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[53] 教育の話し
日時: 2009/08/07 19:53
名前: 天橋立の愚痴人間

教育会議なる馬鹿の集まりが、馬鹿にふさわしい馬鹿な提言をまとめた。

曰く PTAに父親も参加すべし。

曰く 赤ん坊は、母親がおっぱいを飲まし、子守唄を歌うこと。


最早、会議そのものを解散し、かかった費用は彼らから徴収すべきである。
さすがに、政府もこれを発表する事は参院選のためにはならないと提言を差し戻したらしい。
またある議員は、おっぱいの出ない人に対して差別発言であるような理由をつけたらしい。

差し戻す理由も理由であるが、こんな馬鹿共を任命した責任も取ってもらわねばならない。

こんな連中が何を考えているか、知れたものではない。
こんな連中に教育改革を担当する資格はないのである。

つでに言っておきますが、マスコミに取材を受けた主婦達の反応は、そんなことはもとより解っている、大きな御世話というのが圧倒的であった。


どんどん入ってくる日本崩壊のニュースに、まとうな精神で対処していれば疲れてしまいます。

人生を振り返るに、今日ほど、愚劣な出来事が連続した記憶はありません。
管理人さんの考えは当たっているようです。
メンテ

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イエナプラン教育 ( No.5 )
日時: 2011/09/18 12:43
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:3R2ku166

http://altjp.net/classification/article/90

イエナプラン教育

イエナプラン教育は、1923年にドイツのイエナ大学の教育学教授だったペーター・ペーターゼン教授によって、教育実践を通した教育学的な研究として始められました。子どもたちが根幹グループと呼ばれる異年齢のグループで学ぶという試みがその内容であり、この試みはそれから徐々に、6歳から15歳までの学校、幼稚園、特殊教育へと広がっていきました。

ペーターゼンの取り組みは第二次大戦中を通じて続きましたが、東西ドイツ対立やその後西側に亡命したペーターゼンの早逝などのためにドイツ国内ではその後あまり発展していません。しかし、1950年代にオランダに伝えられ、オランダの新教育運動に関わっていた人達の手で大きく発展、1970年代以後のオランダの教育制度改革に非常に大きな影響を与えています。

オランダにおけるイエナプラン教育は、フレネ教育やその他の国々の異年齢学級の試みなどからの影響もあり、独自の発展を遂げています。

現在、オランダ国内に約220校のイエナプラン小学校(4‐12歳児)があるほか、数校の中等学校もあり、「オランダ・イエナプラン教育協会」を通して関係者の間の交流を深めています。また、ドイツでも、オランダのイエナプラン教育を逆輸入してイエナプラン校を設置する試みが見られるほか、イエナでも、再度ペーターゼンのオリジナルな思想に基づいて、幼稚園から高校までの一貫教育に基づくイエナプラン校再編の試みもあります。

現在、学校数においても、教員間の研修組織の上でも、諸外国の中で最も発達しているオランダ・イエナプラン教育の実践には、以下のような特徴が挙げられます。

1.学級は3学年にわたる異年齢の子どもたちによって構成される。学級は『根幹グループ(ファミリー・グループ)』と呼ばれ、学級担任の教員は「グループ・リーダー」と呼ばれる。

2.学校での活動は、会話・遊び・仕事(学習)・催しという4つの基本活動を循環的に行う。この4つの活動を循環的に行うために、時間割は教科別で作られず、4つの活動のリズミックな交替をもとにして作られる。

3.生と仕事の場としての学校。学校を、子どもと教員と保護者とからなる共同体とみなし、子どもが一日のうちの大半の時間を過ごす場として、リビングルームとしての環境づくりを強調する。

4.学校教育の中核としてのワールドオリエンテーション。子どもの経験世界における、真正な現実に対する『問いかけ』に発する学習。教科別の学習との相互交換的な学びを通して、『学ぶことを学ぶ』ために設けられた総合的な学習の時間。

5.インクルーシブな教育を目指し、生徒集団を、可能な限り生の社会の反映としてとらえ構成するように目指す。この理念に基づき、イエナプラン校は、教育行政が取り組み始めるよりも前から、特別のニーズを持つ障害児や社会経済的背景のためにハンディキャップを持つ子ども達の入学を積極的に受け入れてきた。



ドイツにおける発展 [編集]ペーターゼンは、第2次世界大戦前、イエナ大学の実験校で、6歳から15歳までの子どもを対象にした学校教育、幼稚園、特殊教育でイエナプラン教育を実践した。ナチスの支配期には同校は政治的圧力のもとに置かれつつも閉校されることなく存続し、それが、今日まで、ペーターゼンの政治的立場を批判する論評の原因ともなっている。第2次世界大戦後、ペーターゼンは大学実験校の存続と、再編成を試みるが、イエナが共産圏に置かれ、ペーターゼンは共産主義政府当局に対立し、同実験校も1949年に閉校となった。

その後、ペーターゼン自身は西ドイツに亡命し、1953年に亡くなっている。西ドイツでは、1950年代と60年代にいくつかのイエナプラン校が設置されたが、ペーターゼンの死亡や東西ドイツ対立などのために、ドイツ国内ではあまり大きな発展をしなかった。むしろ、下記に述べるように、オランダでの発展が先行し、現在、ドイツにおけるイエナプラン教育は、再興運動として行われているものと、オランダでの実践に倣って設立されているものとがある。ただし、オランダに比べると学校数は少なく、教育界における影響力も比較的小さい。

オランダにおける発展 [編集]現在、イエナプラン教育が最も盛んなのはオランダである。また、オランダにおけるイエナプラン教育は、ペーターゼンが打ち立てた基礎に基づきつつも、さらに、フレネ教育や欧米各地の無学年生の学校や異年齢学級の実践からの影響も大きい。 オランダに初めてイエナプランを紹介したのは、スース・フロイデンタール・ルッター(Suus Freudenthal-Lutter, 1908‐1986)で、彼女は、当時オランダの新教育運動の母体組織であった「養育・教育刷新研究会(de Werkgemeenschap voor Vernieuwing van Opvoeding en Onderwijs、WVOと略)』の国際交流部門の秘書だった。

スース・フロイデンタールがイエナプラン教育に出会ったのは1950年代であると言われているが、イエナプラン教育がオランダの教育者たちに公的に広く知られるようになるのは、1964年に「イエナプランによる教育刷新」というテーマでWVOの全国総会が行われてからである。この総会には、生前、夫ペーターに協力してイエナプラン教育の発展に努めたエルゼ・ペーターゼンも招かれていた。その後、1969年には『イエナプラン教育財団』が設立され、財団関係者の交流のために、季刊誌「ペドモルフォーゼ」が刊行された(1981年に廃刊)。

オランダで最初のイエナプラン校は1962年に設立されている。以後、オランダ憲法第23条の「教育の自由」により認められた『教育理念の自由』『学校設立の自由』『教育方法の自由』などの好条件に支えられて、イエナプラン教育を採用する学校は順調に普及発展を遂げ、現在では、オランダ国内に約220校のイエナプラン小学校(4‐12歳児)があるほか、数校の中等学校もある。現在は『イエナプラン教育財団』に代わり「オランダ・イエナプラン教育協会」が設置されており、毎年、参加校の教員及びイエナプラン教育の専門家を集めて全国総会を開催するほか、「メンセン―キンデレン」という季刊誌を発行して、イエナプラン教育関係者の間の交流を深めている。

(終わり)
メンテ

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