのものを解散し、かかった費用は彼らから徴収すべきである。
さすがに、政府もこれを発表する事は参院選のためにはならないと提言を差し戻したらしい。
またある議員は、おっぱいの出ない人に対して差別発言であるような理由をつけたらしい。

差し戻す理由も理由であるが、こんな馬鹿共を任命した責任も取ってもらわねばならない。

こんな連中が何を考えているか、知れたものではない。
こんな連中に教育改革を担当する資格はないのである。

つでに言っておきますが、マスコミに取材を受けた主婦達の反応は、そんなことはもとより解っている、大きな御世話というのが圧倒的であった。


どんどん入ってくる日本崩壊のニュースに、まとうな精神で対処していれば疲れてしまいます。

人生を振り返るに、今日ほど、愚劣な出来事が連続した記憶はありません。
管理人さんの考えは当たっているようです。
メンテ

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自主性教育について ( No.23 )
日時: 2020/06/13 23:35
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:x4Ic.eRY

NO 19からの引用ですが、

自主性と言う言葉を殆どの方は、あまり深く考えずに、言葉通りに一面的に好ましいものと解釈しておられる。

自主性」とは、どのようなものか、ここで考えてみたいと思います。
 
広辞苑では「他人の干渉を受けないで、自分で決定して事を行うさま」とあります。 
成人に対する「自主性」と言う言葉を使う場合、人に頼らず自分で解決するべきであるという様な場合に使います。

ところで、子供に対して「自主性」を持てと言う場合、無条件で、どのような場合にも使うべき言葉でしょうか。
子供が成長する過程で、子供はどの様に生きているのでしょう。

乳幼児に自主性をもって行動せよということは考えられないでしょう。
言葉もそうですが、赤ん坊の時以来、人間は親や周囲の人たちから、すべてを学んで成長していきます。
では、幼児になれば、幼稚園に行くようになれば、親や周囲の人たちから何も学ぶ必要はなくなるのでしょうか。
それは小学生、中学生になってからも同じです。
子供が大人の世界から学ぶべきことは多いのです。

だが、最近は幼稚園の頃から、親は子供に自主性を植え付けようとします。
一体、何の自主性でしょう。
もし、その年代で自主性に重きを置くことがあれば、食事とか睡眠の習慣くらいのものではないですか。

それ以上の事柄で、自主性、自主性と言って子供に好きな様にさせれば、結局は我が儘な子供に育てるだけではありませんか。

その昔、我々老人の時代には、親は生活に追われていて、我が子の教育などは、ただ叱り付けることでした。 その中で子供達は、やってならない事、自分でやっても良いことを自然に習ってきました。

子供が成長するに従い、子供は自分の判断でやっても良い領分を多く持つようになり、自分がやりたいことも意識する様になります。
中学生にでもなれば、大人になって何になりたいなどと、将来像を描くようになります。
それ等は全く自主性に基づく思慮に他なりません。

子供の自主性などは、成長の過程で無意識のうちに醸成されてゆく、責任感を伴った自我に基づくものでなければなりません。

自我とは、これも広辞苑によりますと哲学的には「認識・感情・意志・行為の主体を外界や他人と区別して言う語」、また心理学的には「意識や行動の主体を示す概念」、精神分析の世界では「イド」(注)から発する衝動を、外界の現実や良心の統制に従わせるような働きをする」とあります。 自我の発育は心理学で言っておりますように、思春期に反抗期を伴って顕著になってくるものであり、個人の心的体験等によりそれぞれに差異があるものです。

>(注) id = 精神の奥底にある本能的エネルギーの源泉。快を求め不快を避ける快楽原則に支配される。 エス(es)ともいう。 精神分析の用語。
 
発育途上の子供に対して「自主性」と言う成果だけを求めて、子供に行動を強要することで、本当の自主性が得られるでしょうか。
また、教育の場などで、択一的に、他動的に、まず先に、自主性の概念を教え込む等の手法によって、正常な自我を醸成させることが出来ると思っているのでしょうか。 
自主性と言う言葉を自我と置き換えて考えればそんなに単純に、教えて身につけさせられることではないはずです。 自我の未成熟のまま自主性の概念のみが発達した、能力も責任感もない多くの人間が社会に出た時、社会の秩序が崩壊するのは目に見えております。

このような不完全な理念で、子供を教育するなど、弊害はあっても、子供の成長を正しく導くことにはなりません。

成人に達してからも、先輩達の仕事を盗むようにして覚えていったものでした。 年少のころから、少しずつ確実なものを身に付けて、それが自信になり、判断力の根拠となって、他の人からも信頼されるようになりました。

教育の場で「自主性」を云々するのは、如何にして正当な自主性を身に付けさせることが出来るかを、教育者自身が己に問う問題であり、子供に自主性を安売りするものではありません。 まして、事例を与えて子供に実験させて悦に入っているのみの教育現場のあり方は、もってのほかの状況と考えます。 「自主性」にたいする考え方が逆立ちしている様です。

また、多くの一般人が「自主性」と言う言葉だけを、金科玉条の様に思い込み、自主性と言う形容詞が付けば、なりふり構わす、それを容認します。
自主性を否定すれは、たちまち顰蹙を買います。

間違った自主性教育を受けて育った子供たちは、自分の考えを至上と勘違いし、社会の壁に立ち向かったとき、正当な判断が出来ません。
結果、自分にとって都合の悪いこと、上手く行かないことを、全て社会、他人のせいとし、自分自身を省みて社会から学ぶことはしません。
現代社会で若者(すでに壮年の年代)の引きこもりが増え、また自暴自棄は行動に走る人間が増えました。

もっと多くは、職場で生じる困難に敢然と立ち向かう人間が減ってきて来ています。
それもみな、それこそ、本当の意味の「自主性」の欠如の結果です。

戦後の子供に対する、誤った自主性教育の結果、「自主性」の乏しい社会人を多く、生み出しています。

子供に対する「自主性」教育と言うものを安易に考えた文部科学省の官僚たちと、本当の自主性も知らない、大半の教師の間違った指導の結果です。


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