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[2820] 哲学のはなし(考えるとは)
日時: 2017/12/05 11:45
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:sdl19w96

人間の思考の仕方について、歴代の哲学者のやって来た道を辿るのも意味のある事と考えます。
そこで、少し退屈に思われる方もいるでしょうが、思考自身のあり方の為に書いてみます。
ギリシャ哲学から実存哲学のサルトルまで、少し長くなります。


哲学の系譜

主に西欧哲学について語ります。
エイジプト、メソポタミア文明は古くからありましたがまとまった文書は残されていません。
ギリシャ時代に入り、初めて思想、科学の文章が残されています。
そのギリシャ哲学ですが、著名なのはソクラテス、プラトンです。
ソクラテスについては、彼自身の著作ではなく「ソクラテスの弁明」などと言う語りつがれで残っています。

(ソクラテス)

ソクラテスの思想は、内容的にはミレトス学派(イオニア学派)の自然哲学者たちに見られるような、唯物論的な革新なものではなく、「神のみぞ知る」という彼の決まり文句からもわかるように、むしろ神々への崇敬と人間の知性の限界(不可知論)を前提とする、極めて伝統的・保守的な部類のものだと言える[要出典]。「はかない人間ごときが世界の根源・究極性を知ることなどなく、神々のみがそれを知る、人間はその身の丈に合わせて節度を持って生きるべき」という当時の伝統的な考え方の延長線上に彼の思想はある[要出典]。
それにも拘らず、彼が特筆される理由は、むしろその保守性を過激に推し進めた結果としての[要出典]、「無知の知」を背景とした、「知っていることと知らないこと」「知り得ることと知り得ないこと」の境界を巡る、当時としては異常なまでの探究心・執着心 、節制した態度 にある[要出典]。「人間には限界があるが、限界があるなりに知の境界を徹底的に見極め、人間として分をわきまえつつ最大限善く生きようと努める」、そういった彼の姿勢が、その数多くの内容的な欠陥・不備・素朴さ[要出典]にもかかわらず、半端な独断論に陥っている人々よりは思慮深く[要出典]、卓越した人物であると看做される要因となり、哲学者の祖の一人としての地位に彼を押し上げることとなった。

要するに道徳律の様なものが彼の主題であった。
次に登場するのがプラトンです。

(プラトン)

プラトンのイデア論
一般に、プラトンの哲学はイデア論を中心に展開されると言われる。
最初期の対話篇を執筆していた30代のプラトンは、「無知の知」「アポリア(行き詰まり)」を経ながら、問答を駆使し、正義・徳・善の「単一の相」を目指して悪戦苦闘を続けるソクラテスの姿を描き、「徳は知識である」といった主知主義的な姿勢を提示するに留まっていたが、40歳頃の第一回シケリア旅行において、ピュタゴラス派と交流を持ったことにより、初期末の『メノン』の頃から、「思いなし」(思惑、臆見、doxa ドクサ)と「知識」(episteme エピステーメー)の区別、数学・幾何学や「魂」との結びつきを明確に打ち出していくようになり、その延長線上で、感覚を超えた真実在としての「イデア」の概念が、中期対話篇から提示されていくようになった。
生成変化する物質界の背後には、永遠不変のイデアという理想的な範型があり、イデアこそが真の実在であり、この世界は不完全な仮象の世界にすぎない。不完全な人間の感覚ではイデアを捉えることができず、イデアの認識は、かつてそれを神々と共に観想していた記憶を留めている不滅の魂が、数学・幾何学や問答を通して、その記憶を「想起」(anamnêsis、アナムネーシス)することによって近接することができるものであり、そんな魂が真実在としてのイデアの似姿(エイコン)に、かつての記憶を刺激されることによって、イデアに対する志向、愛・恋(erôs、エロース)が喚起されるのだとした。

いわゆる形而上学的な発想であり、人間としての普遍の真理を念頭に置きました。
プラトンが説く道徳律が現在でも有効とされるのは、これ故の事です。
そのごプラトンの思いは、個人的な思想から国家の有り様を意識し、国家論を書くことになります。
国家論では国民一人一人の道徳律を説き、君主は君主たるべき資格を問います。
これが成れば、それだけで理想国家になるのですが、現実は、そうは行きません。
我欲の塊である人間性を軽く見ていたのです。

その後には、キリスト教の教義が広まる事によって、プラトンのイデア論の陰が薄くなり、中世哲学へ移って行きますが、人間学としてのギリシャ哲学は中世以降復活することになります。
それでも、プラトンの後にはアリストテレスもでて、ストア、エピキュロス哲学も興りました。

プラトンの文章(国家論 洞窟の比喩)

>洞窟の中に閉じ込められた囚人は、洞窟に映る影絵のようなものだけしかみたことがなく、それが実体だと思っています。
しかし、いったんその囚人を外に連れ出し、光の溢れる実際の世界を見せたらどうなるでしょう。
最初はおそらく光がまぶしすぎて苦痛を感じるでしょう。
しかし慣れてしまうと、もう暗い洞窟の中には戻りたくなくなり、洞窟の中にいるものを哀れに思うようになるでしょう。


(アリストテレス)

アリストテレスの師プラトンは、対話によって真実を追究していく問答法を哲学の唯一の方法論としたが、アリストテレスは経験的事象を元に演繹的に真実を導き出す分析論を重視した。このような手法は論理学として三段論法などの形で体系化された。

アリストテレスによると、人間の営為にはすべて目的があり、それらの目的の最上位には、それ自身が目的である「最高善」があるとした。人間にとって最高善とは、幸福、それも卓越性(アレテー)における活動のもたらす満足のことである。幸福とは、たんに快楽を得ることだけではなく、政治を実践し、または、人間の霊魂が、固有の形相である理性を発展させることが人間の幸福であると説いた(幸福主義)。
また、理性的に生きるためには、中庸を守ることが重要であるとも説いた。中庸に当たるのは、恐怖と平然に関しては勇敢、快楽と苦痛に関しては節制、財貨に関しては寛厚と豪華(豪気)、名誉に関しては矜持、怒りに関しては温和、交際に関しては親愛と真実と機知である。ただし、羞恥は情念であっても徳ではなく、羞恥は仮言的にだけよきものであり、徳においては醜い行為そのものが許されないとした。


これはプラトンが説いた道徳律を、より論理的、理性的に位置づけることになります。
その代わりに、作り上げた至高善が人為的なものとなり、後にヘーゲルが陥ったと同じように、思念の結果が人々を束縛する事になった。
(参考までにヘーゲルの国家論を紹介します)
 「世界史は自由の意識の進歩である」と考えるヘーゲルは、有名な弁証法によって、歴史の進展を記述しました。つまりヘーゲルにとって歴史とは、テーゼ、アンチテーゼ、そしてジンテーゼの三段階を経て発展していくのです。

 ヘーゲルはこの弁証法を道徳にも適用させました。彼によれば道徳とは、個人の精神が達成すべきものなのではなく、むしろ国家によって達成されるべきであると言います。道徳が主観的であるのに対して、国家が設定する法は客観的です。ヘーゲルはこの両者の統合体を「人倫」と名付けました。この人倫もまた、テーゼ、アンチテーゼ、そしてジンテーゼの三段階で発展していきます。人倫におけるテーゼに該当するのは、「家族」で、アンチテーゼに該当するのが「市民社会」であり、そしてジンテーゼに該当するのが「国家」です。

 ここでいう家族とは、共同体の最小単位です。家族の各構成員は「愛情」によって結び付いています。しかし家族では、個人の独立性が阻害されてしまいます。それ故に自由も見当たりません。

 そこで家族のアンチテーゼとして市民社会が登場します。市民社会は、個々人が自由意志で結び付いている状態です。愛情は、端的に否定されます。代替的に、自由が得られます。

 しかしながら愛情を否定することには喪失感が伴います。それ故人間の幸福とは何なのかという疑念が生まれてしまいます。そこでこのテーゼとなる家族とアンチテーゼとなる市民社会を止揚したジンテーゼとして国家が導入されるのです。

 ヘーゲルにとって、国家は家族と市民社会の対立が止揚されることによって完成するものでした。彼は国家を市民社会や家族よりも高次元の絶対的な存在として解釈していたのです。こうして国家が完成すれば、人倫も達成されているので、もはや道徳を追求する必要もなくなります。

 ヘーゲルにとって、国家と市民社会の差異は自明でした。彼は市民社会を「欲望の体系」と呼んでいました。それは、自己自身の目的を達成するために他人を利用する社会を意味します。こうした個々人の欲望が衝突している市民社会に対して、国家は個々人の利益と全体の利益が一致すると言います。

 このように、ヘーゲルの家族・市民社会・国家論は、言わばあるべき理想の国家像を提起している点で特徴的です。

(引用終わり)

ヘーゲルは思考の結果としての理想国家から人間のあるべき姿を規定したのです。それがナチズムにつながります。
マルクスは、ヘーゲルとは違う手法で国家を考え(経済)、ヘーゲルの批判をしていましたが、結果的に同じ過ちを犯しました。

アリストテレスの解説以降、結論を急ぎすぎ不要な事を言ってしまいましたが、この件はそれぞれの書きこみの中で検証して行くことになるますので、読み飛ばしてください。


(登場する人物を挙げておきます)
                    (関連する思想家)
ソクラテス  ギリシャ哲学
プラトン   ギリシャ哲学(国家論)
アリストテレス ギリシャ哲学(倫理学)
ストア哲学   ストイックの概念     ゼノン
エピキュロス哲学 快楽主義
アウグスティヌス  キリスト教哲学
スコラ哲学  中世キリスト教哲学     トマス・アクナス
ダンテ   ルネッサンスの幕開け     コペルニクス
ルター   宗教改革
カルビン  宗教改革
マキャベリ 唯物論
ホッブス  唯物論
パスカル  ルネッサンス期の哲学     
デカルト  観念論
スピノザ  一元論
ヒューム  イギリス経験論       アダム・スミス、ジョン・デューイ(プラグマティズム)
ライプニッツ  単子論
ルソー    社会契約論
カント    観念論
ヘーゲル   唯物弁証法        フォイエルバッハ
ショーペンハウアー  愛の哲学
バートランド・ラッセル  心の哲学(自我論)
キルケゴール 実存主義
フッサール  現象論
フロイト   心理学
ユング    心理学         ヴント(ゲシュタルト心理学)
ニーチェ   孤高の精神
ベルグソン  生の哲学
マックスウエーバー  社会学
ハイエク   新自由主義(経済)
サルトル   実存主義       ハイデッガー
メルロポンティ  実証主義
マルクス   共産主義?      エンゲルス


(注記)

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Re: 哲学のはなし(考えるとは) ( No.1 )
日時: 2017/12/05 00:30
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:sdl19w96

ここでストア・エピキュロス哲学について

ストア哲学については

ストイックと言う言葉があるように
ストア派は世界の統一的な説明を形式論理学、非二元論的自然学、自然主義的倫理学によって構築した。中でも倫理学が人間の知の主な関心であると彼らは強調したが、後代の哲学者たちはストア派の論理学理論により関心を示した。
ストア派は破壊的な衝動に打ち勝つ手段として自制心や忍耐力を鍛えることを説いた。明朗で先入観のない思考によって普遍的理性(ロゴス)を理解することができると彼らは考えた。ストア派の最大の特徴は個人の道徳的・倫理的幸福を追求することにある: 「『徳』は自然と一致した『意志』にこそ存する この思想は対人関係のような分野にも適用される; 「憤怒、羨望、嫉妬から解放されることと奴隷をも「全ての人は等しく自然の産物なのだから他の人と対等だ[8]」と認めること。ストア主義は、非道な権力に抗する際や、災難の続く事態に対峙する際の慰めとなった。
平易に言えば禁欲主義と言えるでしょう。

それと対象に、快楽主義と言われる、エピキュロス哲学があります。

エピクロスは、哲学を概念と論証によって幸福を作り出すための活動と定義し、全生涯における幸福と快を密接に結びつけ、真の快とは、精神的なものであって徳と不可分であり、節制に基づく、心の平安であるとした。このことを「パンと水さえあればゼウスと幸福で勝つこともできる」と表現した。

このストア・エピキュロス哲学は、ともにキリスト教教義が広まる以前に、純粋に哲学的思考の結果としてギリシャ哲学の系譜を踏むものです。

そうして生まれた生の哲学も、その後のキリスト教教義を主題とした中世のスコラ哲学にとって代わられました。
キリスト教哲学の始まりは、アウグスティヌスとしても良いでしょう。

(アウグスティヌス)

アウグスティヌスの有名な言葉に、
>主よ、あなたが我々をお造りになりました。ゆえに我々の心はあなたのうちに憩うまで休まらない。

アウグスティヌスの自由意志論にパウロの影響を認めつつ、アウグスティヌスは罪を「無知」あるいは「無力」として捉え、人間には自由意志があっても善悪を判断する知識あるいは能力がないために、救いの根拠は「人間の」自由意志ではなく、「神の」自由な選びと予定である。
アウグスティヌス自身はプラトン・新プラトン主義(プロティノスなど)・ストア思想(ことにキケロ)に影響を受けていた。すでにギリシア教父はギリシア思想とキリスト教の統合に進んでいたが、アウグスティヌスにおいて新プラトン主義とキリスト教思想が統合されたことは、西洋思想史を語る上で外すことができないほど重要な業績である。またラテン教父の間にあったストア派ことにそれとともにマニ教のでもある禁欲主義への共感を促進したことも、キリスト教倫理思想への影響が大きい。


アウグスティヌスのよると、『神の国』には「二国史観」あるいは「二世界論」と呼ばれる思想が述べられている。「二国」あるいは「二世界」とは、「神の国」と「地の国」のことで、前者はイエスが唱えた愛の共同体のことであり、後者は世俗世界のことである。イエスが述べたように「神の国」はやがて「地の国」にとってかわるものであると説かれている。しかしイエスが言うように、「神の国」は純粋に精神的な世界で、目で見ることはできない。アウグスティヌスによれば、「地の国」におけるキリスト教信者の共同体である教会でさえも、基本的には「地の国」のもので、したがって教会の中には本来のキリスト教とは異質なもの、世俗の要素が混入しているのである。だが「地の国」において信仰を代表しているのは教会であり、その点で教会は優位性を持っていることは間違いないという。

アウグスティヌスの思想は、精神的なキリスト教共同体と世俗国家を弁別し、キリスト教の世俗国家に対する優位、普遍性の有力な根拠となった。藤原保信と飯島昇藏によれば、アウグスティヌスにあっては、絶対的で永遠なる「神の国」が歴史的に超越しているのに対して、「地の国」とその政治秩序はあくまで時間的で、非本質的な限定的なものに過ぎない。したがって政治秩序は相対化されるのであるが、アウグスティヌスがいわゆるニヒリズムや政治的相対主義に陥らないのは、政治秩序の彼岸に絶対的な神の摂理が存在し、現実世界に共通善を実現するための視座がそこに存在するからである。だからこそ基本的に「神の国」とは異質な「地の国」の混入した「現実の」教会は、それでもなお魂の救済を司る霊的権威として、「地の国」において「神の国」を代表するのである。ここに倫理目標の実現の担い手が国家から教会へ、政治から宗教へと移行する過程を見ることができ、古典古代の政治思想との断絶が生じた。

J・B・モラルによれば、アウグスティヌスの考えでは異教国家に真の正義はなく、キリスト教に基づく政治社会だけが正義を十分に実現できる国家であり、非キリスト教的な政治社会には「国家」 (Respublica) の名称を与えてはいない。アウグスティヌスは、国家を卑しい存在とし、堕落した人間の支配欲に基づくもので、その存在理由はあくまで神の摂理への奉仕で、それはカトリック教会への従属によって得られる。一方で『告白』に見られるような個人主義的に傾いた信仰と『神の国』で論じられた教会でさえも世俗的であるという思想は、中世を通じて教会批判の有力な根拠となり、宗教改革にも影響を与えた。

要するにアウグスティヌスはキリスト教教義に基づいた国家を作る事であり、何よりも先にキリストがいた。

その後キリスト教を迫害してきたローマ帝国(紀元前753年から紀元1453年)は次第にキリスト教を容認し国教の位置にまで高めた。
アウグスティヌス以降のキリスト教教義はスコラ哲学のかたちで広がりローマ帝国の理論的要となって言った。

スコラ哲学については、次に紹介しますが、ここではギリシャに興った自然な人間学(哲学)がキリスト教と結びつく事によって、ルネッサンス期を迎えるまで、本来の哲学の意味を失っていた。
メンテ
西欧の中世 スコラ哲学 ( No.2 )
日時: 2017/12/05 00:33
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:sdl19w96

スコラ哲学
スコラ学はラテン語「scholasticus」(学校に属するもの)に由来する言葉で、11世紀以降に主として西方教会のキリスト教神学者・哲学者などの学者たちによって確立された学問のスタイルのこと。このスコラ学の方法論にのっとった学問、例えば哲学・神学を特にスコラ哲学・スコラ神学などのようにいう。

スコラ学は決して特定の哲学や思想をさすものでなく、学問の技法や思考の過程をさすものである。スコラ学の「スコラ」とは英語の「School(学校)」と同源語であり、この言葉が入っていることからわかるように、当時の「修道院」において用いられた学問の技法と対照的なものであった。すなわちスコラ学の特徴は問題から理性的に、理づめの答えが導き出されることにあった。これに対して修道院で伝統的にとられていた学問のスタイルは古典の権威をとおして学ぶだけであり、研究者の理論的思考というものは必要とされていなかった点に違いがある。
スコラ学の究極の目的は問題に対する解答を導き出し、矛盾を解決することにある。スコラ学の最大のテーマは信仰と理性であるなどと言われ、神学の研究のみが知られているきらいがあるが、真の意味でのスコラ学は神学にとどまらず哲学から諸学問におよぶ広いものであった。「真の宗教とは真の哲学であり、その逆もまた真である」ということがスコラ学の基本的命題だと言われることもある。
スコラ学は西方教会のキリスト教においては大きな位置を占めたが、他方正教会では17世紀頃に西方教会からスコラ学を含め影響を蒙ったものの、19世紀以降の正教会では東方の伝統に則った見地から批判的に捉えられており、20世紀以降21世紀に入った現在においても、論理と理性に基盤を置く西方の神学は、静寂に基盤を置く東方の神学とは方法が異なると捉えられている。

通常のスコラ哲学は論理、形而上学、意味論などを一つの分野に統合したものであり、人間の事物理解を過去の文献によりながら深化させたものである。
盛期スコラ学の時代(1250年-1350年)、スコラ学の方法は神学はもちろんのこと、自然哲学、自然学(物理学)、認識論(≒科学哲学)などに応用されていた。スペインにおいては経済理論の発展に大きく寄与し、後にオーストリア学派へ影響した。ただ、スコラ学はやはりキリスト教の教義に束縛されるものであり、信仰そのものをゆるがすような質問は異端へ向けられない限り許されないものであった。

それ故に、中世ヨーロッパでは、スコラ哲学に反するものは異端と定義され、魔女狩りが横行し、地動説を唱えたコペルニクスも処刑された。

(ダンテ)

ここでダンテについて紹介しよう。
ダンテ(1265〜1321)はイタリアの哲学者であり詩人であった。彼の主著は「神曲」であり、
『神曲』は全三部で構成され、『地獄篇』34歌、『煉獄篇』33歌、『天国篇』33歌よりなる。最初の『地獄篇』の第一歌は、地獄界に入る以前、ダンテが暗い森で道に迷っていると、ダンテがかねて私淑していた古代ローマの大詩人ウェルギリウスの霊と出会い、その導きで、地獄・煉獄・天国へと旅を開始する発端がうたわれている。従って、三つの世界それぞれについて、33歌づつの構成である。

『地獄篇』では、ダンテたちは、地下に降りる。地獄は、地下にある大きな空洞で、すり鉢の形をしており、すり鉢の表面に棚のように幾つもの段があり、そこはかなり広い。この段にある世界が地獄で、地上に近い部分から地下の最深部まで段=地獄の圏が続いている。ここでダンテは、段を一つづつ下に降りながら、罪を犯したが故、永遠に天国には行けないで苦しむ罪人たちの姿を見る。様々な罪に応じて、別の圏があり、下に降りるほど、重い罪となっている。九圏の地獄の最深奥、地球の中心に当たる、すり鉢の一番底には、氷があり、氷に逆立ちに半身を埋められた大悪魔ルチーフェロ(サタン)がいる。
『煉獄篇』では、ルチーフェロの傍らを通って、ダンテ達一行は、地球のなかに開いた地下道を伝って、地球の反対側、丁度、エルサレムの反対の場所にある「煉獄界」へと至る。煉獄界は、地獄に落とされるほどではないが、生前やはり罪を犯した人々が、魂を浄化されている。煉獄は、円盤型の世界を、大きな円盤の上により小さな円盤を積んだように、段階状になっている。これを「煉獄山」とも云い、下の段から順に、浄化された人は、一段上の段へと昇って行く。ダンテたちは、七冠の煉獄の段を上り、最上界・山頂の「地上の楽園」に至る。

『天国篇』では、これまで導いてきたウェルギリウスが、自分が導けるのは煉獄の山頂までだと云い、代わって、永遠の処女ベアトリーチェが、ダンテを導いて、天上世界へと昇って行く(ウェルギリウスは、キリスト出現以前に生き、敬虔な魂を持っていた善なる詩人などが住む「リンボー」という世界にいたが、ベアトリーチェの依頼で、ダンテを導いてきた)。天上世界は、プトレマイオスの地球中心の宇宙観に従っており、月、水星、金星、太陽、火星、木星、土星、そして恒星までの第一天から第八天まであり、更にその上に、第九原動天がある。そして第十至高天(エンピレオ)があり、諸天使、諸聖人が、天上の薔薇を構成している。ダンテは、三重の三重なる至高者を前に、瞬間の見神体験を持つ。

この中に書かれている世界は、キリスト教教義の中の人間の生き様であり、非常に陰鬱な世界である。
このような著作を通じて、ダンテは、その後に展開するルネサンス文化の先駆者と位置付けられている
ローマ帝国の末期はキリスト教と結びついた宗教国家であり陰鬱で停滞した時代であった。
特定の宗教が国家と結びつくことの弊害のすべてを実践していた時代である。

長い間の暗黒の中世の後、ルネッサンスと言う時期が訪れ、西欧の人々は1000年ぶりに人間性を取り戻した。
哲学においても文芸においても、生き生きとしたものが続出した時代である。
メンテ
宗教改革の話し ( No.3 )
日時: 2017/12/02 22:57
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:pGaS8mow

ルネッサンス期の哲学に触れる前に宗教改革について書きましょう。
中世の終焉を待って、キリスト教内にもローマカソリックを批判する者が出てきました。
ルターとカルヴァンです、哲学の領域ではありませんが、この二人の影響は、その後の世界に大きな影響を及ぼしました。

(ルター)

マルティン・ルター(Martin Luther、1483年11月10日 - 1546年2月18日)は、ドイツの神学者、教授、作家、聖職者である。
1517年に『95ヶ条の論題』をヴィッテンベルクの教会に掲出したことを発端に、ローマ・カトリック教会から分離しプロテスタントが誕生した宗教改革の中心人物である。

そんなルターは宗教改革の中心人物となったことでプロテスタント教会の源流をつくった。聖書をキリスト教の唯一の源泉にしようというルターの呼びかけはプロテスタント諸教会のみならず、対抗改革を呼び起こしたという意味でカトリック教会にも大きな影響を与えた。宗教上の足跡のみならず、ヨーロッパ文化、思想にも大きな足跡を残した。たとえばルターの手によるドイツ語聖書が、近代ドイツ語の成立において重要な役割を果たしたことや、自ら賛美歌をつくったことなどが挙げられる。カタリナ・フォン・ボラという元修道女と結婚したことでプロテスタント教会における教職者、牧師の結婚という伝統をつくったことでも知られる。キリスト教会の分裂(シスマ)はルターの本来の意図ではなかったが、彼の影響下で福音主義教会(ルター派教会)とアウクスブルク信仰告白が形成された。
ローマ・カトリック側はルターを「異端者」、「好色家」、「犯罪人」と呼んで批判した。ヨハネス・オッホレウス著『マルティン・ルターの行為と著作についての注解』がその代表作の一つである。ドミニコ会のハインリッヒ・デニフレの『原資料によるルターおよび発展初期のルター主義』は、ルターが肉欲的な動機でもって宗教改革を行ったとしている。イエズス会のハルトマン・グリザールの『ルター』は、ルターを「誇大妄想狂の精神異常者」と判断している。

要するにスコラ的観念に染まったローマカソリックを批判し、聖書の解釈を中心としたキリスト教を説こうとした。

それに続いて
(カルヴァン)
ジャン・カルヴァン(フランス語: Jean Calvin、1509年7月10日 - 1564年5月27日)は、フランス出身の神学者。マルティン・ルターやフルドリッヒ・ツヴィングリと並び評される、キリスト教宗教改革初期の指導者である。
「カルヴァン神学の中心教義は予定説(二重予定説)であると言われている。
予定説に従えば、その人が神の救済にあずかれるかどうかはあらかじめ決定されており、この世で善行を積んだかどうかといったことではそれを変えることはできないとされる。例えば、教会にいくら寄進をしても救済されるかどうかには全く関係がない。神の意思を個人の意思や行動で左右することはできない、ということである。これは、条件的救いに対し、無条件救いと呼ばれる。神は条件ではなく、無条件に人を選ばれる。神の一方的な恩寵である。
救済されるのは特定の選ばれた人に限定され、一度救済にあずかれた者は、罪を犯しても必ず神に立ち返るとされる。これは、聖徒の堅忍と信仰後退者の教理である。

(ピューリタン)
ピューリタン(英語: Puritan)は、イングランド国教会の改革を唱えたキリスト教のプロテスタント(カルヴァン派)の大きなグループ。市民革命の担い手となった。日本語では清教徒と訳される。

清教徒。エリザベス1世の宗教改革を不徹底とし、聖書に従ってさらに徹底した改革を進めようとしたイギリス・プロテスタント。その思想的背景はカルビニズムで、その改革運動は16世紀から17世紀に及ぶ。国教会(イングランド教会)にとどまり内部からの改革を志向するもの、それからの分離こそ改革の第一歩とするもの、ピルグリム・ファーザーズのように国外に脱出して理想を実現しようとするものがいたが、カルバン主義的改革を目ざした長老派を中心に、独立派、バプティスト派、クェーカー派、水平派、ディガーズ、第五王国主義者などの諸派に分かれる。彼らの改革運動は、礼拝改革から教会政治改革に移り、さらに政治的改革へと向かった。国教会の弾圧のなかにも説教運動やクラシス運動などによって共鳴者を増やし、ジェームズ1世時代には、彼らの要求によって『欽定(きんてい)訳聖書』(1611)が現れる。ついにチャールズ1世のとき革命が起こり、ピューリタンはクロムウェルのもとに王政を倒し、共和政を樹立した。『失楽園』の詩人ジョン・ミルトンはその秘書であった。しかし共和政は11年で終結し、王政復古、国教会の復活となり、ピューリタンはやがて非国教会派となる。聖書主義、簡素な霊的礼拝の強調、神への強烈な責任意識、聖なる共同体の建設などがピューリタンの中心的主張であった。また政治的、経済的にも、近代社会の形成に果たした役割は大きいとされている。

ここで説明が必要と思う。
上ではさりげなく書かれているが、

>聖書主義、簡素な霊的礼拝の強調、神への強烈な責任意識、聖なる共同体の建設などがピューリタンの中心的主張であった。

この文章が問題なのです。
神への強烈な責任意識、それが現世に向けられたとき、それが政治・経済の分野への実質的関与となって現れる。
宗教改革の大命題、人間性の復活が、そこには介在する。
要するに聖書は重宝するが聖書に書かれてない分には人間性を限りなく発露することによって社会に奉仕できるとする思いが、責任感と裏合わせになっている。

ピューリタン革命以後、アメリカ大陸へ向かったピューリタン達の、その後の目覚ましい展開が、その原動力となっている。
自身の罪も神と直接対話する告解、懺悔などによって許されるとする傾向が強くなっている。
まさにアメリカ社会の姿であるのだ。

イギリスのピューリタン革命はドイツ地方のサクソン地方から移住した民族が主流となっていますが、実は、そこにユダヤ民族も入っていました。
アングロサクソン流として、非難しているやりかたは、この時から始まりました。

金融業に従事していたユダヤ人が、晴れて汚い職業からキリスト教に認知され陽の目を浴びる事になったのです。

要するに中世のローマカソリックによって人々は全人生を抑制させられていた。
それを宗教改革にとって聖書は重要であるが聖書以外の領域では人間らしく振る舞えば良いことになった。
人間性の解放である。

その後の人間社会の発展はすさまじいものであるが、同時に資本主義と民主主義は無制限の我欲も開放する事になった。

それを諸手を挙げて賛同できるか、否かが課題になるでしょう。



メンテ
ルネッサン期の世界 ( No.4 )
日時: 2017/12/02 22:37
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:pGaS8mow


美術史において レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラフ
ァエロ という3人の巨人が現れたのもこの時代です。

  そして、ルネサンスにはもう1つ、「神のことばっかり考えないで、
私たち人間自身に関心を向けよう ! 」 という人間中心主義という
面があります。

 人々がその関心を神から人間に移した様は、この頃に著された
『デカメロン』 という人間観察物語集からも窺い知ることができ、こ
の物語集はダンテの 『神曲』 に対して 『人曲』 と呼ばれています。

  中世においては、神と被造物の間には越えることのできない深
淵が横たわっていましたが、ルネサンスになると、神は自然の中
にも表れていると考えられるようになり、自然は肯定され、自然は
神々しいものとなりました。

  その表れとして、中世までは存在しなかった風景画というものが、
ルネサンス以降、描かれるようになっていきます。


  歴史の流れを図式的イメージで言うと、近代以降というのは、1
本の川が海に近づいて扇形に広がっていくように、社会の幅が一
気に広がっていくような感じがあります。

  社会の幅は広がっていくのですが、同時に、この世界が(複雑
にではなく)単純になったのが近代という時代です。

 いま、テーブルの上にコップがあるとします。

  近代的な感覚で言うと 「ここにコップがある」 という、ただそれ
だけのコトです。

  しかし、中世的世界観で考えると、このコップは 「どのように使
われるのか」 という目的と、製作者の意図、さらに形相を抜きにし
ては考えられません。

  また、ガリレオがピサの斜塔から鉄球を落とすとします。

  近代的な感覚では、「重力によって鉄の球が落下する」 という
コトになります。

  それに対して中世的な感覚で言うと、この鉄球の運動は、より
良い秩序を目指すためのものであるとされます (火は上方に、鉄
は下方に存するのが世界の秩序である)。

  さらに、この鉄球の運動は、始動因、目的因、質料因、形相因
という4つの原因をもっており、始動因は鉄球を落とした人ガリレ
オ、またはガリレオの意思だとされます。

  加えて、この鉄球の運動には神の意思や奇跡の介在する余地
もありました。

  落語で、イヌの眼を義眼にしたら電柱に小便をひっかけたくなっ
たという話がありますが、この場合、イヌの眼は死んだ物体ではな
く、生きたイヌ全体とつながっているワケです。

  ここで言う中世的世界観とはつまりアリストテレスの世界観です
が、以上のように近代以前においては、この世界はさまざまな意味
にあふれていたと言えます。

  ルネサンス期まで1000年にわたって常識となっていたアリスト
テレスの世界観を 「物活論的世界観」 といい、以下で説明するデ
カルトの世界観を 「機械論的世界観」 といいます。

  ちなみに、デカルトとガリレオ・ガリレイ (1564 〜1642) は同時
代の人で、科学史において ガリレオ−ケプラー−ニュートン によ
る物理学的進歩を 「科学革命」 と言います。

ガリレオは、木星の衛星や土星の輪を発見したことや、振り子
の原理、落体の法則などで有名ですが、それ以上に重要なのが、
「仮説を立てて、実験でそれを証明する」 という、科学の手法その
ものを確立した点にあります。

これは 「問題は頭の中でひたすら考えれば解ける」 というアリ
ストテレス的な理性への過信から、転じて 観察や経験、実験とい
う手法に目が向けられたということでもあります。

  ところで、これは哲学史の範囲を超えることですが、14世紀から
16世紀にかけて、ルネサンス、宗教改革、科学革命、大航海時代、
魔女狩り が同時並行的に起こっており、このことからも大変革の
時代だったというのがわかります。
 
  ルネサンスは人文主義(ヒューマニズム)と言われますが、同時
にこのルネサンス期には、魔女狩りや、残酷なアメリカ大陸征服と
いった反人文主義(アンチヒューマニズム)的なものも全盛であった
という面もあったということです。


  大局的にみると、これ以降世界の歴史は欧米の1人勝ち状態
へと進んでいきますが、それはひとえにヨーロッパが科学というバ
ケモノを発明したことによっています。

  ガリレオに始まる 「科学革命」(その結果である産業革命も含め
て)は、人間の歴史の中で、紀元前8000年頃に起こった 「農業革
命」、前3000年頃の 「都市革命」、前800年頃の 「商業革命」 につ
づく4つ目の革命だといえますが、私たちの時代もその余波の範囲
内にあるといえるでしょう。

  それまで世界の極西に位置する寒い辺境の地にすぎなかった
欧州が、ただ1つ 「科学」 という武器を手に入れたことによって、
遅ればせながら “近代デビュー” を果たしました。

  青春用語に “高校デビュー”“大学デビュー” という言い方があ
りますが、デビューが遅い者の方が限度なく突き抜けてしまったり
します。

  「科学−産業革命」 以降のヨーロッパのハチャメチャさを考える
と、それと通じるところがあるような気がします (※)。


メンテ
ルネッサンス期の哲学者 ( No.5 )
日時: 2017/12/02 22:42
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:pGaS8mow

マキャべり、ホッブス、パスカルを紹介するが、他にも多くの哲学者が輩出し、それぞれの主張は神などと言う存在も、ギリシャ時代の様な形而上学的な認識もなく、人間自身を見つめることから始まった。

それ故に、時代は遡ってもギリシャ哲学と同じ様に人間の本質に基づくものなので現代でも生きている思想である。



(マキャベリ)

@
どんな手段でも、また、たとえ非道徳的行為であっても、結果として国家の利益を増進させるなら許されるとする考え方。イタリアの政治思想家マキャベリの思想から。
A
目的のためには手段を選ばないやり方。権謀術数主義


ニッコロ・マキャヴェッリ(イタリア語: Niccolò Machiavelli, 1469年5月3日 - 1527年6月21日)は、イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。
著書に『君主論』、『ティトゥス・リウィウスの最初の十巻についての論考(ディスコルシ)』、『戦術論』がある。理想主義的な思想の強いルネサンス期に、政治は宗教・道徳から切り離して考えるべきであるという現実主義的な政治理論を創始した。日本語では「マキャヴェリ」「マキャベリ」「マキァヴェリ」「マキァヴェッリ」など様々な表記が見られる。
(マキャベリの君主論)
マキャヴェッリは理想国家における倫理的な生活態度にこだわり、現実政治の実態を見落とすことは破滅をもたらすことを強く批判しており、万事にわたって善行を行いたがることの不利益を指摘する。君主は自身を守るために善行ではない態度をもとる必要がある。あらゆる君主はその気質が評価されるが、一人の君主があらゆる道徳的な評判を勝ち得ることは原理的に不可能であり、自分の国家が略奪されるような重大な悪評のみを退けることになる。しかしながら自国の存続のために悪評が立つならばそのことにこだわらなくてもよい。なぜならば、全般的に考察すると、美徳であっても破滅に通じることがあり、逆に悪徳であっても安全と繁栄がもたらされることが、しばしばあるからである。

現代社会では顰蹙を買う内容であるが、キリスト教教義の全盛時代にこれを主張したのは特記すべき内容である。
なを、マキャベリズムは現代にも息づいている。


(ホッブス)

トマス・ホッブズ(Thomas Hobbes、1588年4月5日 - 1679年12月4日)は、イングランドの哲学者である。17世紀の近世哲学にあって、ルネ・デカルトなどと共に機械論的世界観の先駆的哲学者の一人であり、バールーフ・デ・スピノザなどとともに唯物論の先駆的思索を行った哲学者の一人である。政治哲学者として側面は広く周知され、人工的国家論の提唱と社会契約説により近代的な政治哲学理論を基礎づけた人物として一般的に知られる。

ホッブスの国家論(リバイアサン)
この著作において、ホッブズは人間の自然状態を闘争状態にあると規定する。彼はまず、生物一般の生命活動の根元を自己保存の本能とする。その上で、人間固有のものとして将来を予見する理性を措定する。理性は、その予見的な性格から、現在の自己保存を未来の自己保存の予見から導く。これは、現在ある食料などの資源に対する無限の欲望という形になる。なぜなら、人間以外の動物は、自己保存の予見ができないから、生命の危険にさらされたときだけ自己保存を考えるからである。ところが人間は、未来の自己保存について予見できるから、つねに自己保存のために他者より優位に立とうとする[2]。この優位は相対的なものであるから、際限がなく、これを求めることはすなわち無限の欲望である。しかし自然世界の資源は有限であるため、無限の欲望は満たされることがない。人は、それを理性により予見しているから、限られた資源を未来の自己保存のためにつねに争うことになる。またこの争いに実力での決着はつかない。なぜならホッブズにおいては個人の実力差は他人を服従させることができるほど決定的ではないからである。これがホッブズのいう「万人は万人に対して狼」、「万人の万人に対する闘争」である。
ホッブズにおいて自己保存のために暴力を用いるなど積極的手段に出ることは、自然権として善悪以前に肯定される。ところで自己保存の本能が忌避するのは死、とりわけ他人の暴力による死である。この他人の暴力は、他人の自然権に由来するものであるから、ここに自然権の矛盾があきらかになる。そのため理性の予見は、各自の自然権を制限せよという自然法を導く。自然法に従って人びとは、各自の自然権をただ一人の主権者に委ねることを契約する。だが、この契約は、自己保存の放棄でもその手段としての暴力の放棄でもない。自然権を委ねるとは、自然権の判断すなわち理性を委ねることである。ホッブズにおいて主権は、第一義的に国家理性なのである。また以上のことからあきらかなように、自然状態では自然法は貫徹されていないと考えられている。

道徳律などの観念論が謳歌していた時代、いわゆる唯物論として登場した。
これはヘーゲルなど、後世の論理的唯物論とは異なります。


(パスカル)

有名な「人間は考える葦である」とは、人間は自然の中では矮小な生き物にすぎないが、考えることによって宇宙を超える、というパスカルの哲学者としての宣言を表している。それは人間に無限の可能性を認めると同時に、一方では無限の中の消えゆく小粒子である人間の有限性をも受け入れている。パスカルが人間をひとくきの葦に例えて記述した文章は、哲学的な倫理、道徳について示した次の二つの断章である。そこでは、時間や空間における人間《私》の劣勢に対し、思惟(そして精神)における人間《私》の優勢が強調されている。
 人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ねることと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない。
 だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある。われわれはそこから立ち上がらなければならないのであって、われわれが満たすことのできない空間や時間からではない。だから、よく考えることを努めよう。ここに道徳の原理がある。
— パスカル、『パンセ』、前田陽一、由木康訳、中公文庫、1973年、225頁。
 考える葦。
 私が私の尊厳を求めなければならないのは、空間からではなく、私の考えの規整からである。私は多くの土地を所有したところで、優ることにならないだろう。空間によっては、宇宙は私をつつみ、一つの点のようにのみこむ。考えることによって、私が宇宙をつつむ。

パスカルは、自身が実験物理学者としての側面を持っているからということもあるが、個別の事物事象、個別的な事例への観察から帰納的な思弁を行う哲学者であり、その結果、「パスカルの賭け」などを含めて実存主義的な思索を残した。そして、完全に明晰な真理とされるものをも懐疑し続けた。これは、同時代(17世紀)の思想を代表する合理主義哲学者ルネ・デカルトが、「明晰判断」を重視する演繹的な証明によって普遍的な概念を確立しようとしていたことと比較して対極的である。
メンテ
観念論と唯物論 ( No.6 )
日時: 2017/12/03 14:53
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:fP2L1Dqg

中世を抜け出し、いよいよ近世、近代の哲学であるが、中世の抑圧から解放された哲学は、一気に花開く事になる。
始めのうちは、デカルトなどの観念論が主流で、これはドイツ観念論としてカントで最高調に達したと言って良い。
観念論と同時に唯物論も萌芽し近代哲学の主流になっていく。
観念論、唯物論と言っても、それは人間性の捉え方の問題であり異質の哲学と言う意味ではない。
唯物論はやがて医学、科学の発達により、より精密な認識にいたり現象学、実証主義へ走る事になり、逆に本来の哲学の目的からは逸脱するようになる。

現代の哲学は、社会的にその地位を失ったように見えるが、それは科学、医学、情報の発達により、過去の哲学体系では人々を納得させられない状況に陥っていると言うだけで、哲学を必用とする人間の心情には変わりはない。
いきなり結論の様な事を言ったが、哲学の系譜の本題は、これからである。
最初に観念論と唯物論の大きな違いから説明する。

唯物論は、現代の支配的な世界観で、今ふつうだと捉えられている考え方です。実在は物質のみ。そこに備わる性質が相互に機械的に作用して、世界や生命などが形作られる。思考や感情も同様の働きで生じているとします。マルクスのはここに歴史的な進歩観が入っているのでちょっと違うようですが、同じようなものではあります。

観念論は、その正反対で、精神の働きがすべてを捉えているのであって、実在かどうかの証明は不可能。すべては観念であるとします。他人がいるかどうかとか、世界が存在するのかどうかは、結局は自分の精神が捉えているものだから、「客観的」であることは理論的に不可能、というものです。精神の働きがなければ世界の認識も不可能だからです。
これらはぜんぜん相容れませんが、どちらが正しいとも言えません。前者から見ると後者は「無意味」、後者から見ると前者は「あまりにも素朴」です。

唯物論の歴史

インドにおける唯物論とは一般にチャールヴァーカおよびローカーヤタ(順世)を指しており、彼らの著作としては8世紀後半の『タットヴァ・ウパプラヴァ・シンハ』が残るのみであるが、他にバラモン哲学や仏教やジャイナ教の諸文献に、彼らの思想内容への言及やそれに対する批判が数多く残されている。それらの資料から推察するにそれは、真の実在は地・水・火・風の四元素のみだとし、身体や感覚器官なども四元素の集合に対して人為的に名称をつけたまでである、とし、知覚のみが唯一確かなpramana(認識手段)であるとし、人が目指し得る最高の目的は解脱でも天界でもなく、ただ現世における最大限の快楽に尽きる、との主張であった。
「唯物論」と言う呼び名は、17世紀西欧に遡る。17世紀末、ライプニッツは、すべての実体を物体的なものであるとするエピクロスにならう者たちを『materialistes』と呼び、デモクリトス主義者やホッブスの名をあげ、不敬を醸成する者たちとした。同時に、自然学において目的因を認めない機械論的哲学や原子論を敬虔にとって危険なものとした。

古代ギリシャ哲学において、レウキッポスの原子論を承けたデモクリトスは、決定論的原子論を展開した。知覚・思考を含めて万物を原子論的に説明したと伝えられている。宗教批判と快楽主義で知られるエピクロスは、経験主義的立場からデモクリトスの決定論を緩和した理論を展開した。彼らの著作は断片しか残らず、ディオゲネス・ラエルティオス著『哲学者列伝』、ルクレティウスの哲学詩『事物の本性について』が、後世に概要を伝えた。これらの著作は、ルネッサンス期にラテン語に翻訳され、哲学に新風を吹き込むものとして西欧知識人の間で受け入れられた。

17世紀、フランスの哲学者ガッサンディは、キリスト教と融和を図ったエピクロス的原子論を展開する。イギリスの哲学者ホッブスは『リヴァイアサン』を著し、生命を物体的なものとし、国家もまた人によって作られた人工的人間に過ぎないとして、政治・社会を論じ、ローマ・カトリック教会を批判した。

18世紀、自然科学の進展により目的因による説明は衰退する。啓蒙時代、フランス唯物論の系譜が生れる。生理学的知見の増加を背景にして、思考なども脳の働きとして説明できるとするラ・メトリは、『人間機械論』を著した。またディドロらは『百科全書』を企画し、教条的・キリスト教的学問体系に抗して、知識を経験主義的に関連付ける立場を採った。その後、エルヴェシウス『精神論』、ドルバック『自然の体系』等が、こうした思想を詳述した。

19世紀、ドイツの哲学者ヘーゲルは、唯心論も唯物論も共に事態の一面を見ているに過ぎないとし、感覚も類的性質を持ち生理学のみでは解けないとした。その後、ヘーゲル学派は宗教にたいする見方をめぐって分裂し、フォイエルバッハは、ヘーゲルを批判して、神性とは人類の本質の反照であるとする唯物論を展開した。フォイエルバッハの現実的人間主義の立場を受け継いだマルクスとエンゲルスは、従来の人間機械論的あるいは生理学的な唯物論はその時代に制約されたものであったとして、ヘーゲルの弁証法を継承した唯物論を展開した。これを弁証法的唯物論という。 19世紀は後に「科学の世紀」と呼ばれるほどの自然科学の発達した時代であり、K・モレスコット(1871〜95)、J・フォークト(1822-93)、ルートヴィヒ・ビューヒナーらは、自然科学的な知のみを体系化することによって哲学は不要になると主張するようになった。他方、弁証法的唯物論の立場をとったソビエト科学アカデミーは、モレスコットらの生理学的な唯物論は浅薄で俗流の唯物論であると結論づけた。

ここであまりにも有名なマルクスが出てくるが、マルクスの致命的な錯誤と言うのは、マルクスは唯物論を進める媒体として貨幣の有り様(経済)を選んだ事にある。
観念論にせよ唯物論にせよ、それは哲学として人間の認識の領域の問題であり、どの哲学も、それによって人間社会を完結させられるものではなかった。
マルクスが使った実証の方法は、あまりにも現実的手法であり、それで哲学としての使命(人間性の把握)が出来たと思うのが間違っていた。

レーニン、スターリンによってマルクスの世界が強引に実践されたが。結局は多くの人々の人間性を、それによって抱合出来なかった。
念の為に断っておきますが、共産主義と言う考え方は、マルクス主義を指すのではなく、広く一般の定義であり、マルクス主義だけが共産主義の代名詞では決してない。
多くの人は共産主義の概念(本人の)とマルクス主義を重ね合わせている。
メンテ
デカルト、スピノザ ( No.7 )
日時: 2017/12/03 17:03
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:fP2L1Dqg

(デカルト)

「我思う、故に我在り」の言葉で知られている、デカルトは、フランス生まれの哲学者、数学者。合理主義哲学の祖であり、近世哲学の祖として知られる。

その主著は『方法序説』の概要を少し紹介するが、考え方の方向性を認知されるだけで良いかと思う。

第1部は「良識(bon sens)はこの世でもっとも公平に配分されているものである」という書き出しで始まる。ここでの良識は理性と同一視できるものとされる。健全な精神を持っているだけでは十分ではない。この序説の目的は、理性を正しく導くためにしたがうべき方法を教えるというより、デカルト自身が種々の心得や考察に至るまでにどのような道筋をたどったかを示すことである、と宣言する。学校での全課程を修了し「珍奇な学問 Sciences occulte」まで渉猟しつくしたにもかかわらず、多くの疑惑にとらわれている自分を発見したデカルトは、語学・歴史・雄弁・詩歌・数学・神学・スコラ学・法学・医学は、有益な学問ではあるがどれも不確実で堅固な基盤を持っていないことが分かり、文字の学問をすっかり投げ打つことにした、と語る。

第2部は、三十年戦争に従軍してドイツにいたときの思索について述べる。有名な「暖炉」に一日中こもって、最初に考えたことは一人の者が仕上げた仕事はたくさんの人の手を経た仕事に比べて完全であり、一人の常識ある人間が自分の目の前の事柄に単純に下す推論は多くの異なった人々によって形成された学問より優れている、ということだった。賛成者が多いということは、発見しがたい真理に対しては何の価値もない証明である。したがってデカルトはその時まで信頼して受け容れてきた意見から脱却することを志した。その際に精神を導く4つの準則として

私が明証的に真理であると認めるものでなければ、いかなる事柄でもこれを真なりとして認めないこと
検討しようとする難問をよりよく理解するために、多数の小部分に分割すること
もっとも単純なものからもっとも複雑なものの認識へと至り、先後のない事物の間に秩序を仮定すること
最後に完全な列挙と、広範な再検討をすること
を定めた。これによりデカルトは代数学や他の諸科学を検討して、理性を有効に活用し得たと感じたが、それらの諸科学の基本となるべき哲学の原理を見いだしていないことに気づく。このとき彼は23歳であったが、もっと経験を積み円熟した年齢になるまで、悪い見解や誤謬を自分から根絶するために多くの時間を費やすことを決意する。
第3部は、理性が不決断である間でも自分の行為を律し幸福な生活を送るためにデカルトが設けた3つの道徳律を紹介する。
自分の国の法律と習慣に従うこと。

一度決心したことは断固かつ毅然として行うこと。
つねに運命よりも自分に克つことにつとめ、世界の秩序よりも自分の欲望を変えるように努力すること。
デカルトは理性を教化し自分が自分で決めた方法に従って真理の認識に近づくことを、自分にとって最善の職業と考えた。暖炉部屋を出て、9年間は世間を見て歩き、疑わしいもの・誤謬を観察反省し、1628年いよいよ哲学の基礎を定めるため、オランダに隠遁することにした。

第4部でデカルトは、少しでも疑問を差し挟む余地あるものは疑い、感覚・論証・精神に入りこんでいた全てを真実でないと仮定しても、一切を虚偽と考えようとする「私」はどうしても何者かでなければならないことに気づく。フランス語で書かれた『方法序説』の「Je pense, donc je suis」私は考えるので私はあるを、デカルトと親交のあったメルセンヌがラテン語訳し「Cogito ergo sum」「我思う、ゆえに我あり」コギト・エルゴ・スムとした。この命題は、我々が明瞭かつ判然と了解するものはすべて真実であることを一般規則として導く。その規則からデカルトは、さらに神の存在と本性・霊魂について演繹している。

第5部で、公表を控えていた論文『世界論』(『宇宙論』)の内容を略述する。

第6部では、ガリレイの審問と地動説の否認という事件が、デカルトに自分の物理学上の意見の公表を躊躇させたと述べる。人間を自然の主人とするための生活にとって有用な知識に到達することは可能であり、それを隠すことはデカルトにも大罪と思われた。実験や観察は重要であり、公衆がそれから得る利益を互いに公開することが今後大切になるはずだと。しかし、ガリレオ事件で教訓を得たデカルトは、まだ発見されていない若干の真理を探究する時間を失わないために、反駁や論議を招くような自分の著書は生前に出版することを断念することにした。しかし自分が著作を用意していたことを知る人々に意図を誤解されないよう、1634年になって書かれた論考から慎重に選ばれた『屈折光学』『気象学』『幾何学』に『方法序説』を附して公表することに同意した、と述べる。

(スピノザ)

 さて、デカルトは実体として三つをたててしまい、「精神」と「物体」についてそのありようを考察していったわけですが、結局ほころびが出てしまいました。スピノザはそのデカルトの「無理」をやめて、正直にしたものだと言い得るでしょう。
 「無理」というのは、いうまでもなく「精神」と「物体」までも実体としてしまったことです。もともとこの二つは「神」に依存していました。ですから、もともと実体なんぞにできるわけがなかったのです。実体は「神」だけです。こういう「唯一」の実体で説明する立場を「一元論」と言い、スピノザはその代表です。

スピノザは1632年オランダに生まれた、主著は『エチカ』であり倫理の問題を取り上げている。

まずスピノザは万物に原因があり、またそれ以上探求することができない究極的な原因が存在すると考える。この究極的な原因が自己原因(causa sui)と定義されるものであり、これは実体、神、自然と等しいと述べる。神は無限の属性を備えており、自然の万物は神が備える無限の属性の様態の一種である。このような汎神論の観点に基づけば、神こそが万物の内在的な原因であり、そこから神の自由を導き出すことができる。スピノザは人間が本来的に自然であることを否定し、汎神論の元での決定論を主張する。神から派生する無限の属性の中から人間の幸福の認識に寄与する要素を抽出するためには人間の身体と精神について考察することが必要であり、スピノザは感覚的経験に基づいた認識の非妥当性を指摘する。そした万物が有限の時間の中に存在し、外部の力によってしか破壊されない自己を存続させる力『コナトゥス』の原理に支配されているとし、人間の感情もこのコナトゥスによって説明した。また人間の感情とは欲望、喜び、悲しみの三種類から構成されており、例えば外部の原因の観念を伴う喜びが愛であり、外部の原因の観念を伴う悲しみが悩みであると理解する。

この感情を制御することができない無力こそが人間の屈従の原因であり、理性の指導に従うことで自由人となることができると論じる。本来的に不自由な人間が自由を獲得するためには外的な刺激による身体の変化に伴って生じる受動的な感情を克服する必要がある。そのことによって人間は感情に支配される度合いを少なくし、理性により神を認識する直観知を獲得することができる。スピノザは直観知を獲得して自由人となることに道徳的な意義を認め「すべて高貴なものは稀であるとともに困難である」と述べて締めくくっている。

スピノザの汎神論は新プラトン主義的な一元論でもあり、後世の無神論(汎神論論争なども参照)や唯物論に強い影響を与え、または思想的準備の役割を果たした。生前のスピノザ自身も、無神論者のレッテルを貼られ異端視され、批判を浴びている。
マルクスは哲学的にはスピノザの影響を受けているとみられている。

デカルト、スピノザ共にギリシャ哲学との人間性の捉え方が異なってきている事に注意ありたし。

メンテ
ヒューム、ライプニッツ ( No.8 )
日時: 2017/12/03 17:24
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:fP2L1Dqg

次にイギリスで広まった経験論について説明する。
当時、単子論(ライプニッツ)人間機械論、社会契約論(ルソー)など、いろいろな切り口で人間及び人間社会を把握することが試みられた。

経験論(けいけんろん)、あるいは、経験主義(けいけんしゅぎ、英: empiricism)とは、人間の全ての知識は我々の経験に由来する、とする哲学上または心理学上の立場である。
この語彙・概念自体は、元々は17世紀から18世紀にかけて生じた近代哲学の認識論において、英国を中心とする経験主義的傾向が強い議論(イギリス経験論)と、欧州大陸を中心とする理性主義(合理主義)的性格が強い議論(大陸合理論)を区別するために生み出されたものだが、現在では遡って古代ギリシア以来の西洋哲学の傾向・系譜を大別する際にも用いられる。
経験論は哲学的唯物論や実証主義と緊密に結びついており、知識の源泉を理性に求めて依拠する理性主義(合理主義)や、認識は直観的に得られるとする直観主義、神秘主義、あるいは超経験的なものについて語ろうとする形而上学と対立する。

(ヒューム)

デイヴィッド・ヒュームは1711年4月26日(グレゴリオ暦5月7日) - 1776年8月25日)は、イギリス・スコットランド・エディンバラ出身の哲学者である。ジョン・ロック、ジョージ・バークリーらに続き英語圏の経験論を代表する哲学者であり、歴史学者、政治哲学者でもある。生涯独身を通し子供もいなかった。

ヒュームはそれ以前の哲学が自明としていた知の成立の過程をそのそもそもの源泉から問うというやり方で問い、知識の起源を知覚によって得られる観念にあるとした。確実な知に人間本性が達することが原理的に保証されていないと考えるものの、ピュロンのような過激な懐疑は避け、セクストスの影響を受け、数学を唯一の論証的に確実な学問と認める比較的緩やかな懐疑論を打ち立て、結果的に人間の知および経験論の限界を示した。
『英国史』(The History of England 6巻 1754-1762年に刊行)は、ベストセラーとなり、その後の15年間に多数の版を重ねた。また、この成功に乗じて、それまでの哲学書、例えば大著『人間本性論』(Treatise of Human nature 1739-1740年刊行)を再版して、重要な作品として認められた。ヒュームの思想はトーマス・ジェファーソン、ベンジャミン・フランクリンなどのアメリカ建国の父たちにも大きな影響を与えた。

(ライプニッツ)

ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ、1646年7月1日(グレゴリオ暦)/6月21日(ユリウス暦) - 1716年11月14日)は、ドイツの哲学者でルネ・デカルトやバールーフ・デ・スピノザなどとともに近世の大陸合理主義を代表する哲学者である。主著は、『モナドロジー』、『形而上学叙説』、『人間知性新論』など。


ライプニッツの単子論
モナド(単子)とは複合体をつくる単純な実体で、ここでいう単純とは部分がないということである。モナドは自然における真のアトム(=不可分なるもの)であり、これが宇宙における真の存在者である。したがってモナドは単純実体ではあるが、同時にモナドは表象perceptionと欲求appetiteとを有するが故に、モナドは自発的に世界全体を自己の内部に映し出し世界全体を認識するとともに、その内部に多様性と変化とを認めることが可能となる。そしてこの内的差異によって、あるモナドは他の全てのモナドから区別される。モナドには「窓はない」ので他のモナドから影響を蒙ることはないが、神が創造において設けておいた「予定調和」によって他のモナドと調和的な仕方で自己の表象を展開する、すなわち意志に応じて身体を動かすといった働きができるのである。要するに、モナドとは魂に類比的に捉えられる存在者なのである。

モナドロジーの立場に立つライプニッツからすれば、認識は主体と客体の間に生じる作用ではなく、したがって直観でも経験でもない。自己の思想をロックの思想と比較しながら明確にする試みとして、大著「人間知性新論」を執筆したが。

これだけでは、ほとんど意味など解りませんが、その様な発想があったと言うことだけで良いでしょう。

(人間機械論)

人間機械論(にんげんきかいろん)とは、人間を機械に見立てる思想、哲学、思考、立場である。通俗的には、18世紀のフランスの哲学者、ジュリアン・オフレ・ド・ラ・メトリーによる同名の著書によって知られ、その吟味の転換点と捉えられる。
人間を機械に見立てる文脈は古くからあった。哲学と工業の距離は、古代ギリシアにおいても意識され、その寡黙さは配慮としても捉えられた。後に生気論となる思想の拒絶はもとより、叙事詩や宗教との決別も、その影響の範囲である。古代ギリシアの哲学者エピクロスは、万物を原子の動きと考えた。
近代哲学の祖デカルトは、体を機械のようなものと見なした。動物機械論を唱えたが、心のある人間の全体を機械とはみなさなかった。啓蒙の時代のフランスの哲学者ラ・メトリーは、人間は機械だと唱えた。1747年に『人間機械論』を刊行。唯物論の有名な本である。科学の進歩に貢献した。 20世紀のサイバネティックスやシステム論に大きな影響を与えている。サイバネティックスの創始者ノーバート・ウィーナーも『人間機械論』という本を書いている。
メンテ
ルソー ( No.9 )
日時: 2017/12/03 18:22
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:fP2L1Dqg

近代哲学のスタートの状況を説明してきましたが、いよいよ皆様にも馴染みの深い哲学者の登場です。

ルソー(1712−1778)
カント(1724-1804)
フィヒテ(1762-1814)
シェリング(1775-1854)
ヘーゲル(1770-1831)
ショーペンハウアー(1788-1860)
キルケゴール(1813-1855)
哲学者と言えるか解らないが、経済のアダム・スミス(1723−1790)もこの時代の人です。

この時期が観念論を主体とした近代哲学の中心でした。その後、以下の人物によって、それぞれの主張が満開になったと言えよう。

ニーチェ(1844−1900)
フロイト(1856−1939)心理学
フッサール(1589−1938)現象学
ベルグソン(1859−1941)生の哲学
マックス・ヴェーバー(1864−1920)社会学
ヤスパース(1883−1969)精神医学
ハイデッガー(1889−1976)
ハイエク(1899−1992)経済の新自由主義の論理的根拠
サルトル(1905−1961)実存主義・小説家
メルロ・ポンティ(1908−1961)実証主義



(ルソー)

ジャン=ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau、1712年6月28日 - 1778年7月2日)は、フランス語圏ジュネーヴ共和国に生まれ、主にフランスで活躍した[1]哲学者、政治哲学者、作曲家。

1753年、ディジョンのアカデミーが再び「人々の間における不平等の起源は何であるか、そしてそれは自然法によって容認されるか」という主題のもと懸賞論文を募った。ルソーは論文執筆のためにサンジェルマンに行った。かの地で、ルソーは彼にとってさらに本質的な問いに対して『人間不平等起源論』(Discours sur l'orgine de l'inégalité parmi les hommes, 1755)を著した。ルソーは『学問芸術論』の論文の文明批判の原理を更に展開させた。『人間不平等起源論』は41歳にして書き上げたルソー初の大作であり、懸賞論文への解答であった。
ルソーは、本来の人間存在である自然人は与えられた自然の環境的条件のもとで自足的に生きており、自己愛と同情心以外の感情は持たない無垢な精神の持ち主であったとしたうえで、平等で争いのない自然状態を描きだした。

しかし、こうした理想の状態は人間自身の進歩によって失われていったと見た。人々が農業を始め土地を耕し家畜を飼い文明化していく中で、生産物からやがて不平等の原因となる富が作り出され、富をめぐって人々がしだいに競い合いながら不正と争いを引き起こしていったと考えた。「私有財産制度がホッブス的闘争状態を招いた」と指摘したのである。

やがて、こうした状況への対処として争いで人間が滅亡しないように「欺瞞の社会契約」がなされる。その結果、富の私有を公認する私有財産制が法になり、国家によって財産が守られるようになる。かくして不平等が制度化され、現在の社会状態へと移行したのだと結論付けた。富の格差とこれを肯定する法が強者による弱者への搾取と支配を擁護し、専制に基づく政治体制が成立する。「徳なき名誉、知恵なき理性、幸福なき快楽」に基づく桎梏に人々を閉ざし、不平等という弊害が拡大していくにつれて悪が社会に蔓延していくのだと述べた。ルソーはこうした仮説に基づいて、文明化によって人民が本源的な自由を失い、社会的不平等に陥った過程を追究、現存社会の不法を批判した。
不平等によって人間にとっての自然が破壊され、やがて道徳的な退廃に至るという倫理的メッセージを含んだ迫力は人々のこころに恐怖感を煽るほどの強烈な衝撃となった。その後この書はヴォルテールなど進歩的知識人の反発を強めさせ、進歩の背後に堕落という負の側面を指摘する犬儒性の故に「世紀の奇書」とも評された。

社会契約説

1762年に発表した『社会契約論』において、社会契約と一般意志なる意志による政治社会の理想を論じた[135]。社会契約が今後の理想として説かれる点で、ルソーの社会契約説は、イギリスにおいて現状の政治社会がどのような目的の社会契約によって形成されたのかについて研究したホッブズやロックの社会契約説と異なる。『社会契約論』においてルソーは、「一般意志」は、単純な「特殊意志(個人の意志)」の和(全体意志)ではないが、そのそれぞれの「特殊意志」から、相殺しあう過不足を除けば、「相違の総和」としての「一般意志」が残るのだと説明している。ルソーは、ロック的な選挙を伴う議会政治(間接民主制、代表制、代議制)とその多数決を否定し、あくまでも一般意志による全体の一致を目指しているが、その理由は、ルソーが、政治社会(国家)はすべての人間の自由と平等をこそ保障する仕組みでなければならないと考えていたためである。そのため、政治の一般意志への絶対服従によって、党派政治や政治家による抑圧を排した「共和国」の樹立を志向した。ただし、ルソーが言う「共和国」とは一般的な意味での共和国ではなく、君主政体でも法治主義が徹底されれば「共和国」ということになる。ルソーの議論が導く理想は、政治が一般意志に服従するというものであり、絶対的な人民主権(国民主権)となる。ルソーは、一般意志による政治について、民主政の他に君主政や貴族政を排除せず、政体はあくまでも時代や国家の規模によって適するものも異なるとし、社会契約による国家が君主政であるにせよ、あるいは貴族政であるにせよ、民主政であったとしても統治者が一般意志に服従することを重要視している。

(また教育家としても知られる、ルソーは、自然状態の人間について次のように語っている。)
……森の中をさまよい、器用さもなく、言語もなく、住居もなく、戦争も同盟もなく、少しも同胞を必要ともしないばかりでなく彼らを害しようとも少しも望まず、おそらくは彼らのだれをも個人的に見覚えることさえけっしてなく、未開人はごくわずかな情念にしか支配されず、自分ひとりで用がたせたので、この状態に固有の感情と知識しかもっていなかった。彼は自分の真の欲望だけを感じ、見て利益があると思うものしか眺めなかった。そして彼の知性はその虚栄心と同じように進歩しなかった。……技術は発明者とともに滅びるのがつねであった。教育も進歩もなかった。世代はいたずらに重なっていった。そして各々の世代は常に同じ点から出発するので、幾世紀もが初期のまったく粗野な状態のうちに経過した。種はすでに老いているのに、人間はいつまでも子供のままであった。

メンテ
カント ( No.10 )
日時: 2017/12/04 00:13
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:gRJtcogo

(カント)

イマヌエル・カント(Immanuel Kant、1724年4月22日 - 1804年2月12日)は、プロイセン王国(ドイツ)の哲学者であり、ケーニヒスベルク大学の哲学教授である。『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』の三批判書を発表し、批判哲学を提唱して、認識論における、いわゆる「コペルニクス的転回」をもたらした。フィヒテ、シェリング、そしてヘーゲルへと続くドイツ古典主義哲学(ドイツ観念論哲学)の祖とされる。彼が定めた超越論哲学の枠組みは、以後の西洋哲学全体に強い影響を及ぼしている。

カントの認識論

カントによれば、人間の認識能力には感性と悟性の二種の認識形式がアプリオリにそなわっている。感性には純粋直観である空間と時間が、悟性には因果性などの 12 種の純粋悟性概念(カテゴリー、すなわち範疇とも称する)が含まれる。純粋悟性概念は時間限定たる図式(schema)によってのみ感性と関係する。
意識はその二種の形式(感性と悟性)にしたがってのみ物事を認識する。この認識が物の経験である。他方、この形式に適合しない理性理念は原理的に人間には認識できないが、少なくとも課題として必要とされる概念とされる。理性推理による理念はいわば絶対者にまで拡張された純粋悟性概念である。神あるいは超越者がその代表例であり、これをカントは物自体(Ding an sich)と呼ぶ。
いわゆる二律背反においては定立の側では完全な系列には無制約者が含まれると主張される。これに対し、反定立の側では制約が時間において与えられた系列には被制約者のみが含まれると主張される。このような対立の解決は統制的ではあっても構成的ではない理念に客観的実在性を付与する先験的すりかえを避けることを必要とする。理念は与えられた現象の制約系列において無制約者に到達することを求めるが、しかし、到達して停滞することは許さない規則である(『純粋理性批判』)。
なお、『プロレゴメナ』によれば、純粋悟性概念はいわば現象を経験として読み得るように文字にあらわすことに役立つもので、もしも、物自体に関係させられるべきものならば無意義となる。また、経験に先行しこれを可能にする超越論的(transzendental)という概念はかりに上記の概念の使用が経験を超えるならば超越的(transzendent)と呼ばれ、内在的(immanent)すなわち経験内に限られた使用から区別される。

これも実際に主著(純粋理性批判)を読んでも容易に理解できない。
内容はギリシャ哲学から始まる人間とは何かという命題であり、表現は異なっても大きく異なるものではない。
しかしながら、観念論哲学としては最終目的地にたどり着いたようなものである。

参考の為に純粋理性批判の概要を紹介します。

認識が構成される仕組み(純粋理性批判)
私たちの認識は以下の3つの能力を通じて構成されている。

感性:外部データを採取する能力
悟性:感性によって得られたデータを結合して、概念化する能力
理性:完全性(完全なもの)を構想する能力
もっと詳しく見ると、以下のような感じだ。

統覚 …… 感性 → 構想力(先験的図式:時間規定) → 悟性(カテゴリー) → 認識
純粋直観が多様なものを与える
構想力がそれらを綜合する
純粋悟性概念(カテゴリー)がこうした純粋綜合を統一する
→ 対象を認識する
という流れ。

統覚は「私は…について考える」という意識のこと。感性と違って自発的な作用。統覚があるので認識が成り立つ。

「感性について」
感性は空間と時間によって規定されている。外部の対象は空間のもとで、内部の対象(心)は時間のもとで直観される。

空間は物自体(対象自体)の性質ではなく、私たちに対して現れる現象を可能とする条件。なので「『空間は、我々に外的に現れる限りの一切のものを含む』、と言うことはできるが、しかし『一切の物自体を含む』、と言うことはできない」。

ここでいくつか注を置いておきたい。

認識構造であれば完全に認識できる
物自体が認識できないといっても、私たちの認識が空想だとか想像にすぎないと言いたいわけではない
私たちの認識は第一に感性というフィルターによって規定されているので、物自体が何であるかを知ることはできない。しかし私たちの認識構造については、感性のもとで完全に認識することができる。

このことが意味するのは、認識の共通構造を見て取ることができれば、対象それ自体のあり方に関わらず、共通の認識に達するための可能性を明らかにすることができるということです。

対象それ自体が何であるかを言い当てようとすれば、それは真理(物自体)をめぐる解決不能な対立に陥ってしまう。真理をつかむことが無理だということを了解すると同時に、どうすれば普遍的な認識は可能なのかをハッキリさせなければ、理性それ自体に対する不信感が生じてしまう。カントにはそういう問題意識がありました。
また、私たちに与えられているのは、ただ対象の現われ(現象)だけだ。しかし、だからといって、認識が空想だとか想像にすぎないと言いたいわけではない。

私たちは、対象は確かに存在していると考えているし、対象の性質(大きさや形)も現実のものと見なしている。しかしそうした性質は、あくまで私たちの主観との相関関係で決まってくる。対象がそれ自体として大きいとか丸いということはないのだ。

「悟性について」

悟性は感性から与えられる表象をひとつの認識へギュッとまとめ上げる(=総合する)能力のことだ。

感性が受動的な感覚能力であるのに対して、悟性は自発的な判断能力。判断能力は、分量、性質、関係、様態の4つに応じて、それぞれ3つずつ、計12個ある。

悟性は「構想力」の助けを借りて総合を行うが、総合だけでは足りない。純粋悟性概念(カテゴリー)によって総合を統一することによって、初めて対象を認識することができる。

カテゴリーも判断の4つの形式に応じて、それぞれ3つずつ、計12個ある。

読んでいると大体この辺りで混乱がピークに達しますが(単一性?数多性?付属性??)、特にこの後の議論で展開されるわけではないので、バッサリカットしてもOKです。何回か通して読んだ後に戻ってくれば十分。ここで投げ出すのが一番もったいないです。
感性から与えられる対象を悟性が総合することで認識が可能となる。しかし、感性と悟性はもともと別の能力なので、悟性が感性からデータを得ずに、好き勝手に振る舞ってしまうことがある。これによって生じるものを、ここでは先験的仮象と呼んでみたい。先験的と付けたのは、この仮象が避けがたいものだから。

「理性について」

これまでの流れを踏まえてまとめると、
感性:感覚能力
悟性:判断の能力
理性:原理の能力

理性は概念によって、原理に基づき普遍的に認識する能力のこと。たとえば三段論法は理性によるもの。

理性は推論によって全体をつかもうとする。その際の枠組みが「理念」と呼ばれるもの。

理念

理念は3つある。

「私」の絶対的統一
考える私
世界の絶対的統一
現象の総体
「絶対的存在者=神」の絶対的統一
一切を可能にする第一条件
ここで注意しておくべきは、理念は実在するものではないということだ。それらが実在すると見なすことにより、以下の3つの先験的仮象がそれぞれの理念に応じて生じてくる。

先験的誤謬推理
アンチノミー
純粋理性の理想
先験的誤謬推理

「規定される自己」が対象。自己自体は知りえない。なので直観そのものが実在するという推論は成立しない。

アンチノミー

アンチノミーは4つある。時間・空間的限界があるかないか、最小単位があるかないか、世界に自由があるかないか、世界に神(絶対者)がいるかいないか。これらについては、私たちの認識構造上、どちらが正しいかを決定することができない。この争いは非本質的な議論と考えるのがおそらく妥当だ。

アンチノミーのポイントを整理すると、大体次のような感じ。

第1アンチノミー

世界に時間・空間的限界はある
ないとすれば、「無限の全体」があることになる。これは考えられないから
世界に時間・空間的限界はない
あるとすれば、「無」によって限界づけられることになる。これはナンセンスだから
第2アンチノミー

世界に最小単位はある
世界は合成物なので、その基がなければならないから
世界に最小単位はない
最小単位のうちにも多様なものが含まれているから(原子の右側とか左側というように)
第3アンチノミー

世界に自由はある
完全に自発的な原因が想定されなければならないので
世界に自由はない(あるのは自然法則だけ)
力学的に見て、何らかの作用が始まるためには、それ以前の状態が前提となるから
第4アンチノミー

神はいる
変化の系列は無条件者(神)に至る完全な系列を前提しているから
神はいない
いるとすれば、系列のうちに原因をもたない始まりがあることになってしまうから

>純粋理性の理想

純粋理性の理想は、世界の完全な理想状態のことを指す。理想は実在しない。現実は理想から遠く離れている。しかし理想は、私たちがそこへと目がけて行為するように促す力(=統整的原理)をもっている。それは道徳的な行為の規準であり、それに従って私たちは自分の行為を整え、自分を高めることができる。

理想に関しては、他にも先験的理想がある。これは世界の存在の究極根拠に関する理想のことだ。世界全体の根拠には、根源的存在者(神)の概念がある。

純粋理性批判の紹介でしたが、如何でしょう。
解った様で何も解らないでしょう。その様なものなのです。
現代人などはカントに頼らなくても生理的にカント以上の哲学者であると思っていただけば良いかと思います。

(追伸)

私たちは、純粋理性批判などに頼らなくても、日常の生活の中で、それらしい経験をしています。
右脳、左脳という区別もそれでしょう。

記憶を司る能力と(知性)判断する能力は別物であると言う認識は広く認められているでしょう。
また、知性でも判断力でもない、アイデア(知恵)を生み出す能力も人それぞれである事は解っています。

カントは、このように人間の脳の構造を分析したのです。

平たく言えば。

ついでに言えば、知性よりない、東大出の馬鹿は、少しでもカントを読むべきだ。

メンテ
ヘーゲル ( No.11 )
日時: 2017/12/05 09:50
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:sdl19w96

(ヘーゲル)

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel, 1770年8月27日 - 1831年11月14日)は、ドイツの哲学者である。ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ、フリードリヒ・シェリングと並んで、ドイツ観念論を代表する思想家である。1

優れた論理性から現代の哲学研究も含め、後世にも多大な影響を与えた。観念論哲学及び弁証法的論理学における業績のほか、近代国家の理論的基礎付けなど政治哲学における業績も有名である。認識論、自然哲学、歴史哲学、美学、宗教哲学、哲学史研究に至るまで、哲学のあらゆる分野を網羅的に論じた。ヘーゲルはドイツ観念論哲学の完成者であり、大陸哲学における近代哲学と現代哲学の分水嶺として位置づけられることも多い。

ヘーゲルは、元来、問答・対話の術を意味する弁証法について、思考及び存在の発展論理として積極的な意味付けを行ない大成化した。
彼によれば、我々の認識のみならず、全ての事物の発展は、単純化させると、矛盾を契機とするある命題と、それと矛盾するもしくはそれを否定する反対の命題、そしてそれらを本質的に統合した命題の三つからなる正・反・合の三段階の生成を実現する三肢構造として捉えられる。

正すなわち「定立」Theseは、あるひとつの立場を直接的に肯定する段階であり、矛盾・対立についての自覚はない。そして、反すなわち「反定立」Antithesisにおいて、あるひとつの立場が否定され、ふたつの立場が矛盾・対立する段階となる。更に合すなわち「綜合」Synthesisにおいて、相反する立場を否定しつつも互いに生かし、両者をより高い次元のレベルへと発展・収斂するべく「止揚」Aufhebenが生じるとする論法である。矛盾を含む否定性に積極的意味を見いだすヘーゲル弁証法では、有限なものが内在する諸矛盾のもとに対立・葛藤を生み出し、限界性を「止揚」することでより高次なものへ発展する思考および存在を貫く運動法則の論理が提示されている。諸要素の矛盾の闘争が全体の発展の源泉であり、発展は、量的変化に止まらず質的向上によっておこなわれるとする弁証法によって、不動のものとされた思惟と概念に有機体のような力動的発展性が持ち込まれ、世界はあらたな論理的生命を与えられた。ヘーゲルは「矛盾はあらゆる運動と生命性の根源である。あるものはそのうちに矛盾をもつかぎりにおいてのみ運動し、そのかぎりにおいてのみものを突き動かし、また活動しようとする性質をもっている」と指摘する。

ヘーゲルの主著の一つに「大論理学」と言うのがあります。
超難解と言われるこの本に、私も挑戦しましたがギブアップした経験があります。
その内容の一節です。

「・・・純粋存在と純粋無とは同一のものである。真理であるのは・・・存在が無へと、無が存在へと・・・移行してしまっていることである。真理とは、この両者が区別され、分離されているのと同様にこの両者が分離されておらず、分離されえず、直接この両者がその反対のものにおいて消去されているということである。したがってこの両者の真理とは、一方が他方において直接的に消去されるというこの運動、生成である。・・・」

ヘーゲルにおいて哲学の理論構成において、従来の定義はことごとくヘーゲル流の検証の上になされた。
ヘーゲルのもう一つの主著に「精神現象学」があるが、この様な調子の文献であるので、紹介する目次だけで納得していただく方が良いかなと思う。

(精神現象学目次)
A意識
T感覚的確信
U知覚
V力と科学的確信
B自己意識
W自己確信の真理
A自己意識の自律性と非自律性
B自己意識の自由
C理性(AA)理性
X理性の確信と真理
A観察する理性
a自然の観察
b純粋な状態にある自己意識の観察、および、外界と関係する自己意識の観察
c自己意識と身体の関係―人相学と頭蓋論
B理性的な自己意識の自己実現
a快楽と必然性
b心の掟とうぬぼれの狂気
c徳性と世のならい
C絶対的な現実性を獲得した個人
a精神の動物王国とだまし
b理性による掟の制定
c理性による掟の吟味
(BB)精神
Y精神
A真の精神―共同体精神
a共同の精神―人間の掟と神の掟、男と女
b共同体にかかわる行動―人間の知と神の知、責任と運命
c法の支配
B疎外された精神―教養
T疎外された精神の世界
a教養と、現実の教養の世界
b信仰と純粋な洞察
U啓蒙思想
a啓蒙思想と迷信とのたたかい
b啓蒙思想の真実
V絶対の自由と死の恐怖
C自己を確信する精神―道徳
a道徳的世界観
bすりかえ
c良心―美しい魂、悪、悪の許し
(CC)宗教
Z宗教
A自然宗教
a光の宗教
b植物と動物
c職人
B芸術宗教
a抽象的な芸術作品
b生きた芸術作品
c精神的な芸術作品
C啓示宗教
(DD)絶対知
[絶対知

ヘーゲル哲学について

「雨降って地固まる」と言う例え話がある様に、試行錯誤と言うか、正反合一と言う弁証法的論理を使えば、その認識はより高まる。
正反合一とは、ある考えを抱いたとき、それを否定し別の結論に至る、さらに、その考えを否定し元の考えに戻ったとしよう。
その答えは最初の考えに似ているようだが、一段階進んだ考えになっていると言うことで、この状況を止揚(アウフヘーベン)とした。

また止揚は一回に留まらず、何回も繰り返すことで益々高度な認識に至ると言う考え方である。
「雨降って地固まる」などの例えの様な個別の事例では、それでも良いであろうが、たとえば法律の問題を考えてみましょう。
その法律を制定した時点では、それが正解であっても時代が変われば、その法律が悪法となって人々を苦しめる結果となっている場合も良くあることでしょう。

正反合一は、どこまでも繰り返される法則であるが、何処で帰結を得るかにとって問題を生じる。
ヘーゲルの場合、人間存在そのものを認識する為に弁証法を使って考えた。
その事は、称賛される努力ではあるが、やがてヘーゲルも、その思考に帰結を求めた。
それがヘーゲルの歴史学であり、国家論であった。
その時点のヘーゲルの思念を結果として正しいと位置づける事になる。

後は、その法則に合わせて考える事になる。
ヘーゲル個人の頭の中では、構わないであろうが、それをドイツ国家の歴史観、国家観になるとすれば問題が出てくる。
具体的に言えば、ナチスのユダヤ人迫害の根拠ともなるのである。
このように論理的な意味での弁証法は、物事の認識に不可欠ではあるが、その帰結を求める場合には、余程の慎重性が必要である。

この意味でマルクスも間違いを犯した、ヘーゲルの唯物弁証法に影響されながら、ヘーゲルの間違いを指摘しながらも、自ら資本論の世界を大衆に当てはめると言うことの意外な側面が解らなかった。
最もマルクス自身は、インターナショナル運動で試験的にはじめ、上手く機能しない事は理解していたが、マルクスの死後、レーニン、スターリンが資本論を教科書に強引に国づくりを始めた。

結果は、御存知の通りであり、最終的には国民がそれを受け入れなかった。受け入れられるようなものではなかった。
人間社会全てを、一つの帰結で縛ることは殆ど不可能に近いのである。
ヘーゲルは確かに哲学史上の岐路にたつ巨人ではあるが、その唯物弁証法の論理については評価されていても、結論としての「歴史学」は、精密な検証が行われていても、その内容を評価する声は聴かれない。
ロシア革命以後、革命は続く(革命・反革命)としたとロッキーは盟友スターリンによって暗殺されている。


(歴史学)

まずヘーゲルは歴史の見方には三種類の方法があると述べる。
@「事実そのままの歴史」
A「反省を加えた歴史」
B「哲学的な歴史」
@「事実そのままの歴史」は分かりやすいだろう。ヘロドトスやトゥキディデスに代表される歴史家のように、現実の世界(ヘーゲル的にいうところの外界の現象の世界)を文字にして記述する歴史的見方である。
A「反省を加えた歴史」に関して、ヘーゲルはこれをさらに、
⑴「一つの民族、一つの国土、或いは世界史全体を概観する歴史(いわゆる通史)」
⑵「実用的な歴史」
⑶「批判を主眼とする歴史」
⑷「芸術や法律などの分野史」
に分類している。
⑴「一つの民族、一つの国土、或いは世界史全体を概観する歴史」。これは@「事実そのままの歴史」に対して解釈を試みることである。歴史上の人物の行動や、歴史的事件の内容と目的を捉え、その上で歴史を組み立てていく。
⑵「実用的な歴史」とは、歴史の出来事を現在の生活の中に活かすという考えである。温故知新というように、様々な歴史の中から教訓や示唆を得ようとする姿勢であるが、ヘーゲルはそれが可能なのは個々人の範囲であり、民族や一国家の過去の事例を元に今後の指針をとるのは別次元であると断ずる。曰く「歴史から学べることは、民衆や政府が歴史から何も学んでいないということだ」。それぞれの時代はそれぞれの固有の条件のもとに独自の状況を持っている。そのため今発生している世界的事件に過去の歴史を紐解くことは無意味なのだとヘーゲルはいう。
⑶「批判を主眼とする歴史」とは歴史そのものではなく、史学に関する批判的な態度のことである。ここでは歴史的な出来事とは別に、余人の史学的発見や研究法が正しいのかどうかが主題となる。
⑷「芸術や法律などの分野史」で重要となるのは、その細分化された分野史が全体の歴史の中にある精神活動と繋がりを持てるか否かであるとヘーゲルはいう。細切れにされた史学分野を単独で研究するならばそれは偶発的な事象を見ているだけにすぎない。理念こそが民族や世界史の導き手であり、理性の持つ意志が現実的な歴史的事件を導くこととなる。


ヘーゲル歴史哲学 まとめ
・世界史とは、精神が自由を求めていく発展過程である
・世界史は東洋から西洋へ、古代から近代へと自由を得ていく
・人間の活動が精神を自由にする。それが現実化されたものが国家である。国家において人は自由を得る

以上のように序文で自らの歴史観を解説した後、ヘーゲルは本文で東洋世界(中国、インド、ペルシャ、エジプト)と西洋世界(ギリシャ、ローマ、ゲルマンの中世、近代)を詳述していくのだが、実をいうとヘーゲルの歴史記述自体は現代史学の目線からみれば間違いの山である。上の解説をみて分かる通り、ヘーゲルの歴史観は西欧自由主義に偏りすぎている。彼の歴史観はすべて西欧中心であり、例えば中国に至ってはこうである。
中国人は自尊心が強く、多くの点でヨーロッパの優秀さをみとめざるをえないものの、ヨーロッパからなにかを学ぶ気になれなかった。(中略)目をひくのが精神に属するすべてのもの、たとえば、自由な共同精神、道徳心、感情、内面の宗教、学問、芸術などが欠けていることです。

ヘーゲルは西洋近代自由主義に重きを置きすぎて、それ以外の文化を認めていない。『歴史哲学講義』においては東洋世界で中国、インド、ペルシャ、エジプトが紹介されているが、それ以外の国が解説されていないのは講義時間の都合ではなく、単にヘーゲルがこれらの国以外に歴史が存在していないと考えていたからだ。彼の歴史観がいうように国家が精神の自由の現実化だとするならば、国家を持たない民族は歴史がないということになる。
世界史においては、国家を形成した民族しか問題にとらない。(中略)国家こそが、絶対の究極目的たる自由を実現した自主独立の存在であり、人間のもつすべての価値と精神の現実性は、国家をとおしてしかあたえられないからです。

弁証法的思考を駆使した結果がこれであれば、話にもならないことである。
論理の為の論理と言う問題を思わせる。



メンテ
ショーペンハウアー、 ( No.12 )
日時: 2017/12/04 18:02
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:gRJtcogo

ルネッサンス以降、哲学の手法は、今まで見てきた様に、懐疑論(デカルト)、経験主義、人間機械論、社会契約論、カント哲学と解れてきました。
その上に、唯物論、人生論、現象学、実存主義、実証主義、心理学、生理学、社会学へ展開していきます。

また新プラトン主義と言われる流れも存在している。
ギリシャ哲学の始祖、プラトンには、人間にとって基本的な何かを含んでいるのでしょう。

新プラトン主義は、後3世紀に成立し、西洋古代哲学の掉尾を飾った潮流である。始祖とされるプロティノス(3世紀)は、プラトンのイデア論を徹底させ、万物は一者から流出したもの(流出説)と捉えた。ネオプラトニズムとも。
現代の「新プラトン主義」は18世紀のドイツで生まれた造語が19世紀に入ってから定着した近代の用語であり、シュライアーマッハー以降、文献学により、プラトン自身のオリジナルの教説と後世の追随者の思想とが区別して捉えられるようになって確立した概念である。多くの場合、時代的に新しいプラトン主義であるというだけでなく、いくつかの面でプラトン思想とは異なる特徴を呈しており、本来のそれからの逸脱である、という含みをもって用いられる。

哲学と言えるか解りませんが、

プラトニズムと言う言葉は現在でも生きています、読んで字のごとくプラトンの思想にもとづいています.
ではそのプラトンの思想とはどのようなものか.かれは世界を物質世界と精神世界(イデアの世界)にわけて,後者こそが本当に存在する世界だとしました.つまり,われわれがふつうに感覚で認識しているような世界はウソの世界だと考えたのですね.

そこから,肉体的(物質的)なものよりも精神的なものを重視する考えかたをプラトニズムと呼ぶようになりました.よく使われるのは,恋愛において,セックスなどの肉体的な関係をもたず,精神的なふれあいのみで満足するようなものをプラトニック・ラブと言います。

ここでは、ショーペンハウアーとバートランド・ラッセルを取り上げます。
両者共に従来の観念論哲学の手法である、恣意によって論理を構成するのではなく、自然の有り様を、そのまま受け入れ人間の有り様に重ね合そうとしていることです。



(ショーペンハウアー)

アルトゥル・ショーペンハウアー、1788年2月22日 - 1860年9月21日)は、ドイツの哲学者。主著は『意志と表象としての世界』(Die Welt als Wille und Vorstellung 1819年)。
仏教精神そのものといえる思想と、インド哲学の精髄を明晰に語り尽くした思想家[2]であり、その哲学は多くの哲学者、芸術家、作家に重要な影響を与え、生の哲学、実存主義の先駆と見ることもできる。フリードリヒ・ニーチェへの影響は有名であるが、その他にもリヒャルト・ワーグナー、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン、エルヴィン・シュレーディンガー、アルベルト・アインシュタイン、ジークムント・フロイト、オットー・ランク、カール・グスタフ・ユング、ジョーゼフ・キャンベル、レフ・トルストイ、トーマス・マン、ホルヘ・ルイス・ボルヘスなど様々な学者、思想家、文筆家に影響を与え、その哲学は現代思想においても受け継がれている。

ショーペンハウアーはドイツの哲学者です。ドイツ観念哲学に東洋思想をとりいれ、その後のニーチェにも大きな影響を与え、実存主義の先駆けともいわれています。実存主義は現代の枠組みにも有効な思想で、我々の日々の生活の常識に新たな視点を与えてくれます。ショーペンハウアーはその意味でも自分の人生にも気づきを与えてくれるのです。
ショーペンハウアーは、現実的な人生に目を向けて「幸福」と言うものを主題に取り上げています。
その為か、哲学的な言葉よりも、若者が好む人生相談的な著述がおおく現代にも人気があります。

(幸福についての大前提)

ショーペンハウアーはまず最初にこう語る。
幸福な生活とは何かといえば、冷静にとっくりと考えてみた上で、生きていないよりは断然ましだと言えるような生活のことである。
幸福な生活をこんなふうに考えれば、幸せな生活そのものが動機になっているのであって、単に死の恐怖が動機になっているのではない。
そして人生の動機が「幸福な生活」にあることを、人間生来の迷妄であるとぶったぎる。
人生がこういった生活の概念に合致しているかどうか、この問に関しては、読者のご存知のとおり、わたしの哲学は否と答えるのである。
つまり幸福論はわたしの主著で非難しておいた人間生来の迷妄が基礎になっている。
いきなり結論でちゃいました。
幸せは勘違いです。
終了です。

しかし、そこは優しいショーペンハウアー。
カッコつきではあるが幸福論というものをあえて語ってくれるとのこと。
本論文は全体として、要するに普通一般の経験的な立場に終始し、この立場の迷妄を固執する意味において、大衆に順応した上に成り立つのである。
天才が降りてきた。
ありがとう!!
天才ショーペンハウアーの名言をミニマリスト視点で紹介

ショーペンハウアーは人生の享楽を自己の外部に求めることを否定する。

財産や位階、妻子、友人、社交界などに幸福を求めるとそれを失った時や幻滅した時に幸福がくずれさってしまうからだ。

かわりに精神的に優れた人は自分の内部にあるものに集中して、哲学、芸術、文学などの自己の思想と作品を作ること、人生の享楽を自己の内部に求めることを説く。

「種類の如何を問わず自己の特技を何者にも妨げられずに発揮できることこそ窮極の幸福である」
最高の幸福が自身の内部にある人間は、自分の外部の享楽には無関心になるため孤独な生活になる。
そして自己の内部の享楽を求めるために余暇を必要とする。
「幸福は余暇にある」とアリストテレスはいい、ディオゲネースの報告によれば「ソクラテスは余暇を人間の所有するもののなかで最もすばらしいものだと讃えた」。

反対に人生の外部に享楽を求める人は退屈にならざるを得ない。
俗物とは精神的な欲望を持たない人間である。
俗物のとっての現実の享楽は官能的な享楽だけである。

したがって牡蠣にシャンペンといったところが人生の花で、肉体的な快楽を手にすることだけが人生の目的なのだ。
この目的のために、忙しくしている間は結構幸福だが、
財産がはじめから与えれれていれば、のっぴきならぬ退屈におちいってしまう。そうなると手当たり次第思いつくままに試みて退屈をしのごうとする。しかしどんなことをしてみたところで、精神的な欲望がないために、精神的な享楽ができないのであれば、退屈しのぎの目的を十分に達することはできない。
つまり、精神的な享楽がなければ移り変わる現実を相手に退屈を味わうことになる。
苦痛がない状態が幸福

私はアリストテレースが『ニコマコス倫理学』で何かの折に表明した「賢者は快楽を求めず、苦痛なきを求める」という命題が、およそ処世哲学の最高原則だと考える。
享楽や幸福はそれを手にしているときは意識しない消極的なものだが、苦痛は積極的に影響をおよぼす。
健康な人が身体を壊した時、健康な時が幸福であったと思うことを考えればわかりやすい。

幸福とは苦痛や苦悩がない状態のことである。
しかし人間は苦痛や苦悩を耐えず生み出す。
大きな苦痛があるときは小さな苦痛のことは忘れているが、大きな苦痛が解消した途端に小さな苦痛が顔を出す。

この世界は苦痛の連続でできており、苦痛のない短い状態のことを幸福と呼ぶ。
だからできるだけ苦痛の少ないように行動することを選ぶべき、というわけだ。

むしろ幸福論という名称そのものが粉飾的な表現なのであって、「幸福に生きる」ということは「あまり不幸でなく」すなわち我慢のなる程度に生きるという意味に解すべきものであるということから幸福論の教えがはじまるのでなければならない。
現代風にいうなら「好きなことをするよりも嫌なこと、やりたくないことをしないようにする」というところだろうか。
この「好きなこと」は自分の外側に幸福を求めるという意味。
そうじゃないと「自分の内に享楽を求める」という言葉と矛盾するからね。

(ショーペンハウアーの名言)

「苦」

そして、意思は無限にあるもので、完成や終着点はないとします。
完成がないということは世界は永遠に不完全ということです。

そのような不完全な世界は人間にとっては「苦」であるとショーペンハウアーは考えたのです。

この世界は「苦」であるということは仏教思想そのものです。
ショーペンハウアーはドイツ観念哲学に東洋思想を取り入れたのです。

「苦」からの解放:芸術、同情、禁欲
では、「苦」から解放されるためにはどうすればいいのでしょうか。

芸術
ショーペンハウアーはまず芸術を考えました。
幻の世界においては芸術こそが、プラトンのいうイデアの世界(完全な世界)を垣間見える方法だと考えたのです。
しかし、ショーペンハウアーは芸術も一時的な解放でしかないとしました。

同情

次にショーペンハウアーは同情(同苦)を考えます。
同情とは、自分の苦悩だけでなく、他者の中に自分と同じ苦悩を見出し、他者を理解しようとすることです。
それによって愛が生まれるとしたのです。

禁欲

しかし、同情だけでは「苦」からの解放には不十分とします。
ショーペンハウアーは最後に「禁欲」を考えます。

世界意思は人間に対しても、生きようと盲目的に作用します。
その意思の構造を理解し拒否することが「禁欲」です。
世界で生きようとする執着がなくなれば、苦悩もなくなると考えたのです。
これは仏教における「諦念」と同じです。

実存主義の先駆け
このように、ドイツ観念哲学に東洋思想の「諦念」を取り入れたショーペンハウアーの思想は厭世主義といえます。
「この世の中なんて意味ないよ」という厭世主義は、その後ニーチェへ大きな影響を与えます。



メンテ
バートランド・ラッセル ( No.13 )
日時: 2017/12/04 18:08
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:gRJtcogo

(バートランド・ラッセル)

第3代ラッセル伯爵、バートランド・アーサー・ウィリアム・ラッセル(英: Bertrand Arthur William Russell, 3rd Earl Russell, OM, FRS、1872年5月18日 - 1970年2月2日)は、イギリスの哲学者、論理学者、数学者であり、社会批評家、政治活動家である。ラッセル伯爵家の貴族であり、イギリスの首相を2度務めた初代ラッセル伯ジョン・ラッセルは祖父にあたる。名付け親は同じくイギリスの哲学者ジョン・スチュアート・ミル。ミルはラッセル誕生の翌年に死去したが、その著作はラッセルの生涯に大きな影響を与えた。生涯に4度結婚し、最後の結婚は80歳のときであった。1950年にノーベル文学賞を受賞している。

心の哲学におけるラッセルの見解

ラッセルは唯物論と観念論をともに斥け、宇宙は根本的には「出来事(events)」からなっていると考えた。出来事という概念は『プリンキピア』の共著者であったホワイトヘッドに由来する。

「events」という英語は相対性理論において重要な概念である「event(事象)」と同じ意味である。ホワイトヘッドとラッセルはともに最新の科学知識に通暁しており、出来事の概念には、相対性理論や量子力学による当事の劇的な科学的・存在論的なコペルニクス的転回が反映されていたと考えられる。

『哲学入門』から『知識の理論』の頃(1910〜1920年代)のラッセルは、「心的なもの」や「物質的なもの」はいずれも実体ではなく、両者はともに根源的な要素である「センシビリア」からなると考えていた。これは中立一元論というより汎心論に近い説である。センシビリアが主観によって感覚されたものが「センスデータ(感覚与件)」であり、「机」や「猫」など個物として認識されるあらゆるもの、またその個物を認識しているとする「私」という自我さえも、このセンスデータから論理的に構成されたものだと考えた。この「感覚与件論」と呼ばれる立場は後の論理実証主義に採用されることになる。

そして『外界の知識』(1926年)でラッセルは、センスデータという概念には「主観に対する客観」の意味があるため、これを放棄する。しかし論理的原子論の立場は維持し、センスデータに代わってラッセルが採用したのが、ホワイトヘッドの「出来事」の概念というわけである。この時期、ラッセルは中立一元論の立場を明確にする。

出来事は持続し広がりをもっている時空的な事柄である。物理学的にいうなら、出来事は時空連続体の一部を占めている。そして出来事には心的と物理的の二つの記述の仕方があり、どちらか一方の仕方で描写される。物理的記述のものとでは、出来事は物理学の研究対象であり、心的記述のもとでは、出来事は心理学の研究対象である。

ラッセルの理論はスピノザと共通しているところがある。スピノザとの相違は、スピノザが神という唯一の実体を想定したのに対し、ラッセルは実体そのものの存在を否定したことである。心的なものも物理的なものも実体ではなく出来事に還元される。

自我論

ブレンターノの継承者であるマイノングは意識の性質を、「作用」「内容」「対象」の三つに分類していた。ラッセルは1921年の『心の分析』で、このマイノングの分類を批判し、デイヴィッド・ヒュームと同型の無主体論を主張する。(以下は意訳して引用)
意識の作用(act)は不必要なものであり虚構のものである。思考内容の「出来事」が思考の出来事そのものである。作用に対応するものを私は経験的に見出すことが出来ない。また一方、それが論理的に必要だという理由も見出せない。
act は主語の幽霊である。
思考は取り集めて束にされることができ、その結果、ある束が私の思考、もう一つが君の思考、そして三番目がジョーンズ氏の思考となる、ということはもちろん正しい。しかし私は、人というものが単一の思考における構成要素ではないと考える。
it rains here というように it thinks in me と言うほうがいい。(pp.11-12)

われわれはジョーンズが歩くと考え、そして歩行するジョーンズのような何者かが存在するのでなければ、いかなる歩行もありえないと考える。しかし、ジョーンズがする歩行のような何事かが存在するのでなければ、いかなるジョーンズもありえない、ということも同じように真である。行為は行為者によって行われるという考えは、思考には主体あるいは自我が必要である、という考えに対してなされたものと、同じ種類の批判を免れることが出来ない。

このラッセルの無主体論はカント哲学を転倒させたものである。カントにおいては、世界は主体(主観)から構成される。しかしラッセルにおいては、世界から主体が構成されるのである。これはウィトゲンシュタインの独我論との相違も際立っている。ウィトゲンシュタインにおいては主体と実在(世界)は一致していた。しかしラッセルにおいては、主体はあくまで概念的な構成物に過ぎないのである。

論理的原子論によれば、特定の視点で椅子を見ている場合、それは一つのセンスデータである。しかし視点を変えれば異なる椅子の像が見える。それも一つのセンスデータである。それら個別のセンスデータの集合が「椅子」という個物である。デカルトの「我思う、ゆえに我あり」も、ラッセルによれば「これ思う、ゆえにこれあり」となる。「これ」とは瞬間における一つのセンスデータである。「我」とはセンスデータの集合によって構成されたものなのである。

このことは瞬時における自我だけが存在するとする「瞬間の独我論(刹那的独我論)」の可能性は否定できないことになる。ラッセルは以下のように述べている。
テーブルを見つめて茶色が見えているまさにその時、きわめて確実であるのは、「私が茶色を見ている」ではなく「茶色が見られている」である。もちろんこれは、茶色を見ている何か(あるいは誰か)を含んでいる。しかし「私」と呼ばれている、多少なりとも存在し続けている人物を含んでいるわけではない。直接の [経験が持っている] 確実性が示す限りでは、茶色を見ているものがきわめて刹那的で、次の瞬間に別の経験をする何かと同一ではない可能性が残る。

実体とは、アリストテレスによれば、主語であり、述語によって記述され、自らは述語にはならないものである。たとえば「この椅子は茶色である」という場合、「この椅子」が主語・実体であり、「茶色である」が述語・属性である。しかし、ラッセルはアリストテレスの理論を転倒させる。直接に経験されるセンスデータは、常に一定の空間を占める色であったり、時間的持続のある音であったり匂いであったりするだけである。椅子にしても飛行機にしても、個物はそのセンスデータの集合として論理的に構成されたものである。つまり存在しているといえるのは個物ではなく、普遍的な「属性」や「関係」だけである。従ってラッセルは経験論者でありながら、1940年の『意味と真理の探究』の頃には、「世界の構成要素は〈普遍〉のみ」という唯名論と逆の立場に到達することになった。









メンテ
キルケゴール その1 ( No.14 )
日時: 2017/12/04 18:13
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:gRJtcogo

(キルケゴール)

セーレン・オービエ・キェルケゴール(デンマーク語: Søren Aabye Kierkegaard デンマーク語発音: [ˈsɶːɐn o:'by ˈkiɐ̯ɡəɡɒːˀ] ( 音声ファイル)、1813年5月5日 - 1855年11月11日)は、デンマークの哲学者、思想家。今日では一般に実存主義の創始者、またはその先駆けと評価されている。
キェルケゴールは当時とても影響力が強かったゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル及びヘーゲル学派の哲学あるいは青年ヘーゲル派、また(彼から見て)内容を伴わず形式ばかりにこだわる当時のデンマーク教会に対する痛烈な批判者であった。

キェルケゴールの哲学がそれまでの哲学者が求めてきたものと違い、また彼が実存主義の先駆けないし創始者と一般的に評価されているのも、彼が一般・抽象的な概念としての人間ではなく、彼自身をはじめとする個別・具体的な事実存在としての人間を哲学の対象としていることが根底にある。
「死に至る病とは絶望のことである」といい、現実世界でどのような可能性や理想を追求しようと<死>によってもたらされる絶望を回避できないと考え、そして神による救済の可能性のみが信じられるとした。これは従来のキリスト教の、信じることによって救われるという信仰とは異質であり、また世界や歴史全体を記述しようとしたヘーゲル哲学に対し、人間の生にはそれぞれ世界や歴史には還元できない固有の本質があるという見方を示したことが画期的であった。

ヘーゲルの学説においては、イマヌエル・カント以来の重要問題となっていた、純粋理性と実践理性、無限者と有限者、個々の人間と絶対真理の間の関係はどのようなものか、という問いが取り上げられる。ヘーゲルによれば、有限的存在は、まさにそれが有限であるがゆえに、現実の世界においてつねに自らの否定性の契機に直面するが、そのとき有限者はその否定性を弁証法的論理において止揚するという方法で、その否定性を克服し、より真理に近い存在として自らを高めていくことができるとされる。

これに対して、キェルケゴールにとっては、個々の有限的な人間存在が直面するさまざまな否定性、葛藤、矛盾は、ヘーゲル的な抽象論において解決されるものではない。そのような抽象的な議論は、歴史、現実における人間の活動の外側に立ってそれを記述するときにのみ有効なのであって、歴史の内部において自らの行く末を選択し決断しなければならない現実的な主体にとっては、それは意味をなさないものなのである。このような観点からキェルケゴールは、ヘーゲルの弁証法に対して、彼が逆説弁証法と呼ぶところのものを提示する。逆説弁証法とは、有限的主体が自らの否定性に直面したときに、それを抽象的観点から止揚するのではなく、その否定性、矛盾と向き合い、それを自らの実存的生において真摯に受け止め、対峙するための論理である。

キェルケゴールは自らの思想の特徴を具体的思考と呼び、これをヘーゲル的な抽象的思考に対置する。抽象的思考とは、そこにおいて個々の主体が消去されているような思考であるのに対し、具体的思考とは、主体が決定的であるような思考だとされる。
この延長において、キェルケゴールは「主体性は真理である」と定式化するが、逆説的なことに、彼は「主体性は非真理である」とも言う。ここにおいてキェルケゴールが意図しているのは、次のようなことである。すなわち、歴史的、現実的な選択の場面においては主体性以外に真理の源泉はありえない(主体性は真理である)が、このことは主体性がヘーゲル的な意味での絶対的真理の源泉であるということを意味しているのではなく、実際には、主体はつねに絶対的真理から隔てられている(主体性は非真理である)のである。

彼の主著「死に至る病」について紹介します。
ここには現代人の悩みの多くが検証されていて驚かされます。
また実存主義が何故、興ったかの理解も出来ます。

人間は精神である。しかし、精神とは何であるか?精神とは自己である。しかし、自己とは何であるか?自己とは、ひとつの関係、その関係それ自身に関係する関係である。あるいは、その関係において、その関係がそれ自身に関係するということ、そのことである。自己とは関係そのものではなくして、関係がそれ自身に関係するということなのである。

自己とは精神であり、関係であり、関係が関係に関係するということである。おそらくこう言われても、まるで訳が分からないのではないだろうか。だが、ここで言われていることは、見た目ほどには複雑ではない。

キルケゴールによれば、自己とは関係である。ただ、ここでいう関係は、自分自身に関係するということを指している。関係は、それゆえ自己は、物体のように、単にそこに存在しているのではなく、自己自身を問題とする作用として、つねに自分自身に関わりつつ「ある」。そうした絶えざる作用、動きとして、キルケゴールは自己、すなわち人間を規定するのだ。

ただし、キルケゴールの観点からすれば、人間はあくまで神の前の単独者にすぎない。

人間は第三者、すなわち神によって措定され、自己に関係することを通じて神に関係する。自己はみずからに関係すると同時に神に関係することによってのみ、均衡と平安に達することができる。そうキルケゴールは言う。

キルケゴールは、単に自己に関係しているとき、自己はみずからが神の前の単独者であることを見失っていると論じたうえで、そうした状態のうちに落ち込んでいることを、絶望と呼ぶ。要するに、キルケゴールにおける絶望は、自己の本当のあり方から離れてしまっていること、そこから抜け出てしまっている「私」の存在のことを意味している。

絶望そのものに着目する
さて、キルケゴールによると、絶望は、それが意識されているかどうかが決定的な意味をもつ。自己のあり方に関する態度決定が、自己の本質であるという立場からすれば、それは自然なことだ。

キルケゴールは初めに、絶望そのものに着目し、その後、意識との関係において絶望を規定する。そこで、まずは絶望そのものの規定について見ていこう。

キルケゴールは、絶望を無限性と有限性、可能性と必然性という二つの軸を置き、両方の観点から論じている。

キルケゴールのいう「想像的なもの」は、日常的な言葉では「空想」に当たる。私たちはしばしば、自分に与えられた状況から逃避するような仕方で別の自分を空想することがある。もし億万長者だったら、もし美人だったら…というように。

確かに想像は、私たちに生の可能性を示してくれる。もし私たちが何も想像することができなければ、いま、ここを単に生きることしかできない。それはきわめて貧弱な生だと言わねばならないだろう。だが、想像が現実から遊離して「空想化」すれば、それは、自分が本当になすべき事柄、直面すべき状況から、私たちを引きはがしてしまう。

もっとも、キルケゴールからすると、私たちが本当に直面すべき対象は、神にほかならない。この主張は確かに言い過ぎだが、空想についての描写については、私たちにも納得できるところがあるはずだ。

有限性の絶望

有限性の絶望は「騙り取り」と呼ばれる。無限性の絶望は現実から遊離した無限のうちへと落ち込むことだったが、有限性の絶望は逆に、現実のうちへと落ち込むことを意味している。

ただし、ここでいう現実は、神の前の単独者であるということではなく、いわゆる世間のことだ。キルケゴールは次のように言う。

有限のうちに落ち込む絶望は、自己を世間に「騙り取らせる」。その結果、ひとは自己自身であろうとするのではなく、他の人びと同じにしているほうが気楽で安全だと思い込んでしまう。

世間は知的、「美的」な偏狭さに無限の価値を与え、唯一の必要なもの、すなわち神への理解をもたず、自己自身を失っている。しかし、こうした絶望に対して世間は気づいていないし、それゆえにこそ世間の人びとは器用に立ち振る舞うことができるのだ。

可能性の絶望

可能性の絶望は必然性、すなわち「いまある自己」を欠くことだ。これはどういうことだろうか。

キルケゴールは言う。自己自身になることは、その場所での運動だ。いまある自己、つまり必然性のうちにおいてのみ、自己は自己自身になることができる。それは可能性と必然性の統一の実現にほかならない。自己の必然性を了解し、これを引き受けない限り、自己はいつまでも可能性のうちをさまよい続ける、と。

可能性の絶望は、初めに見た無限性の絶望と、基本的には同じ側に位置づけられる。現実からの遊離、自己の空想化がここでのポイントだ。

必然性の絶望――「あるべき自己」を見失っている

必然性の絶望は、可能性、つまり「あるべき自己」を見失っている状態のことだ。

続く
メンテ
キルケゴール その2 ( No.15 )
日時: 2017/12/04 18:19
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:gRJtcogo

キルケゴールによると、必然性の絶望は、決定論あるいは宿命論の形を取って現れる。決定論は、一切は必然的とする見方であり、宿命論は、一切が日常茶飯事であるとする見方のことだ。

信じることは理性を放棄することである。その意味でそれは自己の破滅である。そのことを知りながらなお可能性を信じること、これが信じるということだ。その意味で、可能性は絶望に対する「解毒剤」にほかならない。だが、俗物根性は精神を欠いているので、神に気づく可能性をもたない。俗物は自己自身と神を失っているのだ。そうキルケゴールは言う。

キルケゴールによると、絶望の程度は、絶望がどれほど意識されているかによって定まる。というのも、絶望の自覚に応じて、私たちが自己に対して取る態度、自己を選択する仕方が変化してくるからだ。

そこで、キルケゴールは次に、絶望を意識との関係において論じる。ここでのポイントは、弱さの絶望と「閉じこもり」だ。この2つは、絶望していることを自覚しているが、自己に直面せず、あるべき自己から逃避することによる絶望のあり方を指している。

弱さの絶望

キルケゴールは次のように言う。

全くの直接性においては、絶望は自己の外から到来してくるものと考えられていた。だが、弱さの絶望においては、絶望が自己自身から由来することを知っている点で、直接的な絶望とは異なる。

しかし、自己は、一切の直接性を捨てる段階にはまだ達していない。ここでは、直接的な自己と異なり、別の人間になりたいわけではない。居心地が悪くなると自己から避難し、ときどき自分自身に帰ってきて、困難が過ぎて変化が生じたかどうかを確認する。だが、変化が起こらないときは、内面へと向かうかわりに、現実の生活に戻り、内面の問題を無いものとしてしまう。

弱さの絶望のうちにあるとき、自己は、自己自身を引き受けようとすると現れてくる様々な困難の前でおじけづく。可能性が何であるかに関する了解はもちつつも、自己をそれに対して賭けるのが恐いので、世間的な基準に合わせて「ぐずぐず」と生きてしまう。そのようにキルケゴールは考えるのだ。

(閉じこもり)

一方、「閉じこもり」は、神に対する自己の弱さを積極的に意識することで現れてくる絶望のあり方だ。キルケゴールによると、ここでは、絶望が自己自身に由来することは意識されるが、自己を自己と認めることができず、信仰によって自己を再び手に入れようとはしない。

弱さの絶望では、自己は自己自身を世間の側に合わせる。閉じこもりでは、それは世間に身を任せて内面性を失うことにほかならない。したがって、信仰によって神に直面する代わりに、直接性を軽蔑し、世間に対して距離を置くのだ、と論じる。

罪としての絶望

以上のように、神についての意識をもちつつも、なお神に向き直ろうとせず、あるべき自己から逃避していることを、キルケゴールは「罪」と呼ぶ。

キルケゴールは、罪は、それが神の前にあるからこそ罪であると論じる。キルケゴールによれば、神の前にあるかどうかに関係なく罪は罪であるという主張は誤りである。罪、そして自己が神の前にあるからこそ、罪は罪である。そして、この罪から抜け出るには、神への絶対的な信仰が必要であるとキルケゴールは考える。

この意味で、キルケゴールは罪を積極的なものとして評価する。つまり、罪は弱さや無知といったもの、あるいは、概念的に解消される対象ではなく、思弁を越えて、ただ信じられるべきものである。しかし、キリスト教世界は、そのことを見落として、ヘーゲル的な議論に毒されて、罪を概念的に把握しようとする試みがまかり通っている。キリスト教的なものが乱用されているのだ。そうキルケゴールは言う。

ちょうどそれと同じようなことが、キリスト教について―信仰厚い牧師たちによって、口にされているのである。つまり、彼らはキリスト教を「弁護する」か、それとも、キリスト教を「理由」に翻訳するかしているのである。そればかりか、同時におこがましくも、彼らはキリスト教を思弁によって「概念的に把握し」ようとしているのである。

キリスト教界は、人間は罪人であるという規定を概念的に論じることによって、そこから不安の要素を抜き取り、私たち人間が理解できる範囲へとキリスト教を落とし込んでいる。しかし、神と人間の間には、本質的な差異がある。そして、その差異ゆえにこそ、罪を概念的、一般的に論じることはできない。だが、このことを多数の信者は信用しようとせず、牧師の言うことに従うことで無難に過ごそうとしている。こうした結託が行われているキリスト教界は、むしろ異教的なものだと言わなければならない。そのようにキルケゴールは論じる。

自己は神に直面する単独者であり、そうした自己からの「墜落」が絶望である。こうしたキルケゴールの主張は、それ自体として見れば、普遍性をもたない一個の物語であると言わざるをえない。

しかしここには、とりわけ私たちが青年期において、自己なるものに対して取りうる態度の範型が、切実さをもって描写されている。

私たちは、何らかの絶対的な理想に直面して立ちすくみ、おじけづくことがある。または、これをやりすごして世渡り上手になったり、世間を無化してただ自己の意識のうちで理想に到達しようと試みたりとすることもある。

中世であれば、こうしたことは問題とはならなかった。なぜなら、そこでは、素直に信仰することが求められていたし、それ以外の道はなかったからだ。しかし、自由の自覚が進んだ近代においては、もはや素朴に信仰することはできない。絶対的な価値の根拠としての神を、何の迷いもなく信仰できる時代ではないのだ。

確かに私たちは、いまある自己とあるべき自己、理想と現実の選択をめぐる「危機」を普段から生きているわけではない。だが、そうした「危機」は、絶対的な価値の根拠を喪失した近代にとって特有の問題だ。だからこそ、本書におけるキルケゴールの議論が神を中心に進んでいるとしても、私たちはそこに深い洞察を見いだすことができるのだ。
メンテ
フッサール  現象学 ( No.16 )
日時: 2017/12/04 18:26
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:gRJtcogo

(フッサール)

エトムント・グスタフ・アルブレヒト・フッサール(Edmund Gustav Albrecht Husserl、IPA:[ˈhʊsɛrl]、1859年4月8日 - 1938年4月27日)は、オーストリアの哲学者、数学者である。ファーストネームの「エトムント」は「エドムント」との表記もあり、またラストネームの「フッサール」は古く「フッセル」または「フッセルル」との表記も用いられた。

ここで新しく出てくる「現象学」の概念について書きます。
現象学と言う言葉はヘーゲルも使っています。

フッサールは、諸学問に根拠を与える「基礎づけ」の学として現象学を構想した。真・善・美という意味や価値の本質、また広く精神や文化に関する問いは、自然科学を中心とした実証的な学問では扱えない。それゆえフッサールは、実証的な学問についても、意味や価値を扱う学問についても、それぞれの成立根拠と範囲を明確にしようとしたのである。現象学はあらゆる学問・認識の根拠を個々人の主観における妥当(確信)に求める。これは、客観的な世界の存在を当然視する素朴な見方を根本から変更するものだった。この態度変更を自覚的に行うことが「現象学的還元」と呼ばれる。客観的な世界がある、とする私たちの素朴な態度をいったん停止して、そのような妥当が生じる条件や理由を自分の意識の内側に探っていくのである。

(現象)
現象学的還元を通じて、フッサールが主に行ったのは、事物知覚の本質構造の記述であり、自然科学が土台とする客観的世界の妥当が成立する普遍的な(誰にも共通するような)条件を探ることであった。

普遍的な構造や条件を取り出し記述することを現象学では「本質観取」という。この方法は、自分の経験を見つめ、そこから善、美、自由、正義といった人間的な諸価値の普遍的な意味あいを取り出す試みでもあり、その方法的意義は現在も失われていない。

(現象額とは、どのようなもの→ざっと、読み飛ばされれば良いでしょう)

1.フッサールの方法
1-1.主客問題

「主観と客観」あるいは「認識と対象」の問題をどう解明するか、これが現象学(Phänomenologie)の第一の課題である。周知のごとくデカルトは、「神の存在証明」(Beweis des Daseins Gottes)によりこの問題に取り組んだともいえるが、結局のところ神に頼らざるを得なかった。ところがフッサールの時代において存在の基礎づけとして神を持ち出すことはもはやかなわなかった。したがってフッサールはデカルトとは違う、しかしデカルトのように学問全体を絶対的に基礎づけるような土台から始める必要があったのである。

1-2.現象学的還元

 デカルトが「方法的懐疑」(doute méthodiaue)で示したように、「主観」は自分の外に出て「主観」と「客観」の一致を確かめることはできない。かといってデカルトのように神を持ち出すこともできない。するとどうなるか。フッサールは「現象学的還元」という新たな方法を提出する。ここで問題なのは、主観と客観の一致を確証することではなく、これが「疑い得ない」現実であるという妥当(Geltung/Gelten)(確信)がどのようにして生じるかという問題を解くことである。そしてこの問題を解くために、我々はまず「主観」から出発するのである。フッサールの考えた「現象学的還元」の方法は以下のようになる。

主観と客観の構図を取り払う
人間は「主観」の中に、ある「疑い得ないもの」を持っており、それを他人と共有せざるを得ないような構造を持っていると考える
ただ、で考えた「疑い得ないもの」の妥当が、単なる思い込み(ドクサ)doxaであってはならないため、このドクサをエポケー(Epoché)する(括弧に入れる/判断を停止する)ことによって一旦取り払ったのと同じ状態になる
1-3.「純粋意識」(reines Bewußtsein)という余剰

 先程の「現象学的還元」で自然的態度(naturalistische Einstellung)にエポケーを施し、ドクサを取り払ったあと、そこには果たして何が残るのだろうか。フッサールによればそれは「純粋意識」であるという。ではこの純粋意識とはいかなるものなのであろうか。

 フッサールのこの「純粋意識」とは、一切のものを疑ってもなおそこに残った唯一確実なものという点において、デカルトのコギト(cogito)と類似するものであるが、ある一点においてまったくその性質を異にしている。というのは、デカルトにおけるコギトとは実在するものとして考えられているが、フッサールのいう「純粋意識」とは人間の経験や世界像一般を可能にする第一の原理という意味であり、それ以上でも以下でもない。したがって、ここでは「純粋意識」が実在するものであるということは含意されていない。

1-4.コギト―コギタチオ(cogitatio)―コギタートゥム(cogitatum)(意識―意識作用―意識内容)

 フッサールは、知覚(Wahrnehmung)と知覚事物それ自体とは一つになって結合されているということはないという。すなわち、私がここに「机がある」と知覚したときの「机」とは、実際そこにある机そのもの全体を知覚したものではないということである。例えば私は机を知覚する。しかし、その机の裏側がどうなっているかまでは知覚しない。つまり、知覚は我々に対して、知覚事物のある一面を様々に異なった相で射映する(Abschattung)(与える)にすぎない。このように、フッサールによれば事物は一定のパースペクティブからしか与えられず、彼はまた、この射映によって現れることを現出(Erscheinung)と呼ぶ。

 ところで我々は、ここに「机がある」と知覚するとき、それを様々に異なった別々の机だとは知覚せずに一つの机であると知覚するであろう。それは、フッサールによればおよそ次のような仕組みになっている。

 我々は机のあらゆる相を知覚する(コギト)。この連続的に与えられる(コギタチオ)机の相を、意識が瞬時に統一して、ここに「一つの机がある」という知覚(コギタートゥム)に至る。我々は「机そのもの」を知覚したかのように感じていても、現実的知覚としては現に意識に与えられているとはいい難い。したがって、この行程には少なからず「ドクサ」が含まれていることに我々は注意せねばならない。

1-5.内在(Immanenz)と超越(Transzendeniuz)

 我々は先に、ここに「机がある」というのは現実的知覚ではなく、意識によって統一された、構成されたものであるということを確認した。ここで内在と超越、すなわち「原的な体験」としての「内在」、「構成された事象経験」としての「超越」という概念に突き当たる。ここで注意されたいのは、フッサールのこの文脈における「超越」とは神やイデアのような何かを超越した事物ではないということである。ここでの「内在」とは「原的な体験」であるがゆえにそれ以上疑うことのできない不可疑性のもの、先所与性のものである。ところが「丸い」「赤い」「光っている」といったものを知覚する際も、それが何か他のものから構成されている、すなわち超越した存在ではないのかという批判があるかもしれない(先構成論的な批判)。ただし、我々は「丸く感じた」、あるいは「赤く」、「光っているように感じた」という感じたことそのものは「ひょっとしたら丸く感じたのではないかもしれない」と疑うことはできない。したがってフッサールの「内在」とは、より厳密には知覚におけるこの不可疑的な感覚体験、人がそのように感じたという初源的な事実性ということになる。

1-6.ノエシス―ノエマ(Noesis―Noema)

 先に我々は、知覚と知覚対象それ自体とは一つになって結合されているものではないということを確認したが、知覚とパースペクティブなものとして現れる知覚事物とは、「意識とはすべて、何ものかについての意識である」という志向性ゆえに切っても切り離せない関係にある。この関係をフッサールは相関関係(Korrelation)と呼ぶ。この相関関係のうち、意識の作用的側面はノエシスと呼ばれ、対象的側面はノエマと呼ばれる。つまりノエシスとは、意識に現れた感覚的ヒュレー(hyle)(素材)に志向的な意味統一を与えてひとつの存在対象の妥当を構成する意識の働きであり、ノエマとはノエシスによって構成された対象性のことである。またこの構成された対象性のことを、志向的相関者という。

今まで書いてきたことは、要するに認識論の問題であり、これに興味を持たれる方以外は、その内容を理解する必要は少ないと思います。

しかしながら、次に感情移入についての文章があり、これは他には無いでしょう。

(感情移入)

 他我の妥当について、もう少し詳しく扱うことにしよう。いま私の知覚野(Wahrnehmungsfeld)に、我々とは違う人が入ってきたとしよう。それは我々の前に単なる物体(Körper)として現れる。ところで、なぜこの物体が我々と同じような主観をもった他我であるということがいえるのか。それは統覚的移し入れ(Übertragung)、すなわち「我々の身体としての物体」と「我々の知覚野に入ってきた物体」との類似性を基礎として、類比化的統覚を為すのである。これがフッサールのいう感情移入、言い換えれば類比統覚による特殊な間接的呈示でなのである。そもそも我々の身体は単なる物体に過ぎない。それを我々は、自己の身体的統覚によって、自己の身体としての物体」と「自己の身体」とを重ね合わせている、いわば統覚(Apperzeption)しているのである。この模型にしたがって、我々は物体として現れた他者の身体を、我々の身体との類似性ゆえに我々とは違う主観をもった他我の身体として統覚する、先ほどと逆の言い方をすれば重ね合わせているのである。この方法により私は、自分の「物体として現れる身体」を「自分の身体」として統覚するのと同じ手法で、「他者の物体として現れた身体」を「一個の身体」として統覚していることになるのである。
メンテ
フロイト、ユング   心理学 ( No.17 )
日時: 2017/12/04 18:35
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:gRJtcogo

今まで書いてきた哲学の歴史は、多くの哲学者に登場していただいたが、各人の切り口が異なるだけで、目的とするところは普遍・神と言った真理の探究であったり、人間性を探求することでした。
哲学も、この後は人間自身の有り様を直接問うことになって行きます。
まず初めに、


フロイト

ジークムント・フロイト(独: Sigmund Freud、1856年5月6日 – 1939年9月23日)は、オーストリアの精神医学者、精神分析学者、精神科医。オーストリアのモラヴィア辺境伯領のユダヤ人の家庭に生まれた。神経病理学者を経て精神科医となり、神経症研究、心的外傷論研究(PTSD研究)、自由連想法、無意識研究を行い、さらに精神力動論を展開した。精神分析学の創始者として知られる。

現在では心理学と言えば、文字通りの分野と認識されるが、フロイトの時代では哲学的認識の手法の一つとして考えられていた。
しかしながら、その内容は精神医学、心理学の分野の草分け的発想が多い。
現代精神医学、心理学からはフロイトの矛盾を指摘することが多いが、その慧眼、発想の転換には驚くべきものがある。
ヒステリー、トラウマ、自我、エス等の概念が生まれ、現代社会で流行のセラピーの原型も始められた。

(フロイトの軌跡)

1895年(39歳)、フロイトは、ヒステリーの原因は幼少期に受けた性的虐待の結果であるという病因論ならびに精神病理を発表した。今日で言う心的外傷やPTSDの概念に通じるものである。 これに基づいて彼は、ヒステリー患者が無意識に封印した内容を、身体症状として表出するのではなく、回想し言語化して表出することができれば、症状は消失する(除反応、独: Abreaktion)という治療法にたどりついた。これは当時隆盛になりつつあった物理学の「エネルギー保存の法則」をも参考にしている。この治療法はお話し療法と呼ばれた。今日の精神医学におけるナラティブセラピーの原型と考えることもできる。

やがて彼の関心は心的外傷から無意識そのものへと移り、精神分析は無意識に関する科学として方向付けられた。そして父親への依存を振り切ったフロイトは、自我・エス・超自我からなる構造論と神経症論を確立させた。

フロイトの「力動論」や「リビドー」の概念はエネルギー保存の法則を元にしているとも言われる。患者の症状は無意識に抑圧された内容の形を変えた表れである、ととらえ、ヒステリー患者たちが身体的な症状部位に関する言葉、関連した(自由連想的)エピソード記憶を想起するに至ってから症状から回復することも確かめられた[19]。リビドー(性的エネルギー)の理論には経済的な思考とヴィクトリア時代の道徳が存在している。1人の個人が消費できるエネルギーの量は限定されており、それ以上の消費を行なうと病気や神経衰弱を招く、という観念のもと理論が構築されていたのである。ここから「リビドー保存」の仮説を導き出し、そこから『文化への不満』に著されるように、直接快感をもたらす本能的性行動を放棄し、強制的に文明の目的を追求せざるをえなくなっている文明人は不幸である、という意味を引き出したのである。

フロイトがこだわった点、彼の精神分析理論の科学性については疑問がある。たとえばカール・ポパーは実験やデータなどの反例による理論修復の機会を拒否する精神分析論の独善的な姿勢を批判している。フロイトの精神分析は、「無意識の仮説」によって解明されるべき問題行為が、推理的方法を用いる、一人の“客観的証人(分析者)”にとってのみ意味を持ち、“本人”にとって意味を持たないという、正義と才能の確実な保証の無い分析者による独断が行われる危険性を産み出した。
しかし、フロイト自身がこの精神の病理という分野に大きなスポットライトを当てた業績は誰にも否定できないだろう。フロイトの時代の医学では精神病理の治療はほとんど進んでおらず、脳内のメカニズムを解明する可能性はほとんど存在しなかった。エリック・カンデルは、フロイトは元々は神経学者であり精神分析学は記憶に焦点を当てた学問である以上、将来的には記憶の神経学的解明によって精神分析学と神経学を結び付けることが可能になるであろうと指摘した。
しかし、現代の精神医学においては、フロイトの理論自体が高く評価されているとはいえない。その理由としては、嗜好性の強い独特の性的一元論に代表される、およそ通常の現代人の感覚にそぐわない違和感のある内容という事があげられる。性的一元論は、そもそも彼自身の心の病理からくるとする意見もあるが、当時のヴィクトリア朝時代の抑圧性の非常に強い時代にあっては、まさに紳士を自認する人間たちが性的な領域を否認することに、フロイトは欺瞞を感じたのだった。元々フロイトの診ていた患者は上流階級の女性が多く、性にまつわる情報を遮断された環境で育っていたという事情が指摘される。性理論の形成に関しては、当時の抑圧の強い時代において、フロイトがその観点の強調に革命的意味を持たせていたことを念頭に置く必要がある。また、例えば心的外傷(トラウマ)といった考えは、現代においても通用する。

(リビドー)
リビドーとは、日常的には性的欲望または性衝動と同義に用いられる。世間一般的には、リビドーという言葉は押さえきれない性的欲求のようなものを指して使われる。特に男性の荒々しい露骨な性的欲求を表現する言葉としてしばしば使われ、また時には男性の性的欲望を軽蔑する意味合いの言葉としても使われる。
これはジークムント・フロイトが「性的衝動を発動させる力」とする解釈を当時心理学で使用されていた用語Libidoにあてたことを継承したものである。一方で、カール・グスタフ・ユングは、すべての本能のエネルギーのことをLibidoとした。
対義語はデストルドーと誤認されることもあるが、これはフロイト晩年の『快楽原則の彼岸』における「タナトス(死の欲動)」の言い換えであって、正確な対義語ではない。フロイト自身はしばしば性的欲動の対義語として、死の欲動または攻撃欲動という言葉を使っている。ただし、1920年以前においては、リビドーは対象に向けられる欲動を指しており、その正反対の力として自我欲動を想定していたようである。これは「愛と飢え」という、古来からいわれる詩人の言葉によってしばしば表される。
(精神分析学の観点から)
精神分析学ではリビドーを、様々の欲求に変換可能な心的エネルギーであると定義している。リビドーはイド(簡単にいえば無意識)を源泉とする。性にまつわるものだけでなく、より正確には人間の性を非常にバラエティに富んだものへと向ける本質的な力と考えられている。リビドーが自我によって防衛・中和化されることで、例えば男根期の露出癖が名誉欲に変わるなど、社会適応性を獲得する。また支配欲動が自己に向かい厳格な超自我を形成して強い倫理観を獲得することもある。
リビドーは非常に性的な性質を持つとして見られる一方で、全ての人間活動はこれの変形としてフロイトは理解している。特に文化的活動や人間の道徳的防衛はリビドーの変形したもの、もしくはそのリビドーから身を守るために自我が無意識的に防衛したものとして理解されている。芸術や科学の活動も、リビドーが自我によって防衛され変形したものである。


フロイトに触れたついでに心理学で言えばユンクについて書かねばならない。

(ユンク)

カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung、1875年7月26日 - 1961年6月6日)は、スイスの精神科医・心理学者。深層心理について研究し、分析心理学(通称・ユング心理学)を創始した。

ユング心理学(分析心理学)は個人の意識、無意識の分析をする点ではフロイトの精神分析学と共通しているが、個人的な無意識にとどまらず、個人を超え人類に共通しているとされる集合的無意識(普遍的無意識)の分析も含まれる。ユング心理学による心理療法では能動的想像法も取り入れられている。能動的想像法とは、無意識からのイメージが意識に表れるのを待つ心理療法的手法である。また、ユング心理学は、他派よりも心理臨床において夢分析を重視している。夢は集合的無意識としての「元型イメージが日常的に表出している現象」でもあり、また個人的無意識の発露でもあるとされる。
夢の分析はフロイトが既に重視していたことであった。しかしユング心理学の夢解釈がフロイトの精神分析と異なる点は、無意識を一方的に杓子定規で解釈するのではなく、クライアントとセラピストが対等な立場で夢について話し合い、その多義的な意味・目的を考えることによって、クライアントの心の中で巻き起こっていることを治癒的に生かそうとする点にある。
ユングはフロイトとの決別以後も治療を続けた。ただ、彼は人生の方向を決めるのは治療者ではなく、クライアントであるとし、クライアントの無意識的創造力を信頼した。 
また、日本のユング心理学はその心理臨床において箱庭療法を積極的に取り入れたことでも知られている。
メンテ
ベルグソン 生の哲学 ( No.18 )
日時: 2017/12/04 18:43
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:gRJtcogo

ベルグソン

アンリ=ルイ・ベルクソン(Henri-Louis Bergson [bɛʁksɔn]発音例、1859年10月18日 - 1941年1月4日)は、フランスの哲学者。出身はパリ。日本語では「ベルグソン」と表記されることも多いが、近年では原語に近い「ベルクソン」の表記が主流となっている。

生きた現実の直観的把握を目指すその哲学的態度から、ベルクソンの哲学はジンメルなどの「生の哲学」といわれる潮流に組み入れられることが多く、「反主知主義」「実証主義を批判」などと紹介されることもある。だが実際のベルクソンは、当時の自然科学にも広く目を配りそれを自分の哲学研究にも大きく生かそうとするなど、決して実証主義の精神を軽視していたわけではない(アインシュタインが相対性理論を発表するとその論文を読み、それに反対する意図で『持続と同時性』という論文を発表したこともある)。

一方で、ベルクソンは新プラトン主義のプロティノスから大きな影響を受けていたり、晩年はカトリシズムへ帰依しようとするなど、神秘主義的な側面ももっており、その思想は一筋縄ではいかないものがある(ベルクソンは霊やテレパシーなどを論じた論文を残してもおり、それらは『精神のエネルギー』に収められている)。 因みに、1913年、英国心霊現象研究協会の会長に就任している。
こうした点から、ベルクソンの哲学は、しばしば実証主義的形而上学、経験主義的形而上学とも称される

ベルグソンの主著は『道徳と宗教の二源泉』です。
その中で、ベルクソンは道徳をふたつに分類している。
閉ざされた道徳
禁止事項など抑圧的な道徳。昆虫の従っている規則の類と同一視される。

開かれた道徳
自分自身や自分が属する集団の利害を超えた愛。統制によるのではなく、魅惑されることによって引き起こされるような人類全体、植物や物にまで及ぶような愛。道徳的偉人によってのみもたらされる。

同様の観点から宗教もまたふたつに分類されている。
静的宗教
呪術や迷信、儀式により社会秩序を維持するために存在しているような宗教。

動的宗教
偉大な宗教的神秘家によって説かれるような宗教。「愛の跳躍(エラン・ダムール)」へと導くような宗教。

(生の哲学)

生の哲学は、デカルト的心身二元論的な知性や理性に限定された我々の存在を超克、それより先んじて非合理的な我々の生そのものへとアプローチしていく精神史の思潮のひとつ。シュレーゲルよりも後では反形而上学的要素が強い。19世紀後半〜20世紀前半に盛んになった。
「生」とはどのようなものかについては、論者によって差があり、ショーペンハウアーはただ生きんとして生きる盲目的な暗い意志としていたが、当初ショーペンハウアーを絶賛していたニーチェは彼とは反対にすべてを我がものとし、支配し、超え出て、より強くならんとする権力への意志とし、ディルタイは歴史の流れの中にある客観的精神体としており、それぞれニュアンスに違いがあるが、合理的な理性に対する、非合理な生の優位を主張する点でおおまかな一致をみることができる。
このような生の哲学における非合理主義は、合理的な「学としての哲学」を拒むものとして非難の対象となり、新カント派は生の哲学を批判した。このような流れの中で、論理性・実証性を重視し、いいかげんな概念を用いる哲学や形而上学を批判する論理実証主義も生まれた。

つまるところ、生の哲学とは、論理的合理性に囚われることなく生きるという意志のこととも言える。
その様な意味で、小説の世界ではロマンロランの「ジャン・クリストフ」「魅せられた魂」
ショーロフの「静かなドン」の主人公の生き様を示しているのではないかと思う。
メンテ
マックス・ウェーバー   社会学・政治学 ( No.19 )
日時: 2017/12/04 18:43
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:gRJtcogo

マックス・ヴェーバー

マックス・ヴェーバー(Max Weber、1864年4月21日 - 1920年6月14日)は、ドイツの政治学者・社会学者・経済学者である。マックス・ウェーバーと表記されることもある(正式な名前はカール・エーミル・マクスィミーリアン・ヴェーバー (Karl Emil Maximilian Weber)。マックスはマクスィミーリアンの省略形である)。同じく社会学者・経済学者のアルフレート・ヴェーバーの兄である。
社会学の黎明期のコントやスペンサーに続く、第二世代の社会学者としてエミール・デュルケーム、ゲオルグ・ジンメルなどと並び称される。


マックス・ウェーバーは近代社会学の重鎮にして創始者として著名だけれども、「幼年期」ドイツ歴史学派の流儀で経済学上の業績をいろいろ残した人でもある。

 ウェーバーとゾンバルトは、当時のドイツ経済学の同世代人としてひとくくりにされることが多いけれど、これほど毛色のちがう二人も珍しいくらいだ。浅薄で、空想的、皇帝万歳のゾンバルトは、綿密で、合理的、皇帝大嫌いのウェーバーとまるでちがう。とはいえウェーバーも。ドイツの民族主義からは完全には逃れきれず、単にゾンバルトほどは帝国軍万歳の盲目的愛国者じゃなかったというだけだ。ウェーバーは「支配者民族(ナチのドイツ民族の呼称)」は自分たちの野心をもっと制限しなければならない、と固く信じていた。

 この個人的な態度表明は、彼の最も著名な経済学の業績「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(1905) にも反映されている。この本でウェーバーは、世俗の富の蓄積は慎むべきである、といった資本主義に反するようなピューリタンの物言いが、実はまさにその富の蓄積の推進力となってしまった、と論じる。この論の展開は目新しくて有名だった。カトリシズムは、ウェーバーによれば、世俗的な富の蓄積に関しては寛容であり、ぜいたくな浪費に関しては見て見ぬ振りをしていた。これは教会の階級構造(これは「地位」を求めて争いや策略が不可欠だということだ)から発生した。そして教会そのものも、ぜいたくな浪費と、しょっちゅう持ち出す世俗的な免罪の力の伝統があった。一見すると、カトリックの倫理の方が、プロテスタントの倫理よりも、資本主義に傾き易そうに見える(ウェーバー以前も以後も、まさにそう論じた人々は多い)。

 でもそりゃちがうよ、とウェーバーは言った。確かにプロテスタントの教義は、卑しい地位にとどまり、世俗の仕事と義務に専念しなさい、と言っているし、教会に階級構造もないから上昇志向や富のため込みやぜいたくのお手本となるようなものもない。でも、まさにそれこそが「働いて貯める」倫理を生みだし、それが資本主義を誕生させた。自分の仕事に専念して誇りをもつことは、確実に高い生産性をもたらす態度だ、とウェーバーは主張する。カルヴァン主義の倫理である、beruf (天職/義務/仕事) への慎ましい専念による「神々しさ」という倫理のおかげで、結果としてプロテスタント社会のほうが生産性が高いということになった。一方、カトリックの社会においては、階級序列のおかげで、上の階級への移動ができるかもしれない、という可能性がでてくる。すると多くの人々は、今やっている自分の仕事は、より高く偉い地位に就くための通過地点にすぎない、としか思わなくなる。そうなると目の前の仕事に対しても、自分本来の地位から見てつまんない仕事だと考えて最小限またはそこそこの努力しか払わないだろうし、絶対に一生を捧げるべき価値ある仕事だなんて思わないだろう。結果としてカトリック社会の生産性は低い、とウェーバーは結論づけた。

 プロテスタント社会の生産性の高さは、その高い倹約志向と組み合わさった。消費や世俗の富のぜいたくな誇示が罪だというのは、もう一つの大きなプロテスタント倫理だった。カトリックでもそういう発想はあったけれど、カトリック教会はこうした(そしてその他の)罪をほいほい許してくれる。プロテスタント教会にはそんな力はなく、だから信仰篤き人々に対して消費を慎ましく抑えろとうながす力も大きかった。でもプロテスタントの高い生産性は、要するにかれらがカトリック教徒よりたくさん稼いだということで、しかも貯蓄も大きいということは要するに富が蓄積されたということだ。カトリックは、生産性は低いのに消費はもっと大きかった。

 だから、「資本主義的蓄積」という考えは、プロテスタントの倫理から直接生じたものなんだ、とウェーバーは結論づけた。それはプロテスタント教会や教義が、強欲さを大目に見てくれたからじゃない(全く正反対だ)。むしろ、その beruf に対する生産的な献身と、消費控えめの主張によって、まったく予想外にそれが生じた、というわけ。その後、後の社会の中で「貪欲はいいことだ」という旗印のもとで、資本主義的な取得指向が倫理的に「正当化」されたのは、すでに事実化していたことをゆがんだ形で述べ直しただけだった。ウェーバーの主張によれば、「資本主義社会」を作り出したのは、絶対に資本主義的な「貪欲」の倫理じゃない(後にそれが資本主義社会の拡大にどれだけ貢献したにしても)。むしろ、全く逆だ。

 ウェーバーのこの 1905 年の議論(これは R.H. トーニーが独自に考案したものと同じだった) はもちろんすぐに反論を受けて、その後はおおむね資本主義隆盛の「完全な」理論としては否定されている。でも何はともあれ、かなりの議論は引きおこした。

 経済学(および社会科学一般)に対するウェーバーのその他の主要な貢献は、手法に関する研究だった。これには二つの側面がある: Verstehen または「解釈的」社会学についての理論と、positivism に関する理論だ。

 彼の「理解」ドクトリンは、有名だけれど批判も多く、議論の的となってきた。主な主張というのは、社会学、経済学、歴史学の研究は、何らかの概念装置を用いてアプローチするしかない(あるいはそうすべきだし、実際にそうする)んだから、決して完全に機能的・記述的ではあり得ない、というものだ。そういう概念装置をウェーバーは「理念型」と名付けた。つまりある特定の経済・社会現象を理解しようと思ったら、それらをただ記述するだけでなく、そこに参加している人々の行動を「解釈」しなければならないってことだ。でもこの「解釈」は困った問題を引きおこす。というのも、他のものを知るためには、あらかじめ定まった「理念型」に属するモノとして行動を分類する以外には手がないからだ。ウェーバーは4種類の「理念型」を提示した。(1) 目的合理的行為 (zweckrational, 合理的な目的のための合理的な手段)、(2) 価値合理的行為 (wertrational, 不合理な目的のための合理的な手段)、(3) 感情的行為 (affektual, 感情に導かれた行動)、(4) 伝統的行為 (traditional, 因習や習慣に導かれた行動) だ。

 ウェーバーは「理念型」を使うのが抽象化だということは認めた。でも、それでもそれは社会的現象を何であれ理解しようと思ったら不可欠なんだ、と主張した。だって、物理現象とちがって、それは人間行動がからんでくるし、それは理念型を通じて理解・解釈するしかないのだもの。経済学者のみなさん、ここで耳をそばだてましょう――これぞ「合理的な経済人」という想定を手法的に正当化してくれるものじゃございませんか!

 ウェーバーの実証主義についての研究、というかむしろ、社会科学における「価値自由」という批判も多い信念は、今もなお議論の的だ。ここでのウェーバーの議論はさほど目新しくはないけれど、シュモラーや「青年」歴史学派との完全かつ荒っぽい決別を記すものではあった。とって徹底的な、しかも力強い展開になるきっかけを与えることになった。

 ウェーバーの経済学に対する業績は他にもいくつかある。一つは(すさまじい調査に基づく)「ローマ農業史」(1891 年の教授資格取得論文)、そして、資本主義の歴史における観念論と物神論の二重の役割を考察した「経済と社会」(1914) でウェーバーは反マルクスぶりを示している。最後に、綿密な調査による「一般社会経済史要論」(1923) は、たぶん歴史学派の経験主義的な著作として最高水準だろう。

 マックス・ウェーバーの経済学者としての地位はあれこれ議論の対象となり、今や一般的には、その影響が最も大きかったのは社会学の分野だとされる。でもかれはドイツ歴史学派の末尾にやってきた人物で、経済学だの社会学だのといった区別がまだあまりなかった頃の人だから、それを考えると「経済学者」としても見るべきだろう。
メンテ
ハイエク  新自由主義経済論者 その1 ( No.20 )
日時: 2017/12/04 18:49
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:gRJtcogo

(ハイエク)

ハイエク(1899−1992)に哲学的に特別な業績を見る訳ではないが、彼の思想が将来の新自由主義経済論に与えた影響は大きい。
新自由主義経済とは、先の世界大戦後世界を席巻し、現在の経済の交流の源となった。
しかし同時に格差を生み、現代社会の問題点を生み出したものでもある。
新自由主義の問題は現代社会の課題であり、その良し悪しをふくめて検証するために、少し詳しく説明したい。

ハイエクは現在はリバタリアニズムの思想家の一人とみなされているが、本人は古典的自由主義者(classical liberal)を自称し、エドマンド・バークに倣いOld whigと呼ばれることを好んでいた。 またハイエクの「自由」に対する考えは、単に経済学にとどまらないものがあった。ハイエクは集産主義と計画主義には市場のどの参加者よりも一部のエリートの方が賢明であるという前提があると考えた。だが実際においては市場の情報や知識をすべて知ることは不可能であり、部分的な情報を熟知する参加者達が参加する市場こそがもっとも効率のよい経済運営の担い手であると説いた。

(リバタリアニズム)

(他者の権利を侵害しない限り、各個人の自由を最大限尊重すべきだとする政治思想である)
さらにハイエクは特にフランスに見られるような「理性」に至上の地位を与えるような合理主義には常に反対していた。人間は現存の秩序をすべて破壊し、そこにまったく新しい秩序を建設できるほど賢明ではないとし、既存の秩序、つまり「自然発生的秩序」の重要性を説いた。彼の自由主義は、あくまでイギリス・アメリカ的経験論に基づくものである。コモン・ローなどがその代表例としてあげられる。彼は理性の傲慢さのもたらす危険性を常に問題視していた。

デカルト以来の「理性主義」を「設計主義的合理主義(constructivist rationalism)」と呼び、自由主義的な「進化論的合理主義(evolutionary rationalism)」と峻別、自由主義を体系的に論じ「理性主義」を批判した。
そもそも、人間の理性は、文明社会そのものを創造する能力はもっていない。人間の行為は、一つは先天的で本能の欲求によるものであり、もう一つは人間社会が歴史的に経験を通して試行錯誤と取捨選択を積み重ねることにより発展してきた法(ルール)、伝統、規範に従ってのものである。文明社会は人間の営みの結果であっても、それは人知を超えたものによって発展しているものであり、そこに人間の理性(知力)が入る余地はわずかである。人間はその本質において、誤りに陥りやすい存在であり、人間社会は「漸進的な発展(改良、進歩)」が期待されるのであって、もし理性を乱用し「革命的な進歩」を目指した場合、文明そのものを破壊する。道徳規則の形成も、人間の社会における実践的な営みの経験の中で成長したものであり、人間の理性による意識的な発明ではない(この考えはヒュームの『人間本性論』に通じる)。同様に、社会秩序も「自生的秩序(a spontaneous order)」であり、自由社会と不可分の関係にある、「法の支配(rule of law)」と市場経済の二大原則の確立もこれにほかならない。

こうした考えから、計画経済と集産主義(collectivism)、それに基づく社会主義、共産主義、ファシズムに対して反対し、同時にファシズムも左翼に分類した。
ハイエクの活動は第二次世界大戦をはさんだ時期に最初のピークを迎える。経済学者として,社会主義経済学やケインズ経済学に対する徹底した批判を展開してきたハイエクは,著書『隷従への道』(1944)において,社会主義やケインズ主義を生み出すにいたったそもそもの思想的基盤を問題とするにいたる。それが「計画主義的思考」,すなわち社会を何らかの計画に基づいて合理的にコントロールしようという思考である。

ハイエクによれば,デカルト以来の近代合理主義が生み落とした計画主義的思考は,本来歴史過程において自生的に形成されてきた秩序(「自生的秩序」)をいたずらに破壊し,上から一元的な価値を押し付けることで,人間の多様性や自由を抑圧してしまう。ここでいう自生的秩序とは,さまざまな人間の予期せぬ自由な行動が複雑にからみあった結果としていつのまにか成立し,それ自体が一定の自律性や規則性をもって機能するにいたった,そのような秩序である。自生的秩序は,個々の人間や集団が何らかの意図を実規するために意識的・計画的に作り出した株序よりはるかに精妙で,文明の真の進歩を支えてきた。具体的には,言語や慣習法や伝統および市場が,典型的な自生的秩序である。市場もまた自生的秩序であると主張することで,ハイエクは,市場の失敗を人間の意図的なコントロールによって克服しようという一切の試みが,無益でありかつ本質的に危険であることを示そうとした。

 政府による市場介入を厳しく批判したハイエクの議論は,福祉国家建設に人々の関心が集中していた戦後のしばらくの期間,あまりにも「反動的」であるとして傍流に押しやられていた。だが,1970年代以降,福祉国家の行き詰まりを打開しようとする論者に再発見され,リバタリアニズムの成立に決定的な影響を与える。

貨幣的側面と実物的(生産構造上の)側面との両面から、相対価格体系の変動が景気の変動を発生させるとするハイエク理論は、この問題を捨象し主として集合量の変化に基づき、いわゆるマクロ的分析を行うケインズ派経済学とは、基本的・対照的に違っており、ハイエク‐ケインズ論争は有名である。ケインズ派の凋落(ちょうらく)とともに、改めてハイエク・ブームが始まったのも不思議ではない。かつて一度は「中立貨幣」を説いたハイエクが、1977年に「貨幣の非国有化論(国立中央銀行撤廃論)」を主張するに至ったのも当然かもしれない。だが、ハイエクは「自由放任論者」ではなく、自由社会や自由経済をよりよく発展させるために、政府は何をしなければならないかを、つねに新しい問題として解答していかなければならないという「新自由主義」を説く。

ハイエクの具体的な主張 (隷従への道より)

「個々の分散された経済計画を相互に調整し、統合するのが、競争市場下での価格メカニズムである」
「個々の家庭の経済計画をすべて政府が把握して管理するのは不可能である」
「価格の持つ情報力は、市場で価格が誰にも支配されず、かつすべての者を支配している時に機能を発揮する」
「消費者の選択の自由を制限すると、一時的に物資は豊富になるが、新製品が生まれにくくなる。どの新製品が将来発展するか誰も予測できない。市場に任せるしかない」

「計画経済下で豪華な設備を作っても、多くの場合、資源の誤用になる」
「生産設備を国有化し、資本市場での取引きを禁止すると、その設備が効率的に使用されているのか全く判断できなくなる」
「社会全体の目標を決めることができるということは、個々の国民全員の価値尺度の順位付けができるということである。個々の国民それぞれの心の内部に葛藤がある。最終的に価値判断するのは個々の国民であって、政府ではない」

「議会は利害の対立する特定の経済計画を多数の賛成で決めるのに適さない」
「経済計画を民主的に決めるのは、陸戦計画を民主的に決めるよりも難しい」
「議会が経済計画の策定を行政府に委任する範囲は不可避的に拡大し、経済活動が法の支配から脱却していく」
「法の支配下で行われる自由な経済活動においては、個人は経済活動の結果が予知可能である。政府の支配下で行われる計画経済においては、経済計画上の要請で、個人の努力の結果を事後的に無効にされる可能性がある」

「国家の経済が計画化されればされるほど、個人の経済活動の計画化は困難になる」
「配給制では選択の自由が制限される。貨幣を所有することにより、その人にとって不必要な物から切っていく自由が生じる」
「私有財産制は、資産家同士を競争させることによって、財産のない消費者にも利益を与える」
「自由な労働市場がないと職業選択の自由がない。自由に職業が選択できて、はじめて能力に応じた職業選択の最適化が図られる」
「計画経済下では適正な労働報酬を算定するのが困難である。完全な平等は実現できるが、公正な平等は実現できない」
「自由主義経済下での不運な失業は許容できても、社会主義経済下での計画者が決定した失業は受容できない」

「労働報酬が、その職業の社会的価値を表す。所得保障は、自主的配転を阻害し、命令配転が必要になる」
「計画経済における個人の失敗(ノルマ未達成等)は、自由経済のように個人財産の減少という形で償うことができず、犯罪として罰せられることになる。自分が損すれば済むというわけにはいかない」
「ある部門の所得保障は、他の部門の所得を減少させる。また、より安い報酬で参入したい者を阻害する」
「社会全体の目的を追求すると、個人は無視される」
「社会全体の目的を決める人(独裁者)以外は、個人的な道徳的信念を持てなくなる」

続く
メンテ
ハイエク  新自由主義経済論者 その2 ( No.21 )
日時: 2017/12/04 18:55
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:gRJtcogo

見てきましたように、ハイエク自身は第二次世界大戦の前後の時代に活動した人であり、彼の主張そのものが、資本が巨大化しグローバル化が進んだ現在、科学技術が発達した現在のあらゆる分野の状況に直接当てはめられるようなものではありません。
当時においても、「あまりにも「反動的」であるとして傍流に押しやられていた」とありますが、「1970年代以降,福祉国家の行き詰まりを打開しようとする論者に再発見され,リバタリアニズムの成立に決定的な影響を与える」となってきます。

この変換は何故起こったのか。

まず、新自由主義の項で新自由主義が評価された事例として、イギリスの経済復興のことが言われています。
「市場を絶対視したサッチャーの下、自助の精神が取り戻されたという評価や、以下の各国に共通した双子の赤字の課題を残しつつも、英国が英国病を克服したことです」

1970年当時のイギリスはかつての栄光の名残を引きずり、実際の国の制度はアチコチ疲弊し、慢性的な不況の中にいました。
サッチャー首相(1979 年就任)が実施した荒療治とも言える経済再建策により,克服されたとされることです。
確かにマンネリ化したシステムに息を吹き込む意味での処方箋として有効だったのでしょう。

2また米国が石油危機に端を発するスタグフレーションを脱し、1990年代にはビル・クリントン政権下でインターネットなどの新産業が勃興して産業競争力を回復したこと、

南米ではブラジルが1990年代までの深刻なインフレの制圧に成功しブラジル通貨危機までの安定成長を遂げていることなどは、グローバル資本主義、新自由主義の功績であると評価されていますが、それはいづれも応急処置的な様相の中の問題です。
反対にこれを非難する記述も以前に書きました、下記は其の一部です。

西側諸国では、労働者に対する責任転嫁は格差社会を拡大したとの批判もあり、またチリにおけるシカゴ学派の功績は事実と大きく異なることが明らかになり、ジョセフ・E・スティグリッツら公共経済学の立場からも新自由主義的な政策で国民経済が回復した国は存在しないことが指摘されている。債務国の再建策として新自由主義的な経済政策を推し進めていたIMFも、2005年に理論的にも実践的にも新自由主義的な経済政策の推進は誤りだったと認めている。

ようするに、長期的に見れば、経済的弱者が切り捨てられ、格差が広がり、国家全体としてみれば、ハイエクの言うような社会が構成できていないことが明らかになっているのです。

また資源やエネルギー、環境の問題を含めてハイエク時代と条件が全く異なっています。
ところが現在はその思想が世界の主流として進められているようです。
其の訳に言及するとき、アメリカ巨大資本の意向と言うものに注目しなければなりません。
下記は再掲になりますがその経緯について検討したいと思います。

(背 景)

(1)輸送・通信分野の技術進歩による時間的・空間的距離の短縮、
(2)規制緩和や市場開放など自由化の進展、
(3)旧社会主義圏の崩壊と新興工業国の台頭により市場が世界的規模で拡大 (市場経済規模は27億人から55億人に一気に倍増) したこと、が挙げられる。また、今後は、
(4)インターネットを代表とする情報通信ネットワークの拡大、
(5)NGOの国際的な活動の活発化等が世界経済の一体化を促進していると考えられています。

また企業活動のグローバル化には、大きく分けて5つの段階があるといいます。

第1段階は輸出、
第2段階は海外販売網の整備、
第3段階は天然資源、低廉な労働力、海外マーケットを目的とする生産や技術開発拠点の海外移転、
第4段階は事業推進のために必要な経営資源の移転、
第5段階は世界的規模での経営戦略の展開となる。企業が現地生産等の海外直接投資を増やし、多国籍化していくにつれ、モノ、カネ、ヒトの国境を越えた移動が活発化し、国境の制約が相対的に薄れ、相互依存関係が深化していく。

現在は第5段階に進みつつあり、世界を一つの市場として各国の企業が激しい競争を繰り広げるメガ・コンペティション(大競争)が始まり、提携や買収など競争力強化を目的とした世界的規模での企業の再編成が進んでいる。国境を越えたM&A(企業の合併・買収)の急増、大型化している。一企業内でも、部品供給と完成品組み立てを複数の国で分業する企業内貿易が、国際貿易に大きな割合を占めるようになっている。
また、貿易の拡大、金融取引に関する規制緩和の推進、情報通信ネットワークの拡大により、世界の金融市場の一体化が急速に進展している。
以下、個別に検討したいと思います。
(背 景)
 (2)規制緩和や市場開放など自由化の進展、

ウルグアイ・ラウンド(Uruguay Round、1986年 - 1995年)は、世界貿易上の障壁をなくし、貿易の自由化や多角的貿易を促進するために行なわれた通商交渉です。これにより各国の規制をなくしアメリカ型の巨大資本が活動しやすい下地を作りました。
(3)旧社会主義圏の崩壊と新興工業国の台頭により市場が世界的規模で拡大 (市場経済規模は27億人から55億人に一気に倍増) したこと、が挙げられる。また、今後は、

目ざとい巨大資本が市場としての旧共産主義国と安価な労働力の供給先を同時に手に入れる機会を得て勇躍したと言うことです。
其の国の安定した発展など、何処吹く風で、人々の解放心を利用して、其の国家を蹂躙して乱入していったのです。中国などに見られる極度の格差社会の実現は、それが必然であったのでしょうか。
(4)インターネットを代表とする情報通信ネットワークの拡大、
このことも、急速にグローバル化が進められる強力な手段となりました。

(グローバル化の段階)

第3段階は天然資源、低廉な労働力、海外マーケットを目的とする生産や技術開発拠点の海外移転、

これはすでに述べました、旧共産主義国の崩壊がこの傾向に拍車をかけました。

第4段階は事業推進のために必要な経営資源の移転、

 1980年代から、我が国でも現地生産を目指す企業が急増しています。
 世界の先進国の国内で産業の空洞化が著しくなり始めたころです。
もっとも、アメリカだけは早くからそれを行い、行わねばならないほどの事業規模であったといえます。
その代わりに、アメリカ社会の格差はすでにどうにもならないほど進んでいました。

第5段階は世界的規模での経営戦略の展開となる。企業が現地生産等の海外直接投資を増やし、多国籍化していくにつれ、モノ、カネ、ヒトの国境を越えた移動が活発化し、国境の制約が相対的に薄れ、相互依存関係が深化していく。

我が国でも1990年代の後半から、企業の集約が急速になされました。金融資本においても同様です。
それほどまでにしなければ世界について行けないような、熾烈な資本戦争に巻き込まれたのです。
この段階になると、国家が国民の為に考える施策よりも資本の戦争に勝つための施策の方を優先させざるを得ないようになりました。
完全に資本の論理が国家の論理を超えてしまったのです。

このような「新自由主義」などと言う言葉とは裏腹な巨大資本同士の戦争が始まりました。
ハイエクは、その理論的な武装に使われただけで、元々、当時を30年も遡る彼の理論がその当時の世界の経済の状況などを把握できるようなものではなかったのです。
単純に、アメリカを中心とする世界の巨大資本の戦略に世界が載せられたということです。
グローバル化の傾向は、それでなくても資本主義が抱合する憂慮すべき問題であったのですが、それを平然と逆手に取ったペテン師のような巨大資本の勝手な収益主義に世界が、政治が弄ばれたといえます。
メンテ
ニーチェ ( No.22 )
日時: 2017/12/05 11:27
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:sdl19w96

(ニーチェ)

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(独: Friedrich Wilhelm Nietzsche, 1844年10月15日 - 1900年8月25日)は、ドイツの哲学者、古典文献学者。現代では実存主義の代表的な思想家の一人として知られる。古典文献学者フリードリヒ・ヴィルヘルム・リッチュルに才能を見出され、哲学教授職を希望しつつも、バーゼル大学古典文献学教授となり、辞職した後は在野の哲学者として一生を過ごした。随所にアフォリズムを用いた、巧みな散文的表現による試みには、文学的価値も認められる。

ニーチェはソクラテス以前の哲学者も含むギリシア哲学やアルトゥル・ショーペンハウアーなどから強く影響を受け、その幅広い読書に支えられた鋭い批評眼で西洋文明を革新的に解釈した。
ニーチェは、神、真理、理性、価値、権力、自我などの既存の概念を逆説とも思える強靭な論理で解釈しなおし、悲劇的認識、デカダンス、ニヒリズム、ルサンチマン、超人、永劫回帰、力への意志などの独自の概念によって新たな思想を生みだした。
生存することの不快や苦悩を来世の解決に委ねてしまうクリスチャニズムの悪癖を否定し、無限に繰り返し、意味のない、どのような人生であっても無限に繰り返し生き抜くという超人思想につながる概念である。
彼は、ソクラテス以前のギリシャに終生憧れ、『ツァラトゥストラ』などの著作の中で「神は死んだ」と宣言し、西洋文明が始まって以来、特にソクラテス以降の哲学・道徳・科学を背後で支え続けた思想の死を告げた。

「神の死」とは、ニヒリズム的状況。彼岸を「真の世界」とする価値観(プラトニズム・キリスト教)が崩壊したことで発生した。
ニーチェによれば、「神の死」とは単なるキリスト教超克ではなく、ニヒリズムの宣言でもあった。生の本質は「力への意志」であり、それは自己維持のために必要な世界解釈を行う。
対して、キリスト教は弱者による虚構の世界解釈である。強者は自己を善とし弱者を「劣悪」とするが、そうした価値観を畜群的弱者は転倒させ、支配的強者を「邪悪」とし、自己正当化する。
自力で生と格闘したニーチェは、結局、狂気の中で死ぬことになる。
1889年1月3日、ニーチェはトリノ市の往来で騒動を引き起し、二人の警察官の厄介になった。その後、肺炎で55歳の人生を終える。

ニーチェは、キリスト教にも依らず、他の観念論にも頼らず、自らの生を向き合い、ギリシャ哲学の清新さに憧れ、結局は悩み抜いて狂気を発したと言われる、その生き様が後世の若者たちに支持され、理論的成果は少ないが著名な哲学者と認められている。
しかしながら、そのニーチェの生き様の無力感がニヒリズムを生み、反対にロマン主義に傾倒する事もなる。

(ロマン主義とは)
ロマン主義の底流に流れているものは、古典主義や教条主義がしばしば無視した個人の根本的独自性の重視、自我の欲求による実存的不安といった特性である。ロマン主義においては、それまで古典主義において軽視されてきたエキゾチスム・オリエンタリズム・神秘主義・夢などといった題材が好まれた。またそれまで教条主義によって抑圧されてきた個人の感情、憂鬱・不安・動揺・苦悩・個人的な愛情などを大きく扱った。

音楽好きのニーチェにはワーグナーと言う音楽家の知人がいる。
ワーグナーは歌劇の分野で大きな功績を残しているが、彼の音楽ロマン派とも言われている。

さてニーチェの主著であるが、それはツァラトゥストラはこう語った」と言う名の4部作と言われている。
ニーチェの代表作「ツァラトゥストラ」は、主人公のツァラトゥストラが旅をしながら自らの思想を説くというスタイルをとっています。

その内容を紹介するよりも、ニーチェの名言、格言を紹介する方がニーチェの理解には向いているのでは無かろうか。

ニーチェの名言、格言

いつか空の飛び方を
知りたいと思っている者は、
まず立ちあがり、
歩き、走り、登り、踊ることを
学ばなければならない。
その過程を飛ばして、
飛ぶことはできないのだ。


樹木にとって最も大切なものは何かと問うたら、
それは果実だと誰もが答えるだろう。
しかし実際には種なのだ。

過去が現在に影響を与えるように、
未来も現在に影響を与える。

毎日少なくとも一回、
何か小さなことを断念しなければ、
毎日は下手に使われ、
翌日も駄目になるおそれがある。

世界には、きみ以外には
誰も歩むことのできない唯一の道がある。
その道はどこに行き着くのか、
と問うてはならない。
ひたすら進め。

あなたが出会う最悪の敵は、
いつもあなた自身であるだろう。

軽蔑すべき者を敵として選ぶな。
汝の敵について
誇りを感じなければならない。

世論と共に考えるような人は、
自分で目隠しをし、
自分で耳に栓をしているのである。

高く登ろうと思うなら、
自分の脚を使うことだ。
高い所へは、
他人によって運ばれてはならない。
人の背中や頭に乗ってはならない。

忘却はよりよき
前進を生む。

>実存主義哲学

実存主義は、普遍的・必然的な本質存在に相対する、個別的・偶然的な現実存在の優越を主張、もしくは優越となっている現実の世界を肯定してそれとのかかわりについて考察する思想である、とされる(「実存は本質に先立つ」)。本質をないがしろにするような思想的なものから、本質はこうだが現実はこうであり、本質優位を積極的に肯定せずに、現在の現実をもってそれをどう解決していくべきなのかを思索的に考えたもの。本質を積極的に認めない傾向があるため、唯物的、もしくは即物的になり、本質がみえなくなってしまう極端な思想も生まれる土壌にもなる。また悲観的な発想にもなりがちとなっている。
分かりやすい例えとして スプーンは食べ物をすくう為の物という目的(本質)が先にあり、そこから人の手によって作られる(実存)することによって存在する。 しかし人間は実存が先にあり、本質は自分の手で選びとっていかなければならないとした思想である。

実存主義的な哲学は古くからあったものですが、ニーチェの存在を期に、キルケゴール、ハイデッガー、サルトルなどが追求する事になり、一時は世界の若者を虜にする事になる。
アウトサイダーの様な言葉が流行ったのも、この影響であろう。

ついでに紹介しておきますと、ドストエフスキーの「罪と罰」は、実存主義哲学の影響を受けているものと思います。
なを、実存主義はアナーキズムを生むなど、肯定的な哲学の使命からは外れている面もあるが、飽くまでも人間の生き方を考える意味では哲学は違いない。

メンテ
サルトル  実存主義哲学 ( No.23 )
日時: 2017/12/04 23:25
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:gRJtcogo

ルネッサンス以降、哲学の手法は、今まで見てきた様に、懐疑論(デカルト)、経験主義、人間機械論、社会契約論、カント哲学と解れてきました。
その上に、唯物論、人生論、現象学、実存主義、実証主義、心理学、生理学、社会学へ展開していきます。

また新プラトン主義と言われる流れも存在している。
ギリシャ哲学の始祖、プラトンには、人間にとって基本的な何かを含んでいるのでしょう。

新プラトン主義は、後3世紀に成立し、西洋古代哲学の掉尾を飾った潮流である。始祖とされるプロティノス(3世紀)は、プラトンのイデア論を徹底させ、万物は一者から流出したもの(流出説)と捉えた。ネオプラトニズムとも。
現代の「新プラトン主義」は18世紀のドイツで生まれた造語が19世紀に入ってから定着した近代の用語であり、シュライアーマッハー以降、文献学により、プラトン自身のオリジナルの教説と後世の追随者の思想とが区別して捉えられるようになって確立した概念である。多くの場合、時代的に新しいプラトン主義であるというだけでなく、いくつかの面でプラトン思想とは異なる特徴を呈しており、本来のそれからの逸脱である、という含みをもって用いられる。

哲学と言えるか解りませんが、

プラトニズムと言う言葉は現在でも生きています、読んで字のごとくプラトンの思想にもとづいています.
ではそのプラトンの思想とはどのようなものか.かれは世界を物質世界と精神世界(イデアの世界)にわけて,後者こそが本当に存在する世界だとしました.つまり,われわれがふつうに感覚で認識しているような世界はウソの世界だと考えたのですね.

そこから,肉体的(物質的)なものよりも精神的なものを重視する考えかたをプラトニズムと呼ぶようになりました.よく使われるのは,恋愛において,セックスなどの肉体的な関係をもたず,精神的なふれあいのみで満足するようなものをプラトニック・ラブと言います。

「実存主義」

この最後に位置づけられるものに実存主義哲学があります。

実存主義は、普遍的・必然的な本質存在に相対する、個別的・偶然的な現実存在の優越を主張、もしくは優越となっている現実の世界を肯定してそれとのかかわりについて考察する思想である、とされる(「実存は本質に先立つ」)。本質をないがしろにするような思想的なものから、本質はこうだが現実はこうであり、本質優位を積極的に肯定せずに、現在の現実をもってそれをどう解決していくべきなのかを思索的に考えたもの。本質を積極的に認めない傾向があるため、唯物的、もしくは即物的になり、本質がみえなくなってしまう極端な思想も生まれる土壌にもなる。また悲観的な発想にもなりがちとなっている。
分かりやすい例えとして スプーンは食べ物をすくう為の物という目的(本質)が先にあり、そこから人の手によって作られる(実存)することによって存在する。 しかし人間は実存が先にあり、本質は自分の手で選びとっていかなければならないとした思想である。

もう少し平易に言えば(そんなに平易でもないが)

『存在と時間』でのハイデッガーは、世界のうちに現に投げ出されて存在する人間を現存在とよび、現存在が存在すること、そのことを実存と名づける。現存在がどのように実存するかは、あらかじめ定められた人間の普遍的本質といったものによってではなく、その時々に現存在が実存するまさにそのことによってのみ決定される。つまり「現存在の本質はその実存にある」ことになる。現存在をこうした角度から分析するのが実存論的分析であって、それを通じて実存の非本来性と本来性とが区別される。非本来的な実存とは、本来の自己を見失って「ひと」das Manのうちに没入し、世界の内部で現れる目前の事物に心を奪われている人間の日常的なあり方のことで、これは時間に即していえば、過去を忘却し、未来を予期しながら、その時々の現在に分散して生きる人間のあり方である。

まあ、現代流に言えば、自己責任で生きるという事になりますか。
神にも頼らず、普遍も求めずと言った生き方ですが、もともと哲学、宗教などは人間存在において心の救済を求めるもの。
自己責任で考えても、結局は悲観的に終始することが多くなる。

ニヒリズムやアナーキズム、そのようなものが派生することになる。

実存主義と言う概念は古くからあったが、それを現代的に理論化したのが、ハイデッガー、サルトルです。

(サルトル)

ジャン=ポール・シャルル・エマール・サルトル(フランス語: Jean-Paul Charles Aymard Sartre、1905年6月21日 - 1980年4月15日)は、フランスの哲学者、小説家、劇作家。

サルトルの論調は以下のようなものですが、哲学書を読むより、サルトル他の実存主義文学を読まれた方が解りやすいかと。

サルトルの思想は実存主義によるもので、今まさに生きている自分自身の存在である実存を中心とするものである。特にサルトルの実存主義は無神論的実存主義と呼ばれ、自身の講演「実存主義はヒューマニズムであるか」(のちに出版される『実存主義とは何か』のもととなった講演)において、「実存は本質に先立つ」と主張し、「人間は自由という刑に処せられている」と言い切っている。

もし、すべてが無であり、その無から一切の万物を創造した神が存在する(有神論の立場)ならば、神は神自身が創造するものが何であるかを、あらかじめわきまえている筈である。ならば、あらゆるものは現実に存在する前に、神によって先だって本質を決定されているということになる。この場合は、創造主である神が存在することが前提になっているので、「本質が存在に先だつ」ことになる。

しかし、サルトルはそのような一切を創造する神がいないのだ(無神論の立場)としたらどうなるのか、と問う。創造の神が存在しないというならば、あらゆるものはその本質を(神に)決定されることがないまま、現実に存在してしまうことになる。この場合は、「実存が本質に先だつ」ことになり、これが人間の置かれている根本的な状況なのだとサルトルは主張するのである。

そこでまず、サルトルは即自と対自という対概念を導入する。これは物事のあり方と人間のあり方に分けて対比させたもので、即自である物事とは、「それがあるところのものであり、あらぬところのものであらぬもの<l'&#234;tre est ce qu'il est et n'est pas ce qu'il n'est pas>」であるとした。これは物事が、常にそれ自身に対して自己同一的なあり方をしていることを意味し、このようなあり方を即自存在<&#234;tre-en-soi>という。

それに対して、対自<pour-soi>である人間とは、「それがあるところのものであらず、それがあらぬところのものであるもの」とした。人間は、何をやっているときでも常に自分を意識することができるので、物事のように自己同一的なあり方をしていない。AはAであるといわれるのは即自存在においてのみであって、対自においてはAはAであったとしか言われえない。対自は仮に存在といわれたとしてもそれ自身は無<n&#233;ant>である。これは人間があらかじめ本質を持っていないということを意味する。このことについてサルトルは「人間とは、彼が自ら創りあげるものに他ならない」と主張し、人間は自分の本質を自ら創りあげることが義務づけられているとした。

人間は自分の本質を自ら創りあげることができるということは、例えば、自分がどのようにありたいのか、またどのようにあるべきかを思い描き、目標や未来像を描いて実現に向けて行動する「自由」を持っていることになる。ここでのサルトルのいう自由とは、自らが思い至って行った行動のすべてにおいて、人類全体をも巻き込むものであり、自分自身に全責任が跳ね返ってくることを覚悟しなければならないものである。このようなあり方における実存が自由であり、対自として「人間は自由という刑に処せられている」というのである(人間は自由であるように呪われている。<condamn&#233; &#224; &#234;tre libre>)。

とはいえ、人間は自分で選択したわけでもないのに、気づいたときにはすでに、常に状況に拘束されている。他人から何ものかとして見られることは、わたしを一つの存在として凝固させ、他者のまなざしは、わたしを対自から即自存在に変じさせる。地獄とは他人である<l'enfer, c'est les autres>。そのうえ、死においては、すでに賭けはなされたのであって、もはや切り札は残されていない。わたしを対自から永久に即自存在へと変じさせる死は、私の実存の永遠の他有化であり、回復不能の疎外であるといわれる。


(サルトルの文学)

サルトルは最初、芸術によって存在を完璧(かんぺき)なものにしようと考えたが、やがて戦争体験を経ることにより、真の自由の獲得と、したがって真の存在の完成とは、歴史や社会や現実に参加することによって獲得しなければならぬと考えるに至った。こうして長編小説『嘔吐(おうと)』(1938)は、実存意識に目覚めた人間が小説を書くこと(芸術)で生の意味を発見しようとする姿を描き、短編小説『壁』(1937)では、人生を選択できず、ただ存在するだけのものとして存在する人間を示し、劇作『蠅(はえ)』(1943)では、自己の状況を乗り越える行動によって自己を判定する人間を浮き彫りにした。さらに4部からなる連作長編小説『自由への道』(1945〜49、第4部『最後の機会』は未完)では、第二次世界大戦の前中後の時代を生きる一知識人が、こうした実存的人間の発展をたどりつつ、ついに新たな真の自由と新たな自己を発見する過程を描いた。

 さらに、実存主義文学が社会への参加の文学である以上、文学者は書斎での孤独な創作活動だけにとどまることをやめて、積極的に社会や政治の問題に発言し、それに対して熱烈に働きかけることになる。こうしてサルトルは、さまざまな社会、政治、時事問題――ハンガリー事件、アルジェリア問題など――に正面からかかわり合っていった。そうした参加からまた、政治における目的と手段を描く劇作『悪魔と神』(1951)などの作品を生み出した。以上のような意味合いからサルトルの文学および実存主義文学は、新しい意味でのヒューマニズムの文学といわれている。

(アルベール・カミュの文学)

カミュの場合、サルトルの『嘔吐』と同じような位置を占める作品が『異邦人』(1942)である。その主人公は「不条理」absurdeの意識をもつがゆえに、日常性と良識を代表する社会によって殺人罪で裁かれるが、実は裁く側も自己欺瞞(ぎまん)の罪によって告発されているのと同然である。カミュはこの、人間に虚偽や欺瞞を強い、人間の真の存在を否定する不条理との戦いこそ人間の義務であるとする。そしてこの義務はこうした不条理な人生への抗議、反抗の形をとって、エッセー『シシフォスの神話』(1942)では、永遠に崖(がけ)の上に岩を押し上げねばならぬ絶望的な反抗行為となり、そこに人間のあるべき姿をみようとする。

 こうして、カミュにおいては、反抗が不条理意識をもつ人間の参加行為となり、これを具現するのが長編小説『ペスト』(1947)の主人公で、彼はペストのために恐慌をきたした町で、神や悪魔の無力を知って孤独地獄に陥る人々に囲まれながら、因襲や安易な妥協に甘んじることなく、人間の連帯を頼みにして己の職務を遂行する。こうした意味で、不条理に反抗し続けて人間性を追求する道がまたヒューマニズムに通じている。そして不条理的人間による人間性の誠実な探求の道が、このような反抗と行動の形をとるがゆえに、不条理の文学も必然的に社会への参加を行うものとなる。

(シモーヌ・ド・ボーボアール)

ボーボアールは学生時代にサルトルと巡り会い、2人の結合は激烈な反順応主義と、出生の環境(ブルジョアジー)に対する反抗によって強固にされたが、この二つの命題が彼女の文学的出発点となり、そこにはすでにこの実存主義文学の女王の生涯のテーマがかいまみえる。すなわち、ボーボアールの文学活動は、女性であることの「本質」と女性になることの「実存」の矛盾相克の苦悩を核として展開されるといえよう。長編小説『招かれた女』(1943)は嫉妬(しっと)という永遠のテーマを一新するもので、主人公フランソアーズは自分と夫との間に介入してくる「他者」の存在である招かれた女グザビエールを殺す。他者の幸福に対する指向と他者の存在とはつねに自我の破壊であるという認識である。長編小説『他人の血』(1944)では、レジスタンスにおける連帯と責任の問題を扱い、長編小説『人はすべて死す』(1947)では、真の個人と歴史との相克を描く。膨大な社会学的、心理学的、文学的女性論である『第二の性』(1949)は、「女性は雌と去勢者の中間的存在として社会的心理的につくりあげられるもの」であり、女性が他者によって自己を規定されるのは人間として堕落であるとの観点から、女性の復権を求める。さらに4部からなる回想録『娘時代』(1985)、『女ざかり』(1960)、『或る戦後』(1964)、『決算のとき』(1972)と『おだやかな死』(1964)は、ボーボアール自身の「女性になることへの実存」に至る過程を精神形成と重ね合わせて語る、同時代のドキュメント豊かな作品である。


私は、これらの小説を読んだ事はありません(読む気がありませんでした)
態々醜い疑似体験などしたくはなかったからです。

近代哲学の大きな流れとして実存主義がありますが、ギリシャ哲学で始まった真理の探究と言うものは放棄され、結局は哲学自身が居場所を無くしたことになります。
ニヒリズムもアナーキズムも結局は逃避であり、逃避せざるを得ない人間の困苦の為に哲学があったはずです。
言い換えれば、サルトルの実存哲学は、逃避を論理つけるための哲学と捉えられる面があるのです。

なお、近代哲学は、この後、実証主義へ進みます。
実証主義や今まで省いていたマルクスについて、この後、話す事にします。

メンテ
メルロ・ポンティ   実証主義哲学 ( No.24 )
日時: 2017/12/05 10:09
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:sdl19w96

メルロ・ポンティ

モーリス・メルロー=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty、1908年3月14日 - 1961年5月3日)は、フランスのロシュフォール生まれの哲学者。主に現象学の発展に尽くした。

彼の哲学は「両義性(Ambigu&#239;t&#233;)の哲学」「身体性の哲学」「知覚の優位性の哲学」と呼ばれ、従来対立するものと看做されてきた概念の<自己の概念>と<対象の概念>を、知覚における認識の生成にまで掘り下げた指摘をしている。

たとえば、それまで枯れ木を見たことがない人にとっては、枯れ木を見るだけでは、名前のない枯れ木を「現象」としてしか知ることができない。「枯れ木」を恒常的に認識できるようになるためには、「枯れ木」という言葉(記号)を知る必要がある。
また、精神と身体というデカルト以来の対立も、知覚の次元に掘り下げて指摘し、私の身体が<対象になるか><自己自身になるか>は、

「どちらかであるとはいえない。つまり、両義的である」とした。一つの対象認識に<精神の中のものであるか><対象の中のものであるか>という二極対立を超え、私の身体のリアリティは<どちらともいえない>。しかし、それは無自覚な<曖昧性>のうちにあるのではなく、明確に表現された時に<両義性>を持つとした。そして、その状態が<私という世界認識><根源的な世界認識>であるとした。
そこには、既に言葉と対象を一致させた次元から始めるのではなく、そもそもの言葉の生成からの考察がある。

それは、論理実証主義哲学、分析哲学、プラグマティズムなどの<言語が知られている次元>からの哲学に厳しい指摘をしたといえる。そこには多くの哲学の垣根を越える試みが見られ、また、異文化理解や芸術などに大きな影響を与えた。
また、知覚の優位性からの新しい存在論の試みが絶筆となった『見えるもの見えないもの』で見られる。

これも短い文章だけではほとんど理解できないと思います。
要するに、知覚(目、耳、鼻、肌触り)などと脳により認識を関連つけて事物の把握をしようとするもので、ほとんど脳神経医学、生理学の領域です。

メルロ・ポンティについて現象学と書いていますが、実証主義と言った方が良いかと思います。
その実証主義の概念も古くからあったものですが、ここで言う実証主義とは自然科学に基づいた実証主義であり、すなわち医学、生理学を根拠に哲学まで推論すると言う手法です。

結局は実存主義と同じで、純粋なギリシャ的な意味での哲学は終焉したと言うことになります。
終焉と言いましても、無くなったとか、不必要になったと言う意味ではありません。
哲学と言う観念は希薄になっても哲学と人間性の関係は何時までも続きます。

メルロ・ポンティの主著は
『知覚の現象学』です。
科学的な人間性の把握は社会学の手法にも取り入れることが出来、その方面での展開が望まれるところです。
メルロ・ポンティなどは、名前だけを覚えて於かれて、機会があればさわりでも読まれたら良いでしょう。
メンテ
マルクス その1 ( No.25 )
日時: 2017/12/04 21:16
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:gRJtcogo

(マルクス)

カール・ハインリヒ・マルクス(ドイツ語: Karl Heinrich Marx, 1818年5月5日 - 1883年3月14日)は、ドイツ・プロイセン王国出身の哲学者、思想家、経済学者、革命家。1845年にプロイセン国籍を離脱しており、以降は無国籍者であった。1849年(31歳)の渡英以降はイギリスを拠点として活動した。

フリードリヒ・エンゲルスの協力を得つつ、包括的な世界観および革命思想として科学的社会主義(マルクス主義)を打ちたて、資本主義の高度な発展により共産主義社会が到来する必然性を説いた。ライフワークとしていた資本主義社会の研究は『資本論』に結実し、その理論に依拠した経済学体系はマルクス経済学と呼ばれ、20世紀以降の国際政治や思想に多大な影響を与えた。

マルクスと言えば「資本論」一思想家の影響力としては最大のものです。
しかしながら私はマルクスの功績について次のものより認めません。

1 資本主義体制の瑕疵を指摘した。
 当時の資本主義のシステムは、アダム・スミスの登場で確立されてから50年も経っていません。その段階で、およそ200年後の現状を喝破するなど、どんでもない洞察力でした。

2 共産主義の出現で、世界中に社会福祉の考えが生まれた。
 かつでは日本は世界一の社会主義国と言われていた。
 社会の弱者に対するケアの大切さが認められた。

3 労働者階級の団結(労働組合)の必要性を説いた。
 実際にマルクス生前中にインターナショナル運動を起こし世界中の労働者に呼びかけていた。

しかしながら、マルクスの「資本論」は全くの出来損ないで、これをマルクス哲学の主題とは考えたくもない(実際には資本論が中心ではあるが)
何故かと言えば、経済の理論書としてみても、資本論の内容は人間の経済活動を網羅しているものではなく、剰余価値の取り扱いに終始している。

剰余価値などは、いわゆる利潤の事であり、人間の経済活動、数千年の歴史においても利潤の追求は常に行われてきた。
資本論の世界でも、それを認めながら(利潤の必要性)、ただ、その配分の公平さのみを謳っている。
公平とは何か、平等とは何かの定義づけもされていない。

人間の社会、人間の活動において、公平とは平等が定義付けられるのは、リンゴを平等に分けるとか、公平とは機会均等の条件を守ると言う場合に成立する概念である。

しかるに人間の経済活動全般において、公平、平等はどのように実現できると言うのか。
それをあたかも出来るかの様に錯覚させている。
また古代社会から連綿と続いている倫理、道徳の課題が、たかが資本論一冊で解決できると言うのか。
マスクス主義を行う共産主義国家では、宗教も哲学も禁止でした。
人間に考えさせれば、必ずマスクス主義を疑う結果が出てくるからです。

マルクスは哲学的にはスピノザの影響を受けていると言う。
スピノザは一元論を持って知られている。
スピノザの一元論もマルクスによって歪曲されたと言うことです。

ある命題の下、すべての人間性を包括できるとする傾向がある。
ところが実際には、ギリシャ以来、どの哲学も人間社会を包括的に捉えられたものはない。
ところがマルクスは資本論の主張である剰余価値の取り扱いによって人間社会が変えられるとした。
これは大きな間違いであり、唯我独尊にすぎない。

そのマルクスの「資本論」を聖書の様に取扱い国民に押し付けたのが旧共産主義国家なのである。
これまでに見てきた様に、哲学と言うものは、人間の考えというものは「資本論」一冊では、とても捉えられるものではない。
このために、共産主義国家樹立直後から、国民の中に不満、不平が渦巻いた。

ロシア革命後に成立した、ソビエトは、マルクスが死んで30年後に成立している。
マルクス本人と、革命の指導者、レーニン、スターリンとは面識は全くない。

ただ若いころのレーニンがマルクスに傾注し、ロシア革命後の国つくりにマルクスの資本論を取り入れただけのことであり、その時に資本主義体制にする事も出来た。
マルクスの理論には、前述したような欠陥があったが、革命の成果を急ぐレーニン、スターリンは、強引にマルクス主義を貫いて言った。
その結果は、2000万人とも、4000万人とも言われる粛清となって現れた。

ここでマルクスの伝記と資本論の極一部を紹介します。

マルクスは若いころからイギリスへ渡り学究生活をしていた。40歳のころから経済学批判を書き始め1865年、47歳のころには「資本論」を書いた。
第一インターナショナル運動と言うのは、初めての労働者の国際組織であり、資本論を書き終えたマルクスによって創立宣言が書かれた。
インターナショナル運動(プロレタリア国際主義に基づく社会主義運動)は、その後、紆余曲折し第四インターナショナル(1938年)まで続いたが、1919年に始まった第三インターナショナル運動からは、コミンテルン共言い、レーニンの影響が強くなった。
レーニンが大学生のころ1902年にマルクスの資本論に出会い影響を受けていた。

一方、ロシアの社会は、1700年代から続いていたロマノフ王朝も、ヨーロッパの近代化と共に改革をせざるを得なくなっていた。
折も折、1904〜5年の日露戦争の敗北はロマノフ王朝の衰退を露わにし、議会を組織し立憲君主を始めねばならない状況になっていた。
その後もロシア社会に変革を求める動きは拡大し、ついには1917年のロシア革命が起きることになった。
レーニンは、その主導力となったポルシェビキの指導者であり、来るべき国の体制をマルクス主義求めた。
当時のインターナショナル運動が、レーニンの指導の下、新制ロシアの指導原理となって行った。

マルクスが始めたインターナショナル運動は、マルクスが思ったような経緯では進まず、時にはアナーキズムの方向に走る事もあり、最終的にはレーニン、スターリンによって旧ソ連的共産主義を形成する事になる。
マルクスの書いた「資本論」は、資本主義のシステムの全面的な批判によって構成されていて、経済学の理論としては確かに革命的なものであったが、論文の内容を詳しく検証すれば、大いなる欠陥論文であった。
医薬品で言えば、その効用などは動物実験でも検証されていないものであった。
その後の共産主義社会の70年が臨床実験であったとも思われる。
その実験の犠牲者は世界中で1億人に近い悲劇を起こした。

共産主義の理念とマスクス主義を重ね合わせて考える事は間違っている。


マルクス経済学では、価値と価格を区別します。価格は需給関係によって変わります。

今は原油が高騰していますが、やがて下落するでしょう。価格は、上下の幅はありますが、時間をとればだいたいの平均的水準に落ち着きます。その水準が価値です。つまり、マルクス経済学では、価格と価値は常には一致しないと考えます。

ところで、では価値はどうして決まるのでしょうか。
マルクスは、社会的必要労働の投下に、その根拠を求めました。つまり、社会において、その商品が必要ならば、誰かが労働力を投下する(生産する)はずです。価格があがれば、生産者は増えますし、下がれば減りますよね。そこで、それが価値の根源とみなしたわけです(労働価値説)。
しかし、ここで問題が生じます。

必要なものを必要なだけ生産していたら、剰余価値は生まれません。剰余価値がなければ、経済的な不平等もあり得ないわけです。

そこでマルクスは考えました。世の中には、剰余価値を搾取する資本家と、搾取される労働者という二大階級が存在する!!

つまり、資本家は、労働者を低賃金で働かせて、そのぶんの剰余価値を搾取している。本来、社会的必要という観点から支払うべき賃金を支払わず、その分を自らの懐に入れているのだというわけです。

なぜ、そんなことができるのか。それは、資本家には貨幣・土地・工場などの生産手段があって、労働者を雇えば生産できるのに対して、労働者には自らの労働力を売ることでしか生きていけないからです。
この問題を解決するためには、生産手段の私有を排して、社会主義あるいは共産主義の社会にしなければだめだというのが、マルクスの主張でした。

メンテ
マルクス その2 ( No.26 )
日時: 2017/12/04 20:35
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:gRJtcogo

資本論とは、どのようなものか興味がある方に、その極一部を紹介します。
資本論は大変大きな著作でありますが、資本主義の欠点を説く部分以外は、下記の様な経済論に終始しています。


(資本論原文)

第九章 剰余価値率
第一節
労働力の搾取

(1) 前貸し資本 C によって、生産過程において産み出された剰余価値が、別の言葉で云えば、資本 C の価値の自己拡大が、まずは最初に余剰として、生産物の価値の量がそれらの構成要素の価値を凌ぐものとして、我々の検討対象として現われる。

(2) 資本C は、二つの部分から成っており、一つは、生産手段に投下された貨幣総計 c 、もう一つは、労働力に支出された貨幣総計 v である。cは、不変資本となっている部分を表す、また、vは、可変資本となっている部分を表す。であるから、まずは、C = c + v と表す。仮に、前貸し資本が、500英ポンドであるとしよう。そして、その内訳が、500英ポンド= 不変分410英ポンド+ 可変分 90英ポンド(£500 = £410 const. + £90 var.)であるとしよう。そして、生産過程が終了した時、我々は、商品を手にしているであろう。その商品の価値 =(c+v)+sであり、ここの s は、剰余価値である。または、前に我々が記した数字で書けば、この商品の価値は、( 不変分410ポンド+可変分90ポンド ) + 余剰分90ポンド となるであろう。最初の資本が、今は、C からC' へと、500英ポンドから、590英ポンドへと変化したのである。その違いは、s 、または、剰余価値 90ポンドである。生産物の構成要素の価値は、前貸し資本の価値に等しいのであるから、生産物の構成要素の価値を越えた生産物の価値の超過分は、前貸し資本の拡大分、または、生産された剰余価値である 云々は、単なる同語反復にすぎない。

(3) とはいえ、この同語反復について、もう少し、詳しく調べてみよう。対比させられている二つのものは、生産物の価値と、生産過程で消費された その構成要素の価値である。これまで、我々は、労働手段をなす不変資本部分が、どのようにして、その価値の僅かな分数部分を生産に移管するか見て来た。他方の残余の価値は、それらの道具に存在し続ける。この残余部分は、価値の形成にはなんら寄与しない。我々は、現時点では、この部分については、考慮外にしておいてもいいであろう。この部分を計算に入れたとしても、何の違いも生じない。例えば、前の式、c = 410英ポンドを取り上げてみよう。この総計が、原料の価値312英ポンドと、補助材料の価値44英ポンドと、そして過程における機械の摩損分の価値54英ポンドからなっていると考えてみよう。また、使用する機械の全価値が1,054英ポンドであると考えてみよう。そして、この機械の全価値から、計54英ポンドの分のみが生産物を作り出すために前貸しされ、それが、過程において、機械が失った摩損分であると分かる。この部分が、生産物と一体になった部分の全てである。ところで、もし、我々が、同様、機械全価値の残余分に、気づくなら、それらは依然として、機械のうちに存在しつづけており、生産物に移管されるものとして、前貸しされた資本の一部であることも分かるはずである。そして、そのように、我々の計算の両側にそのことを表すならば、我々は、一方に、1,500英ポンドを、そして他方に、1,590英ポンドを置かなければならぬ。これらの二つの計の差、または剰余価値は、依然として、90英ポンドということになる。従って、この本全編を通して、内容に矛盾がない限り、我々は常に、生産手段の価値は、その過程で実際に消費された価値を意味し、その価値のみを意味するものとする。

(4) その様な意味を表すものとして、我々は、元の公式 C = c + v に戻ってみよう。我々が見て来たように、この公式は、つぎのように変形される。C' = (c + v) + s 、つまり、C が C' になる。我々は、不変資本の価値は生産物に移管されて、単に生産物に再現することを知っている。新たな、実際に過程において創造された価値、生産された価値、価値生産物は、従って、生産物の価値と同じものではない。それは、最初に表れた、(c + v) + s、または、不変資本410英ポンド+ 可変資本90英ポンド+ 剰余価値90英ポンドのようなものではなく、v + s または、可変資本90ポンド+ 剰余価値90ポンドなのである。590英ポンドではなく、180英ポンドなのである。もし仮に、c = 0 または他の言葉で云えば、もし仮に、ある工業の一部門で、資本家が、生産手段、それが原料であれ、補助材料であれ、または労働手段であれ、以前の労働によって作られたものを用いることなく、ただ、労働力と、自然から供給される材料のみを用いて生産することができるならば、この場合、生産物に移管する不変資本はないであろう。この場合の生産物の価値要素は、すなわち、我々の例であった410英ポンドは削除され、計180英ポンドが、新たな価値として創造され、または、生産された価値である。この中には、剰余価値の90英ポンドが含まれており、また、不変資本 c をいかに巨大なるものにしようと、同じ価値に留まる。つまり、我々にとっては、C = (0 + v) = v または、C'、拡大された資本= v + s であるのだから、従って、前述のとおりC'−C = sでなければならない。一方、もし、if s = 0 または別の言葉で云えば、もし、可変資本の形式で前貸しされた労働力が、その等価しか生産しないとしたら、我々にとっては、C = c + v または、C'、生産物の価値−(c + v) = 0 、または、C = C' でなければならない。前貸し資本は、この場合、その価値を拡大しなかったのである。

(5) 考察してきたことを踏まえれば、我々は、剰余価値が、純粋に、労働力に変換された資本の一部である可変資本v の価値変化の結果であることを知っている。その結果、v + s = v + v 、または、v + vの増加分 となる。であるから、いろいろと云ったとしても、ただ、「v のみが変化する。」というのが事実なのである。だが、変化の実態は、資本の可変部分の増加の結果として、同時に前貸しされた資本総計の増加ともなることから、その実態の明確さが失われる。最初は500英ポンドであったものが、590英ポンドになった。それゆえに、我々の考察を正確な結果に導くために、我々は、生産物の中の、不変資本のみが表れる部分を度外視して見なければならない。つまり、不変資本を0と、または、c = 0 としなければならない。このことは、単に、数学的公式の応用であって、我々が、不変分と可変分の大きさを、加算と減算の記号のみによって、相互に関連させられている関係として見て行く場合は、いつでもこのような方法が使われる。
メンテ
終わりに ( No.27 )
日時: 2017/12/05 10:02
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:sdl19w96

御長読有難うございました。

これが人間の考える事の歴史の系譜です。

ですが、このような考え方でなければ考えたことにはならないと途方に暮れられる必要はありません。

文章で書き現せばこのように大変ですが、そこは人間の脳コンピューター。

皆様の頭の中は、これら全ての情報が、人生経験の中で、それなりにインプットされているのです。

そうして、普通の人でも現代のスーパーコンピューターよりも何倍も速く計算できる能力を持っています。

知らず知らずの内に、哲学の系譜を網羅した判断がされているのです。

自分が悲観的になれば、実存主義に陥っているかなと、
楽しく過ごせていれば、エキピュロスで正解かなと、
人生について瞑想にふけるときは、ニーチェやパスカルとおなじ境遇、
カウンセラーを受けるときはフロイトを思い出しましょう、

自信を持たれて、少しだけ注意して考えていただければ、このような哲学体系など読まれなくても良いのです。

ここでは皆様の頭の中のコンピューターの内容を説明させていただいただけです。

総体的にみていただけば、何かと合点がいかれることがあるでしょう。

それでも何か読もうと思われるならば、私はプラトンの「国家論」一冊を進めます。


最後に、ここでは西欧哲学について述べましたが、東洋哲学と言うのもあります。
西欧哲学に於いては常に至高の存在、神が見え隠れしていました。
そうして人間は、その神に近づこうとしたり、超越しようとしていましたが、東洋哲学には、神様が多すぎて神に並ぼうとするなどの発想はありません。

ですから東洋思想の神は、人々が気に掛ければ何時でも健在な姿を見せます。
余りにも人間的過ぎる西欧哲学に東洋哲学が取って代わるのも良いのではないでしょうか。
将来の世界の人類の為に。




(お終い)
メンテ
東洋哲学 ( No.28 )
日時: 2020/06/11 10:14
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:3SQDi4bg

久しぶりに、このスレッドをUPしたとき、東洋哲学について触れていないことに気が付き、簡単でありますが追記します。

東洋哲学!

哲学と言えば西欧哲学を思い浮かべ、東洋哲学とは何であろうと思います。

東洋哲学とは、ヨーロッパから見た東洋すなわちアジアで生まれた哲学を一緒くたに纏めた用語。中国哲学、インド哲学、イスラム哲学など、日本哲学も含まれる。
初めに、その概要を説明しましょう。


(中国哲学)

中国の思想の源流はシャーマニズムである。春秋戦国時代に、覇を争った諸侯のための政治哲学として、儒家や道家に代表される諸子百家が、それぞれ自説の優位性を諸侯に説いた。漢代以降、武帝の時代に国教的地位を獲得し、儒家思想から洗練されていった儒教と、道家の老荘思想を取り入れてはいるが、実際は秦の方士徐福のような不老長生を説く神仙思想から発展した道教が発達した。
また、後漢代に仏教が伝来し、六朝隋唐代に盛行した。この時期より、中国哲学は、三教を中心とした宗教哲学として展開する。体系的な仏教哲学の影響をうけ、宋代に、儒教は朱熹らによって体系的な哲学として再構成された。また道教もそれまでの民間宗教から官僚的ヒエラルキーと五行論に基づく理論性を発展させた。仏教自体も、道教的な非論理的傾向を吸収してインド仏教とは異質な中国仏教としての禅宗や浄土教を生み出した。またそれは、最初は対立していた儒仏道の三教が、次第に融合していく過程でもある。
明代には朱熹らの性即理に対して、心即理を説く王陽明の陽明学が隆盛した。が、王陽明の主張を見ると、そこには禅宗の影響が非常に色濃いことは明白である。これら中国哲学の特徴は、世俗性・実践性が強いことである。

(インド哲学)

厳しい自然風土と錯綜した複雑な社会構造のもとで、古代インドでは生活の基本となる思想や学問が求められた。そこで生まれたのがヴェーダ(Veda)、ウパニシャッド(Upanisad)の哲学である。『リグ・ヴェーダ』(Rg-Veda)は上天(deva)への讃歌集であり、そこでは、自然現象や抽象概念などが神格化されている。それらの諸神は、三界に配されており、祭祀の際には諸神の中の一神を勧請してきて現世的な利益をもとめることが行なわれていた。ヴェーダ経典にはブラーフマナ(Brahmana)という注釈書が作られ、さらに、ヴェーダ経典を集大成したウパニシャッドやアーラヌヤカによってより深化することとなった。そこでは、宇宙の根元をブラフマン(brahman)と呼び、それに対して人間に内在する原理をアートマン(atman)と名づけ、その二者が一体化した状態を求めることとなった。同時に、人間の行為の善悪の果報の原因を、前生の業(karman)に求める輪廻の思想も発達した

(日本哲学)

日本哲学は伝統的には中華系に属する。日本では大陸渡来の仏教・儒教と、日本古来の神道などの宗教思想が混在してきた。これは中華世界の周辺(朝鮮、ベトナム)の哲学に共通した特徴である。
奈良時代には律令制下で陰陽道が発達を遂げた。その後、平安時代の天台宗・真言宗、鎌倉時代の浄土宗・日蓮宗・臨済宗・曹洞宗など、仏教の各宗派で独自に教義を追究した。
室町時代には、仏教思想を日本独自に発展させた茶の湯や能楽など、個別の芸能を究める動きが起こった。
江戸時代になると、国学や儒学など、体系的な哲学思想が発達した。
明治時代に、西周によって「哲学」という語が作られ、西洋哲学を輸入したり、近代以前の日本哲学と融合させて独自の思想を構築する哲学者が誕生していった。

(イスラム哲学)

イスラムにおける「哲学」の始まりを、広く定義すればイスラム教が成立した時点と捉えることも可能であろう。 イスラムの教えもそもそも「哲学的」であるし、クルアーンの解釈をめぐる論争・カリフの後継者争い(シーア派とスンナ派)の対立などは代表的)など、広い意味での「哲学的」な論争はイスラム教成立当初から、続いていたことであるが、通常はギリシア哲学がイスラム世界に移入されたのをもって、独立したひとつの学問としての「イスラーム哲学」を始原とみるのが通常である

西洋哲学と比して宗教(イスラム教)と密接に関わっているのが特徴で神秘主義的な要素が強い。起源は、イスラム世界のヨーロッパ方面の拡大と共にイスラム世界にも移入されたプラトンやアリストテレスの古代ギリシア哲学であった。唯一神アッラーフを信奉するイスラムの教えにすれば、これは異文化の考え方であり、イスラム神学(カラーム)としばしば対立したりもした。
イスラーム哲学がもっとも栄えたのは、地理的にも拡大期であった9世紀から10世紀(アッバース朝期)にかけてである。当時それとは対照的にヨーロッパ世界ではキリスト教的世界観が支配的で、古代ギリシアの哲学などは、すでに表舞台からは遠のき哲学の歴史からすれば一時的な衰退期でもあった。ヨーロッパ世界において哲学が再び開花するのは、イスラム哲学者たちによって継承されていたアリストテレスやプラトンの哲学が再びヨーロッパへもたらされたことによるものである。
メンテ
中国哲学 ( No.29 )
日時: 2020/06/11 11:01
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:3SQDi4bg

中国哲学(ちゅうごくてつがく)は、古典中国語(漢文)による哲学。または、諸子百家・儒教・道教・中国仏教・中国文化といった前近代中国の伝統思想の総称。
「中国哲学」という概念は、19世紀末から20世紀の明治期日本や中華民国が、西洋哲学を摂取するなかで作った便宜的な概念であり、それゆえ明確な境界・定義は決まっていない。
上記の様に、中国哲学と言っても西欧哲学のような形態はなく、中国独自のものとしては孔子に始まる儒教思想があった。

ですが儒教は民衆に倫理道徳を解き、社会的には忠孝の精神を説いた。
結果は為政者の為の為政の論理として広まった。

中国仏教は唐の時代に最も栄え、日本にも影響を与えた。

唐の建国当初、仏教は未だ国家の統制下にあり、造寺や度僧は制限を受けていた。更に、高祖代には、排仏主義者で元道士の太史令・傅奕による排仏案が何度も献策されていた。

紀元7世紀の最も重要な高僧は、玄奘三蔵(600年 - 664年)である。唐の国禁を破って天竺(インド)へ仏典請来の大旅行を決行した(630年 - 644年)。彼の請来した仏典は、太宗の庇護を受けて、組織的に漢訳が進められ、後世の東アジアの仏教の基盤となった。彼の弟子の慈恩大師基(632年 - 682年)は法相宗を開宗した。
この時代の各宗派の状況を順に上げれば、善導(613年 - 681年)が浄土教を大成した。禅宗は、第五祖弘忍(602年 - 674年)以後、南北二宗に分裂した。分裂当初は、長安を中心とした唐の中心部、都市部に教線を張った神秀(? - 706年、第六祖)の北宗が優勢であったが、慧能(638年 - 713年)が禅宗の諸派中、後に主流となる南宗において第六祖と呼ばれた。法蔵(643年 - 712年)が華厳宗を確立した。善無畏(637年 - 735年)金剛智(669年 - 741年)が密教を伝えた。

もう一つ、この時代の仏教で忘れてはならないのは、末法思想に基づく三階教の存在である。各宗派の僧が一緒に住むのが通例であった当時の寺院制度の中で、三階教のみが他宗派とは別組織としての、独自の三階寺院を持つに至った。しかし、三階教は無尽蔵と呼ばれる金融組織を持っていたことなどから、弾圧の対象となり、姿を消すこととなった。

また、唐朝を一時中断させて武周朝を建てた武則天も、妖僧薛懐義を重用し、一種の恐怖政治を行うなど問題が多いが、熱心な仏教信者であった。その武周革命には、偽作とはいえ仏教経典である『大雲経』を利用しており、日本の国分寺に通じる大雲経寺を各地に建立した。また、同姓の老子(李耳)を祖と仰ぐ唐の慣例で宮中での席次は「道先仏後」と定められていたのを「仏先道後」に改めた。さらに、自身の姿に似せたという大仏を龍門の奉先寺に造営し、その威容は今日まで伝えられている。
紀元8世紀には、不空(706年 - 774年)が密教を大成した。不空の弟子の恵果の密教は、真言密教として日本の空海に伝えられることになる。一方禅宗の方は北宗禅の神秀の下を出た荷沢神会(684年‐758年)が慧能に参じ、自らを七祖とし、慧能を禅宗六祖とする南宗禅の立場を確立した。
紀元9世紀は、黄檗希運(? - 850年頃?)、臨済義玄(? - 867年)、趙州従&#35543;(778年 - 897年)らの禅宗(南宗)が盛んであった。
また、この時代、仏教信者の多い宦官勢力に影響されて、仏教を崇敬する皇帝が多く現れた。第11代の憲宗も、そういった皇帝の一人であった。彼は、30年に一度しかいわゆる御開帳されない法門寺の仏舎利を長安に迎えて盛大な法会を執行した。韓愈は、「論仏骨表」を上奏し、その偽妄であることを直諌したが、受け入れられる筈もなく、当時は未開発であり、風土病などによって中央の人々から恐れられていた広東省に左遷されることとなった。

中国に関しては、宗教的にみて独自の宗教心のない民族で、仏教においても、東南アジア、日本の様に民衆に深く浸透して行くことはなかった。
それよりも、早くから黄河文明を形成し中華思想が発達していた。

中国が世界の文化,政治の中心であり,他に優越しているという意識,思想。
中国では伝統的に漢民族の居住する黄河中下流を中原と称し,異民族を夷狄 (いてき) ,あるいは蛮夷と呼んできた。異民族は,中華がその徳化によって包摂しようというのである。
儒教的な王道政治の理想を実現した漢民族を誇り、中国が世界の中心であり、その文化・思想が最も価値のあるものであると自負する考え。

要するに中国では個人の生きざまを問題とするよりも民族の優位性を誇り権威を目指すことが常習化していた。
成功者は、ある意味、鷹揚で大人と言う呼称を好むが、一方で民衆の秩序意識は育たず現在にも至っている。

メンテ
インド哲学 1 ( No.30 )
日時: 2020/06/11 11:13
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:3SQDi4bg

インド哲学は、哲学の中でもインドを中心に発達した哲学で、特に古代インドを起源にするものをいう。インドでは宗教と哲学の境目がほとんどなく、インド哲学の元になる書物は宗教聖典でもある。インドの宗教にも哲学的でない範囲も広くあるので、インドの宗教が全てインド哲学であるわけではない。しかし、伝統的に宗教的な人々は哲学的な議論をしてその宗教性を磨いている伝統がある。

インドでは仏教も小乗仏教が栄えているように、ヒンズー教の経典ウパニシャッドを祖とする哲学も、瞑想的であるが、飽くまでも個の存在を問題としている。

後に紹介するが、現代社会でも人気のあるヨガも、その一つで、心身の鍛錬によって個が存在を意識することに重点を置いている。
だから、カースト制度など現実社会の矛盾には少しも関心を持たない。

さて、そのインドの哲学とは

六派哲学
&#8226; ミーマーンサー学派 
&#8226; ヴェーダーンタ学派
&#8226; サーンキヤ学派
&#8226; ヨーガ学派
&#8226; ヴァイシェーシカ学派
&#8226; ニヤーヤ学派

>ヴェーダーンタ学派(ヴェーダーンタがくは、デーヴァナーガリー: &#2357;&#2375;&#2342;&#2366;&#2344;&#2381;&#2340;, Ved&#257;nta、英: Vedanta)はダルシャナ(インド哲学)の学派。シャド・ダルシャナ(六派哲学)の1つに数えられる。ヴェーダとウパニシャッドの研究を行う。古代よりインド哲学の主流であった。「ヴェーダンタ」の語源は veda と anta (終わり)を掛け合わせたもので、ヴェーダの最終的な教説を意味し、ウパニシャッドの別名でもある。
開祖はヴァーダラーヤナで、彼の著作『ブラフマ・スートラ』(別名・『ヴェーダーンタ・スートラ』)のほか、『ウパニシャッド』と『バガヴァッド・ギーター』を三大経典(プラスターナ・トラヤ)としている。
ヴェーダーンタ学派における最も著名な学者は、8世紀インドで活躍したシャンカラであり、彼の説くアドヴァイタ・ヴェーダーンタ哲学(不二一元論)は最も影響力のある学説となっている。ほかに、ラーマーヌジャらが提唱するヴィシシュタ・アドヴァイタ{制限(非限定的)・不二一元論}や、マドヴァの説くドヴァイタ(二元論)などがある

ブラフマン(宇宙の本質)とアートマン(自己の本質)の究極的同一性を説く。シャンカラが最も著名。

>ミーマーンサー学派(ミーマーンサーがくは、M&#299;m&#257;&#7747;s&#257;-dar&#347;ana)はインド六派哲学の一学派で、ヴェーダの中で祭式に関わる部分を研究する学派である。カルマ・ミーマーンサー(Karma-M&#299;m&#257;&#7747;s&#257;, 祭事の研究)とも。紀元前200-100年頃生きたジャイミニが書いたとされる『ミーマーンサー・スートラ』(M&#299;m&#257;&#7747;s&#257;-s&#363;tra, )を根本経典とする。別名ジャイミニ・スートラ
祭式を重視し、祭式を行うことで現世や来世の幸福を得ることができるとする。神は祭式の1要素に過ぎず、同じくヴェーダを研究するヴェーダーンタ学派と比べて神が占める地位は低い。またインド哲学の多くが重視する解脱にも関心が低い。 言語不滅論。
膨大かつ多様なヴェーダ祭式を統一的に解釈するための複雑な言語論や認識論の体系を持っている。
形式主義・儀礼先行のため、最も正統の学派でありながらも、早い段階で権威は失堕している。

>サーンキヤ学派は厳密な二元論を特徴とし、その徹底性は世界の思想史上でも稀有のものである[5]。世界はある一つのものから展開し、あるいはこれが変化して形成されるという考え方をパリナーマ・ヴェーダ(転変・開展説)といい、原因の中に結果が内在するという因中有果論であるが、ヴェーダ・ウパニシャッドの一元論や、プラクリティ(根本原質)からの世界展開を主張するサーンキヤ学派はこれにあたる。精神原理であるプルシャは永遠に変化することのない実体である、とし、それに対し物質原理であるプラクリティを第一原因とも呼ぶ。プラクリティには、サットヴァ(sattva/ &#2360;&#2340;&#2381;&#2340;&#2381;&#2357; 、純質)、ラジャス(Rajas/ &#2352;&#2332;&#2360;&#2381;、激質)、タマス(tamas/ &#2340;&#2350;&#2360;&#2381;、翳質・闇質)という相互に関わるトリ・グナ(tri-gu&#7751;a、3つの構成要素, 三特性、三徳)があり、最初の段階では平衡しており、平衡状態にあるときプラクリティは変化しない、とする。
しかしプルシャの観察(観照、関心)を契機に平衡が破れると、プラクリティから様々な原理が展開(流出)してゆくことになる。プラクリティから知の働きの根源状態であるブッディ(Buddhi, 覚)またはマハット(mahat, 大)が展開され、さらに展開が進みアハンカーラ(Aha&#7749;k&#257;ra, 我慢または我執, 自我意識。アハンは「私」、カーラは「行為」を意味する)が生じる[5]。アハンカーラの中のトリ・グナの均衡がラジャスの活動によって崩れると、これからマナス(意, 心根、Manas、思考器官)、五感覚器官(J&#241;&#257;nendriya、五知根、目・耳・鼻・舌・皮膚)、五行動器官(Karmendriya、五作根、発声器官・把握器官(手)・歩行器官(足)・排泄器官・生殖器官)、パンチャ・タンマートラ(五唯または五唯量、Pa&#241;ca Tanm&#257;tra、五微細要素, 五つの端的なるもの[注釈 2])が展開して生じる。パンチャ・タンマートラは感覚器官によって捉えられる領域を指し、声唯(聴覚でとらえる音声)・触唯(皮膚でとらえる感覚)・色唯(視覚でとらえる色や形)・味唯(味覚でとらえる味)・香唯(嗅覚でとらえる香り・匂い)である[5]。この五唯から五大(パンチャ・ブータまたはパンチャ・マハーブータ(Pa&#241;ca Mah&#257;bh&#363;ta)、五粗大元素[6])が生じる。五大は、土大(P&#7771;thiv&#299;, プリティヴィーもしくはBh&#363;mi, ブーミ)・水大(&#256;pa, アーパもしくはJala, ジャラ)・火大(Agni, アグニもしくはTejas, テージャス)・風大(V&#257;yu, ヴァーユ)の4元素に、元素に存在と運動の場を与える空大(&#256;k&#257;&#347;a, アーカーシャ, 虚空)を加えた5つである。プルシャはこのような展開を観察するのみで、それ自体は変化することがない。
「プルシャ、プラクリティ、ブッディ(マハット)、アハンカーラ、十一根(マナス・五感覚器官・五行動器官)、パンチャ・タンマートラ、パンチャ・ブータ」を合わせて「二十五諦」(二十五の原理)と呼ぶ[5][7]。(「諦(Tattva)」は真理を意味する[8]。)
ブッディは、プラクリティから展開して生じたもので、認識・精神活動の根源であるが、身体の一器官にすぎず、プルシャとは別のものである。ブッディの中のラジャスの活動でさらに展開が進み、アハンカーラが生じる。これは自己への執着を特徴とし、個体意識・個別化を引き起こすが、ブッディと同様に物質的なもので、身体の中の一器官とされる。アハンカーラは、物質原理であるプラクリティから生じたブッディを、精神原理であるプルシャであると誤認してしまう。これが輪廻の原因だと考えられた。プルシャはプラクリティを観照することで物質と結合し、物質に限定されることで本来の純粋清浄性を発揮できなくなる。そのため、「ブッディ、アハンカーラ、パンチャ・タンマートラ」の結合からなり、肉体の死後も滅びることがない微細身(みさいしん、リンガもしくはリンガ・シャリーラ(li&#7749;ga‐&#347;ar&#299;ra))はプルシャと共に輪廻に囚われる。プルシャは本性上すでに解脱した清浄なものであるため、輪廻から解脱するには、自らのプルシャを清めてその本性を現出させなければならない。そのためには、二十五諦を正しく理解し、ヨーガの修行を行わなければならないとされた[5]。
サーンキヤ学派はヨーガ学派と対になり、ヨーガを理論面から基礎付ける役割を果たしている。

>ヨーガ学派(ヨーガがくは、梵: &#2351;&#2379;&#2327;&#2342;&#2352;&#2381;&#2358;&#2344;&#2350;&#2381; Yoga-dar&#347;ana)は、インド哲学の学派で、ヨーガの実践により心身を統一し、解脱を目指す学派である。六派哲学の1つに数えられる。『ヨーガ・スートラ』を教典としている[1]。
サーンキヤ学派の兄弟学派といわれるが、最高神を認める点が異なる。
メンテ
インド哲学 2 ( No.31 )
日時: 2020/06/11 11:21
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:3SQDi4bg

ヴァイシェーシカ学派(ヴァイシェーシカがくは)はダルシャナ(インド哲学, dar&#347;ana)の学派。六派哲学(&#7779;ad dar&#347;ana)の1つ。カナーダが書いたとされる『ヴァイシェーシカ・スートラ』を根本経典とする。一種の自然哲学と見なされることもある。
『ヴァイシェーシカ・スートラ』では、全存在を6種のカテゴリーから説明する。言葉は実在に対応しており、カテゴリーは思惟の形式ではなく客観的なものであるとする。 カテゴリーは実体・属性・運動・特殊・普遍・内属の6種である。
6種のカテゴリー[編集]
実体[編集]
実体(dravya)は以下のように分けられる。
&#8226; 地 (p&#7771;thiv&#299;)
&#8226; 水 (&#257;pas)
&#8226; 火 (tejas)
&#8226; 風 (v&#257;yu)
&#8226; 虚空 (&#257;k&#257;&#347;a)
&#8226; 時間 (k&#257;la)
&#8226; 方向 (dik)
&#8226; アートマン (&#257;tman)
&#8226; 意(マナス) (manas)

>ニヤーヤ学派(ニヤーヤがくは、梵: Naiy&#257;yika[1])はインド哲学の学派。六派哲学の1つに数えられる。ニヤーヤは理論(あるいは論理的考察)を意味[2]し、インド論理学として代表的なものであり、論理の追求による解脱を目指す。アクシャパーダ・ガウタマ(Ak&#7779;ap&#257;da Gautama)が著したとされる『ニヤーヤ・スートラ』を根本テキストとする。ガンゲージャによって著された『タットヴァ・チンターマニ』へと根本テキストが移ったものは「新ニヤーヤ」と呼ばれ区別される。

第1篇第1課では、以下の16の項目を正しく知ることにより、解脱がなされるとする。
1. 認識手段(直接知覚・推論・類比・信頼すべき言葉)
2. 認識対象(アートマン・身体・感覚器官・感覚器官の対象・認識・思考器官・活動[カルマ]・過失[煩悩]・輪廻・果報・苦・解脱)
3. 疑惑
4. 動機
5. 実例
6. 定説
7. 論証式を校正する5肢(主張提示・理由・根拠事例・当該問題への適用・結論)
8. 吟味
9. 確定
10. 論議(通常の討論)
11. 論諍(勝つために手段を選ばない討論)
12. 論結(相手の論難に終始する)
13. 議事理由
14. 詭弁
15. 誤った論難
16. 敗北の立場

以上。

インド哲学が扱う内容が、どのようなものか想像できると思います。
西欧哲学と異なるのは、存在そのものの認識です。
西欧哲学が一神教の下で、全て神の存在と結び付けているのに対して、多神教では、飽くまでも存在は個の認識であるとしています。

後にリグベーダなどを紹介し、キリストやイスラム教などの一神教との違いを見ていただきます。

メンテ
イスラム哲学 ( No.32 )
日時: 2020/06/11 11:38
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:3SQDi4bg

西洋哲学と比して宗教(イスラム教)と密接に関わっているのが特徴で神秘主義的な要素が強い。起源は、イスラム世界のヨーロッパ方面の拡大と共にイスラム世界にも移入されたプラトンやアリストテレスの古代ギリシア哲学であった。唯一神アッラーフを信奉するイスラムの教えにすれば、これは異文化の考え方であり、イスラム神学(カラーム)としばしば対立したりもした。

イスラーム哲学がもっとも栄えたのは、地理的にも拡大期であった9世紀から10世紀(アッバース朝期)にかけてである。当時それとは対照的にヨーロッパ世界ではキリスト教的世界観が支配的で、古代ギリシアの哲学などは、すでに表舞台からは遠のき哲学の歴史からすれば一時的な衰退期でもあった。ヨーロッパ世界において哲学が再び開花するのは、イスラム哲学者たちによって継承されていたアリストテレスやプラトンの哲学が再びヨーロッパへもたらされたことによるものである。従って、ヨーロッパの哲学の流れを考えるにしても、イスラーム哲学が果たした役割は見逃すことのできないものであろう。

なお追って、詳述するが、翻訳活動に端を発し、アヴィセンナと来て、アヴェロエスでもってイスラーム哲学(ファルサファ)は終わりであるという見方が散見できるが、純粋に哲学というものを考えればこれも可能である。というのも、イスラーム哲学はその後は神秘主義・神学と不可分な存在となり、ファルサファとは異質なものへと変質していったからである。その後のイスラムにおいて哲学が顕著になるのは、近代化と共に他の学問・技術など共に移入されてからであり、イスラーム哲学の他、西洋哲学を中心に現在ではイスラム文化圏内でも、一つの学問分野として認知・研究教育されている。


7世紀にイスラム世界が成立すると(この辺りの歴史は、イスラム帝国、ウマイヤ朝、アッバース朝の項を参照)、ムハンマドの死後、正統カリフ時代を経て、アラブ人至上主義を取っていたウマイヤ朝が750年に滅んだ後アッバース朝が成立した。アッバース朝は非アラブ系であったペルシア人からの支持もあって、アラブ人以外のムスリムたちにも道を開いた世界帝国へと変わっていった。この支配下には、ペルシアやエジプトといったギリシア文化の影響が色濃く残っている地域も含まれており、そこには哲学をはじめとする医学・数学・天文学などの諸学問が、ギリシア時代のものからエジプトやシリアなどの東地中海沿岸の各地に残っていた。アッバース朝は、バグダードにシリア人学者を招いて、シリア語のギリシア文献をアラビア語に翻訳させた。イスラーム哲学の起源のひとつとして、アラビア語への翻訳活動があるというのは、見逃せない事である。

哲学に関していえば、キリスト教とギリシア哲学の対峙において、反駁のためあるいは哲学的方法によるキリスト教の思想的展開をさぐるため、ギリシア哲学の接受が行われた。シリアのに正当性を持たせるため、哲学的な方法を用いていたので、アッバース朝の支配下にあっても哲学の文献が残っており、イスラム教徒たちも利用することができた。

>西欧(ギリシャとの交流)

5世紀から10世紀にかけて、シリアのキリスト教徒(ネストリウス派のキリスト教徒)はアリストテレスの文献、ポリュフュリオス、偽ディオニュシオス・ホ・アレオパギテースの著作をギリシア語からシリア語に翻訳した。これは主にエデッサのネストリウス派またレサイナとカルキスの単性論派にになわれた。

832年にアッバース朝第7代カリフ・マアムーンはバグダードに翻訳を行う官庁をおいた。これがいわゆる知恵の館(バイト・アル=ヒクマ)であり、ギリシア語やシリア語、パフラヴィー語に加え、インドからもたらされたサンスクリット語などさまざまな文献が集められ、これらを相互に翻訳・研究が行われた。特に医学の他に天文学・占星術関係の文献の翻訳が盛んで、天文台や図書館などの施設も併設されていた。日常の礼拝や農事暦に関わるなどに暦の制定にも天文学や占星術の知識は欠かせない存在であったため、この時代の翻訳業や観測の事蹟は後世のイスラム社会や諸政権にも多大な恩恵を与えている。また、同時にアッバース朝はクーデターによってウマイヤ朝を打倒して誕生した政権であったため、自らの政権の正統性を立証するため論理学的な知識を欲していた面もある。これによってアリストテレスをはじめギリシアの諸著作およびアリストテレス註解書がアラビア語圏に紹介されたが、ただの知的欲求というよりも、『オルガノン』や『トピカ』などに代表されるアリストテレスによって確立された論理学の方法論を体制側が学ぶためという現実的な要求もあった。しかし、同時にこれによって古代後期の新プラトン主義の影響が濃いアリストテレス解釈が紹介されることになる。

またさらに、このシリア語(中には、ギリシア語からの翻訳もあったが)がキリスト教徒らによってアラビア語に翻訳されていた。これにより、ムスリムたちにもギリシア哲学の研究が可能であった。この翻訳は、現在みても高水準の正確さのものもあった。これにより、ムスリムたちも、ネオプラトニズム、アリストテレス、プラトン、プロティノスなどを翻訳することができるようになった。ただしムスリムたちがアリストテレスの著作と考えていた著作が、実際はプロティノスのものだというように、若干の誤伝があった。またムスリムの哲学者たちは、医者や数学者でもあったのでアルキメデスやガレノスなどの著作も翻訳された。

共に一神教世界であるので、共鳴する箇所が多かったのでしょう。

>現代イスラーム哲学

Dr. ムハンマド・イクバール(1877年 - 1938年)、英領インド帝国(現在のパキスタン)出身の著名なムスリム哲学者、詩人、学者
多くの西洋人が思っているのとは逆に、シャハブッディーン・スフラワルディーの「Hikmat al-Ishraq(照明哲学)」や、その後のモッラー・サドラーの「Hikmat-e-Mota'aliye(超越論的神智学)」といった黄金時代を過ぎて今日でもなおイスラーム哲学は非常に活発である。イスラーム哲学を概説する上でもう一人避けては通れないのはムハンマド・イクバールである。彼は、20世紀初期のインド亜大陸のムスリムたちの間でイスラーム哲学を再形成・再生した[1]。彼はウルドゥー語とペルシア語で詩的作品を書いている一方で、『イスラームにおける宗教的思考の再構築(en:The Reconstruction of Religious Thought in Islam [2])』がイスラーム圏における近代政治哲学の里程標となった
メンテ
東洋の世界 ( No.33 )
日時: 2020/06/11 11:45
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:3SQDi4bg

さて、数回にわたり退屈な話が続きましたが、もっと平易な形で東洋の世界を覗いてみましょう。


>リグ・ヴェーダ    インド哲学の祖

そのとき、無もなく、有もなかった、
空界もなく、その上の天もなかった。
世界を庇護したのはだれか、それを包んだのはだれか。
あの底知れぬ深遠はどこにあったのか、あの海はどこに。

そのとき、死もなく、不死もなく、
夜と昼とがさだかでなかった。
かの唯一者は、息なく呼吸し、
そのほかには何ものも存在しなかった。

全世界は暗黒におおわれ、
光なく、夜の中に消える大洋であった。
そのとき、おおいの中に隠れていたもの、
かの(唯一者)が灼熱の力によって生まれた。

これから出て、はじめに現れたのが、
知の種子なる意欲であった。
有の根底を無のなかに見いだしたのは、
心の動きにしたがい、探し求めた聖賢たちであった。

彼らが測素を横にずっと張ったとき、
何がその下にあって、何がその上にあったのか。
種子をもつものが存在し、活動する力が存在した。
自存力が下に、あふれそうな力が上に。

だが、だれがうまく尋ね当てたのか。
創造がどこから生じたかを、だれか認めたものがいたのか。
神々も、この創造よりのちに生まれ出た。
では、創造がどこから生じたかを、だれが宣言するのか。

創造を生み出したもの、
彼はいと高き天の光でそれを総覧し、
彼はそれをつくりなし、あるいはつくりなさず。
彼はそれを知り、あるいはまたそれを知らないか。


>菩提和讃(ぼだいわさん)

一切唯心造なりと、衆生おのおの仏性を、受けて生まれしものなれば
一念不生に至るとき、忽ち仏性現前し、老若男女もろともに、その身が即ち仏なり。
しかるに一念迷い初め、本有の仏性見失い、みずから凡夫となるゆえに貪り瞋り痴さの、煩悩しげき三毒に、闇き迷いの日々となる。
また色声香味触と五欲の悦楽追い求め、刹那の夢に酔いしれる
殺生偸盗邪淫慾、悪口両舌綺語妄語、破戒無懺の輩に、いつか救いのありぬべき。
それ人間の身を受けて、この世に生まれ来ることは、爪の上端に置ける土。
まして尊き仏法の、教えに親しく遇うことは、まこと得がたき縁なり。
かかる時節を失わず、信心決定いたすべし。
人々賢き智慧あれば、春は万の種を蒔き、秋の稔りを待つのみか、衣服家宅に至るまで、遠き計画立てながら、今をも知れぬ後の世の、永き冥路を打ち忘れ、空しく過ごすぞ愚なり。
無常の風に誘われて、忽ちこの世を終るとき、何を頼みとなすべきや、あまた資産のあるとても、冥途の用にはならぬもの。
家財重宝持つ人も、携え行くべき途ならず、偕老比翼の契いもしばし浮世の夢ならん。
兄弟朋友ありとして、伴い行くことさらになし、出入りの息の絶えぬれば、野辺の送りを営みて、老いも若きも仇野の、空の煙と消え失せん。
朝夕撫でし黒髪も、蓬が根の塵となる。
かかる憂き目のあるゆえに、ひたすら菩提を願うべし。
弘誓の願を身につけて、忍辱精進怠らず、布施や愛語にこころざし、十善の道歩みつつ、他己をも自己と覚るならば、これぞ菩薩の浄土なり。
観世の慧眼明らかに、弘く衆生に回向して、ともに濁世を渡るべし。
尚ぶらくは人間の、受くる形はそのままに、仏の姿にかわらねば、本来より具えし霊明の、一仏心に覚むとき、この身すなわち仏にて、仏が仏を念ずれば、一声唱うる称名も、諸仏の浄土に通徹す。
日々仏に近づきて、礼拝供養も懇ろに、香花燈燭とりささげ、粥飯茶果等供えつつ、身口意三輪浄らかに、称名念仏経陀羅尼、坐禅観法修すれば浄土はもとよりわが身にて、心が即ち仏なり。
つらつらこの身を観ずるに、生生世世の父母や、一切衆生にいたるまで、その恩愛の深きこと、天の極り無きごとし。
されば誓願たてまつり、無明の眠りを覚しつつ、行住坐臥に怠らず、一心勇猛に修業して、無辺の衆生を慈しみ、菩提の道に趣かせ、本有の仏性発露して、不報の恩を報ぜんと、般若の船に掉さして、涅槃の岸に到るべし。


>観音和讃
 
観音大悲の夢の告げ 我等は不生不滅なり
過去七佛のその内で 釈迦牟尼世尊(しゃかむにせそん)に呼び出され
衆生済度の身と成りて 衆生の苦患を導引けり
安楽浄土へ勧むれど 貪欲瞋恚(しんい)が引き留めて
行気は更に出せぬぞ 兎角迷わず胸の中(うち)
正面(おもて)向きをば佛顔を 面ばかりを振り捨て
誠で願え観世音 金銀とては入らず道
唯平常(へいぜい)の心持ち 御上のご恩を先に立て
親に孝行一の事 その上他人も親類も
睦まじうして今日 これらの心が人の道
兎角腹をば立てぬ事 忍辱(にんにく)柔和なるが
由し惜しひ恣ひが深くして神や佛を祈る故
何で感応ある者か 一心不乱に真を据え
祈りて見たるその時は 天地も感応有るとかや
それらの心を振り捨てて 一文餅を買うような
心で祈る神佛 如何で感応有りはせず 兎角
真似にも慈悲がよい            前世
の報いか今ここで 現れ出たる是非も無や かかる
有様見ながらも 仁心慈悲の不起こらは見ながら
落ち入る穴の底 己と作る地獄にて 神や佛も
手がとわず引き揚げ玉え観世音 これは何故
西国の札所に懸ある御誓願 五逆消滅
成佛と 誓いの誌(しるし)有るからは 今日まで盗みした
人も 悪心残らず振り捨てて 元の心で願うなら 遅い
速いはとにもあれ 極楽往生違いない 然からば祈れ
観世音 たといこの世は貧もあれ 又富貴成る人
は なお飢えつ寒(こごえ)つする人を 助け扶くは誰が
為ぞ 我が身の後生や今生も 寿命長久福徳を
天よりあたえあるまいか 貧者が拝みはせぬものか これを
思えば世の中に 慈悲ほどめであいものは無し
上立つ人は みな慈悲の 強きお方はそのままに 早や
この世から神仏 これを証拠にするか よい人には ふた
無きものぞ 六根具足の身となりて 人とな
づくは何故ぞ 人ほど尊きものは無し 自ら仏証
あるゆえに みずから神仏肉親を離れたもうと思うなよ
知らねばさても ぜひも無や 天地も動かす人の心(しん)
古仏や古神の尊像と 己が顔と見くらべて
とくと思案をするがよい 神書(しんきょう)仏経見る人が
これを知しらすは何ゆえぞ 思えば無明に覆われて 明(あか)
なく御趣意のほどは いかばかり


いかがでしょうか。

難解な文章など読まなくても人間の存在の意味が分かるでしょう。
キリストの教えとの違いも判るでしょう。

それが東洋なのです。
メンテ
生の哲学 ベルグソン ( No.34 )
日時: 2020/07/24 19:21
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:nMbh/ObM

久しぶりにUPします。

哲学の大きな分類に

形而上学
観念論
唯物論
実存主義
実証主義

などがあります。
これは時系列ではなく、ギリシャ哲学の中にも唯物論、観念論、形而上学もあります。

この中で形而上学と言うのは、頭の中で人間の存在を位置づけようとするもの(ある意味論理的、科学的ともいえます)。
観念論は、

純粋思考により人間を把握しようとするもの。

唯物論は、

人間の性癖を分析し、形式的に人間を把握しようとするもの。

実存主義とは、

人間自身の分析(我欲を含む)から人間の存在意義を求めようとするもの、実際は、その意義が求められず自暴自棄に陥る場合が多い。

ここに上げませんでしたが「生に哲学」と言う言葉もあります。代表的な哲学者として

アルトゥル・ショーペンハウアー
フリードリヒ・ニーチェ
アンリ・ベルクソン
ゲオルク・ジンメル
ヴィルヘルム・ディルタイ
ヘルムート・プレスナー
ホセ・オルテガ・イ・ガセット
カール・ジョエル
ルートヴィヒ・クラーゲス
オスヴァルト・シュペングラー

などがいます。
時代背景は、カントなどが出て観念論が最盛期だったことから、実存主義に至るまでの間で、大きくは「生の哲学」は実存主義の走りとも言えます。

その「生の哲学」を主張した人物でベルグソンを取り上げます。
ベルグソンは晩年に彼の哲学の集大成として「道徳と宗教の二源泉」と言う著作を残しました。

この中でベルグソンは人間と人間社会のあり様について述べています。
結論から言いますと、ベルグソンの主張は3つの内容に集約されます。

(1)社会のあり方としての「開かれた社会」という概念であり、
(2)「贅沢から簡素への反転」の時期であり、
(3)「精神科学、特に死後の存続の科発展」であろう。

この中の「開かれた社会」と言う概念の為に、道徳と宗教について語っています。

●道徳と宗教には第一源泉があると言い、以下の様に述べています。

>蟻や蜂は本能に従って驚くべき王国を作り上げる。人間も家族から始まる社会なく
して生きていけない。人間は蟻や蜂と違って知性を得た。知性は本来自分の方を見て
いる。社会の中でなければ生きていけないにもかかわらず、人間はその束縛に素直に
従えない。蟻や蜂であれば、もし一瞬なりとも知性が働いて「なぜ自分はこのように
蜜を運ぶだけで一生過ごさねばならないのか」と自問してもすぐ本能が「せねばなら
ぬからするのだ」と仕事に戻らせるだろう。

人間の知性はこれに煩悶する。社会の束縛に反抗するかもしれない。知性に任せた
ならば、個人の反抗によって、社会は疲弊し崩壊するかもしれない。社会は必要であ
るから存在するのであり、それに立ち向かう社会側の努力が当然生まれる。道徳や習
慣、教育あるいは初期の宗教といったものは、社会の維持のために個人個人に責務を
負わせるものだ。人間道徳のうち、このような社会の必要からくる束縛の道徳を、道
徳の第一の源泉と言おう。いわば社会に自然に備わった原始の本能的な源泉なのだ。
道徳教育によって植えつけられる責務感に従わせることによって、社会は崩壊から免
れる。しかしこの第一の源泉からうまれる道徳責務は、まず家庭にはじまり、集落、
そして国家まではその統一的な力が及ぶ。そのような道徳的責務は、その領域を越え
れば適用されない性格のものだ。一旦戦争になれば、それまで説かれた道徳の善悪は
逆転さえする。大量殺人も是認され称揚される。それは本質的に閉じた社会に通用す
るものだった。

●道徳と宗教には第二源泉

道徳には第二の源泉がある。完全な道徳、国家社会の限界を一挙に超えた道徳、人
類愛がそれである。この愛の魂はさらに人類にとどまらない。全宇宙へと広がるもの
だ。
誤解しがちなことだが、第一の源泉から生まれる道徳宗教が、範囲を拡大して行っ
ても第二のそれには到達しない。社会を維持するための道徳が、家庭から、近隣社会
へ、そして人類へと広まっていきそうに錯覚するがそうではない。国連を持つまでに
至った現在の国際社会をみても、国家主義のさきには飛躍できない限界が見えている。
家族愛、祖国愛は、常に除外を生み、憎悪とともに燃えるものである。
第二の源泉による開かれた道徳、すなわち人類愛を呼びかける高次の道徳の起源を
探れば、そこには一個の人間がいる。その個人の偉大な創造の情動がある。魂が感動
で揺さぶられる情動があり、それに接した人たちは、その人のことを伝えなければな
らない情動に揺さぶられる。ここに生まれた波動の伝播で、我々はその人物のことを
伝え聞いている。釈迦、ソクラテス、イエスである。(わが国の身近な例では道元や親
鸞、尊徳も挙げられるだろう。)
彼らは、いのちの危険をかいくぐり、試練を受けながら

詳細は省きますが、この中で、自然宗教とか動的宗教とか言う言葉を使い、自然宗教や道徳と宗教が第一源泉であった時代は「閉じられた社会」と言い、人類は「開かれた社会」を目指すべきだとと説いて、その宗教、道徳を分析しています。
宗教も道徳も限られた人間を対象にするのではなく世界宗教、世界共通の道徳を考えるべきだと言っているのです。
この点、著名な歴史学者、アーノルド・ツインビーは、キリスト教、イスラム教、仏教を高等宗教として他の宗教と区別しています。

>第二の源泉による開かれた道徳、すなわち人類愛を呼びかける高次の道徳の起源を
探れば、そこには一個の人間がいる。その個人の偉大な創造の情動がある。魂が感動
で揺さぶられる情動があり、それに接した人たちは、その人のことを伝えなければな
らない情動に揺さぶられる。ここに生まれた波動の伝播で、我々はその人物のことを
伝え聞いている。釈迦、ソクラテス、イエスである。(わが国の身近な例では道元や親
鸞、尊徳も挙げられるだろう。)

>(2)「贅沢から簡素への反転」の時期であり、

(2)は飽食の時代を戒めているのですが、実際には真逆の方向へ進んでしまいました。

>(3)「精神科学、特に死後の存続の科発展」であろう。

(3)は、科学の発達で、神に頼らない新しい存在観が見出されるであろうと予言したものです。
 半分は当たっているかも知れませんね。

まあ、ある意味、理想論で片づけることもできるでしょうが、帝国主義が華やかであった19世紀後半で、このような主張をしていたことを評価しましょう。

ベルグソンを取り上げた意味は、彼の主張、そのものではなく、彼と言うよりも「生の哲学」が当時の小説家にも影響を与え、ロマンロランの「ジャンクリストフ」「ミケランジェロの生涯」など英雄小説を流行らせ、ドストエフスキーの「罪と罰」も当時の小説であった。

いずれも人間個人の生き様を描いている。

古き良き時代とも言えるでしょう。

実存小説は、楽しくはない!

哲学に親しんでいただくための

閑話休題のような投稿になりましたね。
メンテ

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