Re: 仏教を考える ( No.1 ) |
- 日時: 2021/08/10 08:41
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:mylsRZxI
- 仏教がキリスト教、イスラム教の様な一神教と違うことを、もう少し見てみましょう。
お釈迦さまは「創造主」でも「神の子」でも「預言者」でもなく、世の中の真理・理法に「気がついた人」という感じになるだろうと思います。仏教の教えは、お釈迦さまが考えて作ったものでもなく、誰かからお釈迦さまに特別に授けられたものでもないわけです。 お釈迦さまは未踏峰の山に初めて登ったというような「偉大な先駆者」的な位置づけでしょうか。
仏教ではかなり初期から、このことははっきり認識されていて、お釈迦さまが悟った事柄は、お釈迦さまが悟ろうが悟るまいが元からあったもの(=この世の普遍の真理である)とされています。 そして、仏教ではその真理(法)を奉じるという信仰態度を求め、絶対的な超越者を説きませんでした。仏教内でのお釈迦さまの存在は絶大ではありますが、唯一絶対の神様という存在ではありません。 大乗仏教では超人的な如来や菩薩がたくさん登場しますが、理想的な修行完成者や修行者を少々オーバーに表現したモデルであったり、何事かを象徴させるために意識的に擬人化されたものであったりで、経典の文言そのままに「実在」するとは製作者側も考えていなかったと思います。
経典や論書は法を説くのと同時に法に近づいて行くための「手段」としての役割を負うため、いろいろな説き方が可能だ(手段は多い方が良いだろう)と考えられたということになるのだろうと思います。 お釈迦さまの教えをどう伝えるか、そして大乗仏教ではお釈迦さまの悟った真理の内容は何か、真理をどう捉えどう表現するかがさまざまに考えられ、経典がどんどん増えた・・・という感じかと。 さらに(とくに大乗仏教では)経典は人々を仏教に引き入れるための手段としての役割も担いました。(「功徳」が強調される傾向がある)
確かに尋常な量でないですから、学者さんやお寺さん、余程に興味でもない限り、数多くの経典を実際に読む必要はないと思います。(なによりも時間的にムリです。) 数多くの経典があっても、それは「全部読め」という意味ではないと思いますし。その人その人に合った教え、その人が仏道に向かうことができる教えが見つかれば、それがその人の「読むべき経典」だったということになるでしょう。
宗教としての仏教は、その後に小乗仏教(上座部仏教)と大乗仏教へ別れて行きました。
仏教とは本来修行して悟りを得ることを目的とした宗教です。で、その本来の教えに忠実に修行をしようというのが上座部仏教です。 それに対して、修行者が仏教の精神を広く説くことにより、人々が修行せずとも仏教を信仰することは可能だと説くのが大乗仏教です。 上座部仏教は別名を南方仏教といい、主にアジア南方(タイやカンボジアなど)に広がり、大乗仏教は日本・中国・韓国などに広まりました。 ですから、タイなどでは純粋に仏教を信仰しているのは僧だけで、他の人々は僧を尊敬しその修行を支えているというわけです。そのため、タイなどではお坊さんが人々の尊敬を集め、身分が高いとされているのです。
その釈迦が、どのような教えを説いているか見てみましょう。
釈迦は2500年前に、天竺国(てんじく、現在のインド)の北部、ヒマラヤ山麓(現在のネパール付近)を治めていた釈迦族の王・浄飯王(じょうぼんのう)と、その記・摩耶夫人(まやぶにん)の間に生まれた王子で、姓をゴータマ、名をシッダッタといいました。
釈迦という呼び名は、その出身である釈迦族からとったものです。後に、真理に目覚めてからは仏陀(ぶつだ)、または、"釈迦族の聖者"という意味を持つ、釈迦牟尼世尊(しゃかむにせそん)あるいは略して、釈尊(しゃくそん)と呼ばれるようになりました。
その「仏陀」の”教え”が、すなわち<<仏教>>という訳であります。
釈迦は人生について悩み、29歳の時に「さとり」を求め出家しました。そして、想像を絶する苦行の数々を行いました。そして考えました。極端な偏りは何も生み出さない。王子時代の快楽の日々、修行時代の苦行の日々、これら極端な偏りはいけない。真理をとらえる為には、その中程を貫く過程――「中道(ちゅうどう)」が大切ではないかと気が付きました。そして、出家してから6年目にあたる、35歳の時に真理に目覚め「仏陀(ぶつだ)」となりました。さとりを開いた仏陀は、教えを広める伝道生活を送り、やがて80歳で入滅しました。
「中道」 何事も両極端はいけない、ほどほどが良い <考え、行動、・・・>
★ 人生は四苦八苦、「迷い」や「執着心」を断って、「考えすぎない」のが一番だと悟った。
釈迦の教えは、縁起、四諦、八正道から成り立っています。 縁起(えんぎ) 物事がお互いに関係しあっているという意味
釈迦は、人生は苦であり、苦の根本的な原因としは、「無明(むみょう、無知、迷い)」、無知である為に迷い、迷う為に物事に対して「愛(愛憎の念)」をもち、それに対して「取(執着)」し、執着する事で苦しむと考えました。四諦、八正道でこの無明から抜け出す方法を説いています。
四諦(したい) 苦という人生の本質、苦の原因、原因の消滅、苦の原因を取り除く方法
苦諦(くたい) 苦に関する真理。人生とは本質的に苦であると説いています。 集諦(じったい) 原因に関する真理。人生が苦である事の原因を明らかにしている 滅諦(めったい) 原因の消滅に関する真理。苦の原因である煩悩(ぼんのう)の消滅が苦の消滅です。 道諦(どうたい) 道=実践(方法)に関する真理。苦の原因を取り除く方法を説いています
八正道(はっしょうどう) 道諦をさらに詳しく説いた八つの正しい道(方法)
この方法を修行を積む事により、煩悩(ぼんのう)をなくし、結果として苦を克服する事が出来ます。 1. 正見(しょうけん) 我の意識を離れ、正しく物事を見る事。 2. 正思惟(しょうしゆい) 正しく物事の道理を考える事。 3. 正語(しょうご) 真実のある正しい言葉を語る事。 4. 正業(しょうごう) 正しい行為。間違った行いをしない。 5. 正命(せいみょう) 正法に従って清浄な生活をする事。 6. 正精進(せいしょうじん) 正しく目的に向かって努力する事。 7. 正念(しょうねん) 邪念を離れて正しい道を思念する事。 8. 正定(しょうじょう) 正しく精神を集中して安定させる事。
後世の多くの経典は、何千とも言われていますが、宗派によっていろいろな形はありますが、釈迦の教えを説いたものです。 それ故、宗派はあっても宗派の対立は過激なものではありません。 特に大乗仏教が盛んな日本では、庶民も理解しやすい 和讃、御詠歌の様なものもあります。
その一つ菩提和讃を紹介します。
●菩提和讃(ぼだいわさん)
若し人三世一切の仏を知んと欲すれば、法界性を観ずべし。 一切唯心造なりと、衆生おのおの仏性を、受けて生まれしものなれば 一念不生に至るとき、忽ち仏性現前し、老若男女もろともに、その身が即ち仏なり。 しかるに一念迷い初め、本有の仏性見失い、みずから凡夫となるゆえに貪り瞋り痴さの、煩悩しげき三毒に、闇き迷いの日々となる。 また色声香味触と五欲の悦楽追い求め、刹那の夢に酔いしれる 殺生偸盗邪淫慾、悪口両舌綺語妄語、破戒無懺の輩に、いつか救いのありぬべき。 それ人間の身を受けて、この世に生まれ来ることは、爪の上端に置ける土。 まして尊き仏法の、教えに親しく遇うことは、まこと得がたき縁なり。 かかる時節を失わず、信心決定いたすべし。 人々賢き智慧あれば、春は万の種を蒔き、秋の稔りを待つのみか、衣服家宅に至るまで、遠き計画立てながら、今をも知れぬ後の世の、永き冥路を打ち忘れ、空しく過ごすぞ愚なり。 無常の風に誘われて、忽ちこの世を終るとき、何を頼みとなすべきや、あまた資産のあるとても、冥途の用にはならぬもの。 家財重宝持つ人も、携え行くべき途ならず、偕老比翼の契いもしばし浮世の夢ならん。 兄弟朋友ありとして、伴い行くことさらになし、出入りの息の絶えぬれば、野辺の送りを営みて、老いも若きも仇野の、空の煙と消え失せん。 朝夕撫でし黒髪も、蓬が根の塵となる。 かかる憂き目のあるゆえに、ひたすら菩提を願うべし。 弘誓の願を身につけて、忍辱精進怠らず、布施や愛語にこころざし、十善の道歩みつつ、他己をも自己と覚るならば、これぞ菩薩の浄土なり。 観世の慧眼明らかに、弘く衆生に回向して、ともに濁世を渡るべし。 尚ぶらくは人間の、受くる形はそのままに、仏の姿にかわらねば、本来より具えし霊明の、一仏心に覚むとき、この身すなわち仏にて、仏が仏を念ずれば、一声唱うる称名も、諸仏の浄土に通徹す。 日々仏に近づきて、礼拝供養も懇ろに、香花燈燭とりささげ、粥飯茶果等供えつつ、身口意三輪浄らかに、称名念仏経陀羅尼、坐禅観法修すれば浄土はもとよりわが身にて、心が即ち仏なり。 つらつらこの身を観ずるに、生生世世の父母や、一切衆生にいたるまで、その恩愛の深きこと、天の極り無きごとし。 されば誓願たてまつり、無明の眠りを覚しつつ、行住坐臥に怠らず、一心勇猛に修業して、無辺の衆生を慈しみ、菩提の道に趣かせ、本有の仏性発露して、不報の恩を報ぜんと、般若の船に掉さして、涅槃の岸に到るべし。
※ これが仏教の世界であり、キリスト教、イスラム教などと随分異なることが解るでしょう。
最後に、同じ大乗仏教でも日本のそれは、温和でより大衆に馴染んだものと言えます。 その理由を考えますに、我が国には仏教が伝来する以前から氏神信仰というものが定着していました。 氏神信仰と言うのは後世で言われる神道とは異なり(氏神信仰のことを古神道と言います)国家の概念などはなく、ただ、その集団の安寧を祈願するものでした。 当時の日本は西欧などの外国と異なり民族間の争いもなく共生進んだ社会でもあり、温厚な宗教心を育んできました。 そういう土壌の上に高等宗教たる仏教が伝来し、そのうちに仏教と氏神信仰の融合がは始まりました。 結果、鎌倉時代になって大仏教衆と言われるまで現代魔で続く仏教が盛んになりました。 これは中国や韓国での大乗仏教のt展開と異なるところです。
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Re: 仏教を考える ( No.2 ) |
- 日時: 2017/04/26 12:18
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:4lvwyxPA
- 葬式仏教
本来の仏教は葬礼を重視するものではなく、人々の救済や心理の探求する宗教であったのですが、最近は葬儀のために寺があり、僧侶がいると言う様になってしまっています。 この状態を葬式仏教と呼んでいます。
人が死ねば古代の昔より、これを葬祭する風習が続いています。 仏教の教えの中にも輪廻という思想があり、葬礼は、それなりに意味のあるものですが、それでは昔の祈祷師、呪術師の様な役目であり、高等宗教としてはいただけません。
仏教の基本理念に輪廻があります。
輪廻(りんね)
仏教の術語。人間は死後もなんらかの形で存続するという普遍的信念の一つの形態が輪廻で、とくにインドで発展した。人間の本質は実体的な霊魂である。一方、人間の行為(カルマン、業(ごう))はのちに影響を及ぼす潜在的な力(カルマン、業力)を生み、霊魂がこれを担うから、人は死後、生前の業に従ってしかるべき死後世界に生まれ変わる。こうして無限に再生を繰り返すのが輪廻である。サンスクリット語でサンサーラsamsraといい、「流れ」「回り巡ること」が原意である。死後世界は、基本的には、安楽な世界たる天、罰としての苦の世界たる地獄、人間、そして動物(畜生(ちくしょう))の世界である。業の発現の仕方は「自業自得(じごうじとく)」と「業果の必然性」を鉄則とする。自らの行為の果報はかならず自分に現れ、今世でなければ来世、あるいはその後の生に現れる、善因善果・悪因悪果の因果応報の考え方は現実社会の不平等を巧みに説明し、さらにその不平等を来世で回復してバランスをとりうる可能性を示す。心理的にも説得力があり、またなにゆえに善行をなさねばならないか、という倫理の根拠をも提示しつつ、遅くも紀元前4世紀にはインド社会に定着した。以降、今日に至るまでインド文化の基本的観念として思惟(しい)方法、宗教、哲学、社会慣習などに多大の影響を与えた。仏教では餓鬼(がき)ないし阿修羅(あしゅら)世界を加えた五道、六道輪廻の観念が発達し、東南アジア、中国、韓国、日本、チベットなどの仏教徒の生活をさまざまに規定している。
西欧哲学は、人間の存在を理性で解きほぐすことをやってきましたが、結局は特定するに至らず、唯物論、観念論として抽象的な概念を見出す結果となっています。
インド哲学、仏教は、始めから人間の存在を現世に特定することなく永遠の存在の一部として取り上げていました。 永遠の存在と言っても、それは決して不死とか、物質的な存在を意味するのではなく、意識の問題であり、考えようによっては空や無の概念を伴います。 数学でいう〇(無)の概念はインドで初めて考えられたことにも通じます。
リグベーダには次の様な表現があります。
その時、無もなく 有もなかった 空界もなく その上の天もなかった 世界を庇護しのは誰か それを包んだのは誰か あの底知れぬ深遠さはどこにあったのか あの海はどこに
その時 死もなく不死もなく 夜と昼とが定かでなかった かの唯一者は 息もなく呼吸し その他には 何も存在しなかった
・・・・
この様な思想的環境があって、輪廻の思想が出てきたのでしょう。 これに(輪廻)よって人々は現世に存在することの不安感を拭い去ろうとしたものです。 もっとも、本当にそのような精神に成れるのは、修行を積んだ僧侶という事ですが、考え方としては人々を諭すことにはなるのです。
ところで、話は葬祭に戻りますが、輪廻の思想とともに先祖を敬うことが重んじられることになるのは当然の経緯でしょう。 これは後世に儒教精神と相まって、先祖を権威化してしまい、忠誠の精神を強要する傾向が強くなってきましたが、これば仏教の精神ではありません。 現在、墓を建て先祖を敬う風習の中には、このように権威的な要素もあるように思います。
本来の仏教の教えは、善悪の問題であり、来世で生まれ変わったら幸せになろうと言う様な諭しであるはずです。 そういう意味の連綿が仏教の輪廻の思想のはずです。
現在の仏教が葬式仏教と揶揄されているのは、仏教の本当の教義を示すことが出来ていないからと思います。 出来ていないと言う事の中に、僧侶の怠慢もありますが、西欧精神を至上のものと思い込んだ現代人(言わYる広義の意味の西欧かぶれ)が仏教の精神に興味を持たなくなったか、気が付かないのです。
仏教の精神に気が付くべきと言えば、それも信仰の自由の意味で問題もあるでしょう。 しかしながら、私は仏教精神を、神道の精神とともに日本民族の文化の様に捉えています。 仏教自体を支持するのではありません。
経典を読み、釈迦の教えを理解せよなどとは言いません。 仏教の心底にある思想こそ、多神教世界の心魂で、西欧(キリスト・イスラム)とは違うところなのです。 一神教世界の人間になりきることが出来るなら、望むなら、しいて強要はしませんが、何も解らず漫然と、西欧をまねることはないではありませんか。 我が国には、このような優れた文化があるのに。
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無住寺のこと ( No.3 ) |
- 日時: 2017/04/26 13:13
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:4lvwyxPA
- さて、最初の話題に戻ります。
>最近、全国のお寺で住職が不在の寺の割合が30%を超えたと言われます(13000寺)
お寺とか、仏教に興味のない方は、何が、どうなっているか解らないでしょう。 全国に散らばる末寺(一般に地域のお寺)の経済は檀家によって支えられています。
というよりも、お寺の建物も、敷地も所有権は代々続いている檀家にあります。 住職は檀家に雇われたサラリーマンという事になりますが、実際は世襲で住職を継ぎ、檀家の支援のしたお寺の実権を握り運営にあたっていますので、サラリーマンなどと言うには当たりません。
ですが、檀家が少ないお寺では、檀家からの支援金額は限られています。 檀家からお寺に渡す金は、檀家料と葬儀代、法事代などです。 檀家料とは会員権の様なもので、檀家の等級(金持ちか否かではありません)によってきめられていて、年間数千円から数万円と言ったところでしょう。
平均で年間1万円(実際はこれより若干少ないと思います)として檀家の数が200軒ならな、200万円となります。 ですが、この金額をすべて住職の生活費には出せません。 檀家料は檀家総代会が管理し、その中から、お寺の維持費、改修に備える積立金などを取ります。 ですので住職の生活費としては100万円も渡せればいい方です。
住職の収入としては葬儀代、とか法事の供養料です。 葬儀をすれば、その後の法事なので1年で30〜50万円くらいは入ってくることになります。 その年に、10人なくなれば、300〜500万円の収入があり、檀家料と合わせて贅沢をしなければ十分な生活費が確保できると思います。
ところが200軒の檀家から1年で10人がなくなり続けることはありません。 その分、差し引かれますが、総体として檀家が200軒もあれば、そのお寺は住職を常駐させることができます。 問題は、村の過疎化で檀家が減ってきているお寺。もともと有名寺の周囲で退職した住職が自分の寺を立てている地域(室町時代にさかのぼり、なにかと言えばお寺を作った時代がある)などでは、住民の割にお寺が多く、それぞれのお寺の檀家は50軒くらいのお寺もあります。
そういうお寺では、いくら坊主と言っても生活が出来ません。 それに現代の住職はほとんど妻帯者であり、子供の養育費もかかります。 お寺の収入のない分は、住職が学校の先生などをしてお金を稼いでいたものですが、最近は、そのようなお寺の住職などにはなりたがらない坊主が増えています。
最初に、お寺の住職はサラリーマンと言いましたが、形式上は末寺の住職の派遣は系列の本寺がやることになっています。 そこで修行する若い僧侶に行けと言ってもいかないのでしょう。
そりゃ、そうですよ。 私の近くの寺の話ですが、結構な年配の住職はいますが檀家が30軒あまり、とても本職では食ってはいけない。 その住職は決してなまくら坊主などではなく見識も豊かで書道にも通じています。
ですがお寺の建物はボロボロ、本堂の畳は歩くと沈み、雨漏りなどは手が付けられないほど。 その住職は妻帯してないので、それでもやっていますが、見かねた檀家の代表(私の知り合い)が、金はそんなに出せないが、勤労奉仕で寺の改修をしていました。
住職が常駐していないお寺は、当地にもたくさんあります。 それでも葬儀などは、1年に何件かは発生します。 同じ系列の近くの末寺にお願いすることになりますが、本山の方でも、そういう末寺の取り扱いに苦慮しています。
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Re: 仏教を考える ( No.4 ) |
- 日時: 2021/08/10 08:43
- 名前: 天橋立の愚痴人間 ID:mylsRZxI
- UP
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神も死後の世界も輪廻転生も無いというのが釈迦の教え ( No.5 ) |
- 日時: 2022/05/04 22:18
- 名前: スメラ尊 ID:kDcE/R1I
- 神も死後の世界も輪廻転生も無いというのが釈迦の教え
(マッジマニカーヤ72、アングッターラニカーヤ34)
ヴァッチャは、さらに、尋ねて聞いた。
「世尊よ、では、執着を離れて解脱した者は、いずこにおもむいて生れるのであろうか。」
「ヴァッチャよ、おもむいて生まれるというのは、適当ではない。」
「では、どこにもおもむいては生まれぬというのであろうか。」
「ヴァッチャよ、おもむいて生まれぬというのも、適当ではない。」
「世尊よ、それでは、わたしはまったくわからなくなってしまった。以前に世尊と対座問答することによって、わたしの得た深い確信すらも、すっかり消えうせてしまった。」
すると世尊は、彼のために、このように説明せられた。
「ヴァッチャよ、なんじがまったく解らなくなったというのは、当然であろう。ヴァッチャよ、この教えは、はなはだ深く、知りがたく、すぐれて微妙であって、智慧あるもののみが知りうるところのものである。他の見解にしたがっている者や、他の行をしている者には、とうてい知られがたいものであろう。
だが、ヴァッチャよ、わたしはさらに、なんじのために説こう。いまわたしが、なんじに問うから、思いのままに答えるがよい。
ヴァッチャよ、もしなんじの前に、火が燃えているとしたならば、なんじは、火が燃えている、と知ることができるか。」
「むろんである。」
「では、ヴァッチャよ、この火は何によって燃えるのであるかと問われたならば、なんじは何と答えるか。」
「それは、この火は、薪があるから燃えるのだと、わたしは答える。」
「では、もしなんじの前で、その火が消えたならば、なんじは、火は消えた、と知ることができるか。」
「むろんである。」
「では、ヴァッチャよ、かの火はどこに行ってしまったかと問われたならば、なんじはいかに答えるか。」
「世尊よ、それは問いが適当ではない。かの火は、薪があったから燃えたのであり、薪が尽きたから消えたのである。」
そこで、世尊は、うなずいて、説いていった。
「ヴァッチャよ、まったくその通りである。そしてそれと同じように、かの色をもって人を示す者には、色が捨てられ、その根は断たれる時、その人はすでになく、また生ぜざるものとなるであろう。
その時、ヴァッチャよ、人は色より解脱したのである。・・・
そして、ヴァッチャよ、受についても、想についても、行についても、識についても、また同じである。」
(同上、増谷文雄訳)
ヴァッチャは、古代インド人の常識として当然のごとく、バラモン教・ヒンズー教・俗信の伝統にしたがって、執着を離れて解脱したものはどこか善いところ赴いて生まれると思い込んでいたのです。
そのために、ブッダにつまずいてしまったわけです。
ブッダの思想には、どこかに赴いて生まれる(赴いて生まれない)とか、よい世界に生まれ変わる(生まれ変わらない)とかいうような問いは、「いままで燃えていた火はどこに行ったのか」と問うことがまったく見当違いの問いであるように、まったく見当違いの問いだったからです。
ブッダは、比喩を用いて、火が消えるのはただ薪が燃え尽きたから消えたにすぎないのであって、火がどこか別の世界に赴いて行ったのではない、というのです。ヴァッチャは、これを聞いてブッダの意味するところを理解することができ、ブッダに帰依します。
ブッダは「人は悟って天国に帰る」などとは説きませんでした。 http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/buddhism20.html
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