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[2820] 哲学のはなし(考えるとは)
日時: 2017/12/05 11:45
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:sdl19w96

人間の思考の仕方について、歴代の哲学者のやって来た道を辿るのも意味のある事と考えます。
そこで、少し退屈に思われる方もいるでしょうが、思考自身のあり方の為に書いてみます。
ギリシャ哲学から実存哲学のサルトルまで、少し長くなります。


哲学の系譜

主に西欧哲学について語ります。
エイジプト、メソポタミア文明は古くからありましたがまとまった文書は残されていません。
ギリシャ時代に入り、初めて思想、科学の文章が残されています。
そのギリシャ哲学ですが、著名なのはソクラテス、プラトンです。
ソクラテスについては、彼自身の著作ではなく「ソクラテスの弁明」などと言う語りつがれで残っています。

(ソクラテス)

ソクラテスの思想は、内容的にはミレトス学派(イオニア学派)の自然哲学者たちに見られるような、唯物論的な革新なものではなく、「神のみぞ知る」という彼の決まり文句からもわかるように、むしろ神々への崇敬と人間の知性の限界(不可知論)を前提とする、極めて伝統的・保守的な部類のものだと言える[要出典]。「はかない人間ごときが世界の根源・究極性を知ることなどなく、神々のみがそれを知る、人間はその身の丈に合わせて節度を持って生きるべき」という当時の伝統的な考え方の延長線上に彼の思想はある[要出典]。
それにも拘らず、彼が特筆される理由は、むしろその保守性を過激に推し進めた結果としての[要出典]、「無知の知」を背景とした、「知っていることと知らないこと」「知り得ることと知り得ないこと」の境界を巡る、当時としては異常なまでの探究心・執着心 、節制した態度 にある[要出典]。「人間には限界があるが、限界があるなりに知の境界を徹底的に見極め、人間として分をわきまえつつ最大限善く生きようと努める」、そういった彼の姿勢が、その数多くの内容的な欠陥・不備・素朴さ[要出典]にもかかわらず、半端な独断論に陥っている人々よりは思慮深く[要出典]、卓越した人物であると看做される要因となり、哲学者の祖の一人としての地位に彼を押し上げることとなった。

要するに道徳律の様なものが彼の主題であった。
次に登場するのがプラトンです。

(プラトン)

プラトンのイデア論
一般に、プラトンの哲学はイデア論を中心に展開されると言われる。
最初期の対話篇を執筆していた30代のプラトンは、「無知の知」「アポリア(行き詰まり)」を経ながら、問答を駆使し、正義・徳・善の「単一の相」を目指して悪戦苦闘を続けるソクラテスの姿を描き、「徳は知識である」といった主知主義的な姿勢を提示するに留まっていたが、40歳頃の第一回シケリア旅行において、ピュタゴラス派と交流を持ったことにより、初期末の『メノン』の頃から、「思いなし」(思惑、臆見、doxa ドクサ)と「知識」(episteme エピステーメー)の区別、数学・幾何学や「魂」との結びつきを明確に打ち出していくようになり、その延長線上で、感覚を超えた真実在としての「イデア」の概念が、中期対話篇から提示されていくようになった。
生成変化する物質界の背後には、永遠不変のイデアという理想的な範型があり、イデアこそが真の実在であり、この世界は不完全な仮象の世界にすぎない。不完全な人間の感覚ではイデアを捉えることができず、イデアの認識は、かつてそれを神々と共に観想していた記憶を留めている不滅の魂が、数学・幾何学や問答を通して、その記憶を「想起」(anamnêsis、アナムネーシス)することによって近接することができるものであり、そんな魂が真実在としてのイデアの似姿(エイコン)に、かつての記憶を刺激されることによって、イデアに対する志向、愛・恋(erôs、エロース)が喚起されるのだとした。

いわゆる形而上学的な発想であり、人間としての普遍の真理を念頭に置きました。
プラトンが説く道徳律が現在でも有効とされるのは、これ故の事です。
そのごプラトンの思いは、個人的な思想から国家の有り様を意識し、国家論を書くことになります。
国家論では国民一人一人の道徳律を説き、君主は君主たるべき資格を問います。
これが成れば、それだけで理想国家になるのですが、現実は、そうは行きません。
我欲の塊である人間性を軽く見ていたのです。

その後には、キリスト教の教義が広まる事によって、プラトンのイデア論の陰が薄くなり、中世哲学へ移って行きますが、人間学としてのギリシャ哲学は中世以降復活することになります。
それでも、プラトンの後にはアリストテレスもでて、ストア、エピキュロス哲学も興りました。

プラトンの文章(国家論 洞窟の比喩)

>洞窟の中に閉じ込められた囚人は、洞窟に映る影絵のようなものだけしかみたことがなく、それが実体だと思っています。
しかし、いったんその囚人を外に連れ出し、光の溢れる実際の世界を見せたらどうなるでしょう。
最初はおそらく光がまぶしすぎて苦痛を感じるでしょう。
しかし慣れてしまうと、もう暗い洞窟の中には戻りたくなくなり、洞窟の中にいるものを哀れに思うようになるでしょう。


(アリストテレス)

アリストテレスの師プラトンは、対話によって真実を追究していく問答法を哲学の唯一の方法論としたが、アリストテレスは経験的事象を元に演繹的に真実を導き出す分析論を重視した。このような手法は論理学として三段論法などの形で体系化された。

アリストテレスによると、人間の営為にはすべて目的があり、それらの目的の最上位には、それ自身が目的である「最高善」があるとした。人間にとって最高善とは、幸福、それも卓越性(アレテー)における活動のもたらす満足のことである。幸福とは、たんに快楽を得ることだけではなく、政治を実践し、または、人間の霊魂が、固有の形相である理性を発展させることが人間の幸福であると説いた(幸福主義)。
また、理性的に生きるためには、中庸を守ることが重要であるとも説いた。中庸に当たるのは、恐怖と平然に関しては勇敢、快楽と苦痛に関しては節制、財貨に関しては寛厚と豪華(豪気)、名誉に関しては矜持、怒りに関しては温和、交際に関しては親愛と真実と機知である。ただし、羞恥は情念であっても徳ではなく、羞恥は仮言的にだけよきものであり、徳においては醜い行為そのものが許されないとした。


これはプラトンが説いた道徳律を、より論理的、理性的に位置づけることになります。
その代わりに、作り上げた至高善が人為的なものとなり、後にヘーゲルが陥ったと同じように、思念の結果が人々を束縛する事になった。
(参考までにヘーゲルの国家論を紹介します)
 「世界史は自由の意識の進歩である」と考えるヘーゲルは、有名な弁証法によって、歴史の進展を記述しました。つまりヘーゲルにとって歴史とは、テーゼ、アンチテーゼ、そしてジンテーゼの三段階を経て発展していくのです。

 ヘーゲルはこの弁証法を道徳にも適用させました。彼によれば道徳とは、個人の精神が達成すべきものなのではなく、むしろ国家によって達成されるべきであると言います。道徳が主観的であるのに対して、国家が設定する法は客観的です。ヘーゲルはこの両者の統合体を「人倫」と名付けました。この人倫もまた、テーゼ、アンチテーゼ、そしてジンテーゼの三段階で発展していきます。人倫におけるテーゼに該当するのは、「家族」で、アンチテーゼに該当するのが「市民社会」であり、そしてジンテーゼに該当するのが「国家」です。

 ここでいう家族とは、共同体の最小単位です。家族の各構成員は「愛情」によって結び付いています。しかし家族では、個人の独立性が阻害されてしまいます。それ故に自由も見当たりません。

 そこで家族のアンチテーゼとして市民社会が登場します。市民社会は、個々人が自由意志で結び付いている状態です。愛情は、端的に否定されます。代替的に、自由が得られます。

 しかしながら愛情を否定することには喪失感が伴います。それ故人間の幸福とは何なのかという疑念が生まれてしまいます。そこでこのテーゼとなる家族とアンチテーゼとなる市民社会を止揚したジンテーゼとして国家が導入されるのです。

 ヘーゲルにとって、国家は家族と市民社会の対立が止揚されることによって完成するものでした。彼は国家を市民社会や家族よりも高次元の絶対的な存在として解釈していたのです。こうして国家が完成すれば、人倫も達成されているので、もはや道徳を追求する必要もなくなります。

 ヘーゲルにとって、国家と市民社会の差異は自明でした。彼は市民社会を「欲望の体系」と呼んでいました。それは、自己自身の目的を達成するために他人を利用する社会を意味します。こうした個々人の欲望が衝突している市民社会に対して、国家は個々人の利益と全体の利益が一致すると言います。

 このように、ヘーゲルの家族・市民社会・国家論は、言わばあるべき理想の国家像を提起している点で特徴的です。

(引用終わり)

ヘーゲルは思考の結果としての理想国家から人間のあるべき姿を規定したのです。それがナチズムにつながります。
マルクスは、ヘーゲルとは違う手法で国家を考え(経済)、ヘーゲルの批判をしていましたが、結果的に同じ過ちを犯しました。

アリストテレスの解説以降、結論を急ぎすぎ不要な事を言ってしまいましたが、この件はそれぞれの書きこみの中で検証して行くことになるますので、読み飛ばしてください。


(登場する人物を挙げておきます)
                    (関連する思想家)
ソクラテス  ギリシャ哲学
プラトン   ギリシャ哲学(国家論)
アリストテレス ギリシャ哲学(倫理学)
ストア哲学   ストイックの概念     ゼノン
エピキュロス哲学 快楽主義
アウグスティヌス  キリスト教哲学
スコラ哲学  中世キリスト教哲学     トマス・アクナス
ダンテ   ルネッサンスの幕開け     コペルニクス
ルター   宗教改革
カルビン  宗教改革
マキャベリ 唯物論
ホッブス  唯物論
パスカル  ルネッサンス期の哲学     
デカルト  観念論
スピノザ  一元論
ヒューム  イギリス経験論       アダム・スミス、ジョン・デューイ(プラグマティズム)
ライプニッツ  単子論
ルソー    社会契約論
カント    観念論
ヘーゲル   唯物弁証法        フォイエルバッハ
ショーペンハウアー  愛の哲学
バートランド・ラッセル  心の哲学(自我論)
キルケゴール 実存主義
フッサール  現象論
フロイト   心理学
ユング    心理学         ヴント(ゲシュタルト心理学)
ニーチェ   孤高の精神
ベルグソン  生の哲学
マックスウエーバー  社会学
ハイエク   新自由主義(経済)
サルトル   実存主義       ハイデッガー
メルロポンティ  実証主義
マルクス   共産主義?      エンゲルス


(注記)

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キルケゴール その2 ( No.15 )
日時: 2017/12/04 18:19
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:gRJtcogo

キルケゴールによると、必然性の絶望は、決定論あるいは宿命論の形を取って現れる。決定論は、一切は必然的とする見方であり、宿命論は、一切が日常茶飯事であるとする見方のことだ。

信じることは理性を放棄することである。その意味でそれは自己の破滅である。そのことを知りながらなお可能性を信じること、これが信じるということだ。その意味で、可能性は絶望に対する「解毒剤」にほかならない。だが、俗物根性は精神を欠いているので、神に気づく可能性をもたない。俗物は自己自身と神を失っているのだ。そうキルケゴールは言う。

キルケゴールによると、絶望の程度は、絶望がどれほど意識されているかによって定まる。というのも、絶望の自覚に応じて、私たちが自己に対して取る態度、自己を選択する仕方が変化してくるからだ。

そこで、キルケゴールは次に、絶望を意識との関係において論じる。ここでのポイントは、弱さの絶望と「閉じこもり」だ。この2つは、絶望していることを自覚しているが、自己に直面せず、あるべき自己から逃避することによる絶望のあり方を指している。

弱さの絶望

キルケゴールは次のように言う。

全くの直接性においては、絶望は自己の外から到来してくるものと考えられていた。だが、弱さの絶望においては、絶望が自己自身から由来することを知っている点で、直接的な絶望とは異なる。

しかし、自己は、一切の直接性を捨てる段階にはまだ達していない。ここでは、直接的な自己と異なり、別の人間になりたいわけではない。居心地が悪くなると自己から避難し、ときどき自分自身に帰ってきて、困難が過ぎて変化が生じたかどうかを確認する。だが、変化が起こらないときは、内面へと向かうかわりに、現実の生活に戻り、内面の問題を無いものとしてしまう。

弱さの絶望のうちにあるとき、自己は、自己自身を引き受けようとすると現れてくる様々な困難の前でおじけづく。可能性が何であるかに関する了解はもちつつも、自己をそれに対して賭けるのが恐いので、世間的な基準に合わせて「ぐずぐず」と生きてしまう。そのようにキルケゴールは考えるのだ。

(閉じこもり)

一方、「閉じこもり」は、神に対する自己の弱さを積極的に意識することで現れてくる絶望のあり方だ。キルケゴールによると、ここでは、絶望が自己自身に由来することは意識されるが、自己を自己と認めることができず、信仰によって自己を再び手に入れようとはしない。

弱さの絶望では、自己は自己自身を世間の側に合わせる。閉じこもりでは、それは世間に身を任せて内面性を失うことにほかならない。したがって、信仰によって神に直面する代わりに、直接性を軽蔑し、世間に対して距離を置くのだ、と論じる。

罪としての絶望

以上のように、神についての意識をもちつつも、なお神に向き直ろうとせず、あるべき自己から逃避していることを、キルケゴールは「罪」と呼ぶ。

キルケゴールは、罪は、それが神の前にあるからこそ罪であると論じる。キルケゴールによれば、神の前にあるかどうかに関係なく罪は罪であるという主張は誤りである。罪、そして自己が神の前にあるからこそ、罪は罪である。そして、この罪から抜け出るには、神への絶対的な信仰が必要であるとキルケゴールは考える。

この意味で、キルケゴールは罪を積極的なものとして評価する。つまり、罪は弱さや無知といったもの、あるいは、概念的に解消される対象ではなく、思弁を越えて、ただ信じられるべきものである。しかし、キリスト教世界は、そのことを見落として、ヘーゲル的な議論に毒されて、罪を概念的に把握しようとする試みがまかり通っている。キリスト教的なものが乱用されているのだ。そうキルケゴールは言う。

ちょうどそれと同じようなことが、キリスト教について―信仰厚い牧師たちによって、口にされているのである。つまり、彼らはキリスト教を「弁護する」か、それとも、キリスト教を「理由」に翻訳するかしているのである。そればかりか、同時におこがましくも、彼らはキリスト教を思弁によって「概念的に把握し」ようとしているのである。

キリスト教界は、人間は罪人であるという規定を概念的に論じることによって、そこから不安の要素を抜き取り、私たち人間が理解できる範囲へとキリスト教を落とし込んでいる。しかし、神と人間の間には、本質的な差異がある。そして、その差異ゆえにこそ、罪を概念的、一般的に論じることはできない。だが、このことを多数の信者は信用しようとせず、牧師の言うことに従うことで無難に過ごそうとしている。こうした結託が行われているキリスト教界は、むしろ異教的なものだと言わなければならない。そのようにキルケゴールは論じる。

自己は神に直面する単独者であり、そうした自己からの「墜落」が絶望である。こうしたキルケゴールの主張は、それ自体として見れば、普遍性をもたない一個の物語であると言わざるをえない。

しかしここには、とりわけ私たちが青年期において、自己なるものに対して取りうる態度の範型が、切実さをもって描写されている。

私たちは、何らかの絶対的な理想に直面して立ちすくみ、おじけづくことがある。または、これをやりすごして世渡り上手になったり、世間を無化してただ自己の意識のうちで理想に到達しようと試みたりとすることもある。

中世であれば、こうしたことは問題とはならなかった。なぜなら、そこでは、素直に信仰することが求められていたし、それ以外の道はなかったからだ。しかし、自由の自覚が進んだ近代においては、もはや素朴に信仰することはできない。絶対的な価値の根拠としての神を、何の迷いもなく信仰できる時代ではないのだ。

確かに私たちは、いまある自己とあるべき自己、理想と現実の選択をめぐる「危機」を普段から生きているわけではない。だが、そうした「危機」は、絶対的な価値の根拠を喪失した近代にとって特有の問題だ。だからこそ、本書におけるキルケゴールの議論が神を中心に進んでいるとしても、私たちはそこに深い洞察を見いだすことができるのだ。
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フッサール  現象学 ( No.16 )
日時: 2017/12/04 18:26
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:gRJtcogo

(フッサール)

エトムント・グスタフ・アルブレヒト・フッサール(Edmund Gustav Albrecht Husserl、IPA:[ˈhʊsɛrl]、1859年4月8日 - 1938年4月27日)は、オーストリアの哲学者、数学者である。ファーストネームの「エトムント」は「エドムント」との表記もあり、またラストネームの「フッサール」は古く「フッセル」または「フッセルル」との表記も用いられた。

ここで新しく出てくる「現象学」の概念について書きます。
現象学と言う言葉はヘーゲルも使っています。

フッサールは、諸学問に根拠を与える「基礎づけ」の学として現象学を構想した。真・善・美という意味や価値の本質、また広く精神や文化に関する問いは、自然科学を中心とした実証的な学問では扱えない。それゆえフッサールは、実証的な学問についても、意味や価値を扱う学問についても、それぞれの成立根拠と範囲を明確にしようとしたのである。現象学はあらゆる学問・認識の根拠を個々人の主観における妥当(確信)に求める。これは、客観的な世界の存在を当然視する素朴な見方を根本から変更するものだった。この態度変更を自覚的に行うことが「現象学的還元」と呼ばれる。客観的な世界がある、とする私たちの素朴な態度をいったん停止して、そのような妥当が生じる条件や理由を自分の意識の内側に探っていくのである。

(現象)
現象学的還元を通じて、フッサールが主に行ったのは、事物知覚の本質構造の記述であり、自然科学が土台とする客観的世界の妥当が成立する普遍的な(誰にも共通するような)条件を探ることであった。

普遍的な構造や条件を取り出し記述することを現象学では「本質観取」という。この方法は、自分の経験を見つめ、そこから善、美、自由、正義といった人間的な諸価値の普遍的な意味あいを取り出す試みでもあり、その方法的意義は現在も失われていない。

(現象額とは、どのようなもの→ざっと、読み飛ばされれば良いでしょう)

1.フッサールの方法
1-1.主客問題

「主観と客観」あるいは「認識と対象」の問題をどう解明するか、これが現象学(Phänomenologie)の第一の課題である。周知のごとくデカルトは、「神の存在証明」(Beweis des Daseins Gottes)によりこの問題に取り組んだともいえるが、結局のところ神に頼らざるを得なかった。ところがフッサールの時代において存在の基礎づけとして神を持ち出すことはもはやかなわなかった。したがってフッサールはデカルトとは違う、しかしデカルトのように学問全体を絶対的に基礎づけるような土台から始める必要があったのである。

1-2.現象学的還元

 デカルトが「方法的懐疑」(doute méthodiaue)で示したように、「主観」は自分の外に出て「主観」と「客観」の一致を確かめることはできない。かといってデカルトのように神を持ち出すこともできない。するとどうなるか。フッサールは「現象学的還元」という新たな方法を提出する。ここで問題なのは、主観と客観の一致を確証することではなく、これが「疑い得ない」現実であるという妥当(Geltung/Gelten)(確信)がどのようにして生じるかという問題を解くことである。そしてこの問題を解くために、我々はまず「主観」から出発するのである。フッサールの考えた「現象学的還元」の方法は以下のようになる。

主観と客観の構図を取り払う
人間は「主観」の中に、ある「疑い得ないもの」を持っており、それを他人と共有せざるを得ないような構造を持っていると考える
ただ、で考えた「疑い得ないもの」の妥当が、単なる思い込み(ドクサ)doxaであってはならないため、このドクサをエポケー(Epoché)する(括弧に入れる/判断を停止する)ことによって一旦取り払ったのと同じ状態になる
1-3.「純粋意識」(reines Bewußtsein)という余剰

 先程の「現象学的還元」で自然的態度(naturalistische Einstellung)にエポケーを施し、ドクサを取り払ったあと、そこには果たして何が残るのだろうか。フッサールによればそれは「純粋意識」であるという。ではこの純粋意識とはいかなるものなのであろうか。

 フッサールのこの「純粋意識」とは、一切のものを疑ってもなおそこに残った唯一確実なものという点において、デカルトのコギト(cogito)と類似するものであるが、ある一点においてまったくその性質を異にしている。というのは、デカルトにおけるコギトとは実在するものとして考えられているが、フッサールのいう「純粋意識」とは人間の経験や世界像一般を可能にする第一の原理という意味であり、それ以上でも以下でもない。したがって、ここでは「純粋意識」が実在するものであるということは含意されていない。

1-4.コギト―コギタチオ(cogitatio)―コギタートゥム(cogitatum)(意識―意識作用―意識内容)

 フッサールは、知覚(Wahrnehmung)と知覚事物それ自体とは一つになって結合されているということはないという。すなわち、私がここに「机がある」と知覚したときの「机」とは、実際そこにある机そのもの全体を知覚したものではないということである。例えば私は机を知覚する。しかし、その机の裏側がどうなっているかまでは知覚しない。つまり、知覚は我々に対して、知覚事物のある一面を様々に異なった相で射映する(Abschattung)(与える)にすぎない。このように、フッサールによれば事物は一定のパースペクティブからしか与えられず、彼はまた、この射映によって現れることを現出(Erscheinung)と呼ぶ。

 ところで我々は、ここに「机がある」と知覚するとき、それを様々に異なった別々の机だとは知覚せずに一つの机であると知覚するであろう。それは、フッサールによればおよそ次のような仕組みになっている。

 我々は机のあらゆる相を知覚する(コギト)。この連続的に与えられる(コギタチオ)机の相を、意識が瞬時に統一して、ここに「一つの机がある」という知覚(コギタートゥム)に至る。我々は「机そのもの」を知覚したかのように感じていても、現実的知覚としては現に意識に与えられているとはいい難い。したがって、この行程には少なからず「ドクサ」が含まれていることに我々は注意せねばならない。

1-5.内在(Immanenz)と超越(Transzendeniuz)

 我々は先に、ここに「机がある」というのは現実的知覚ではなく、意識によって統一された、構成されたものであるということを確認した。ここで内在と超越、すなわち「原的な体験」としての「内在」、「構成された事象経験」としての「超越」という概念に突き当たる。ここで注意されたいのは、フッサールのこの文脈における「超越」とは神やイデアのような何かを超越した事物ではないということである。ここでの「内在」とは「原的な体験」であるがゆえにそれ以上疑うことのできない不可疑性のもの、先所与性のものである。ところが「丸い」「赤い」「光っている」といったものを知覚する際も、それが何か他のものから構成されている、すなわち超越した存在ではないのかという批判があるかもしれない(先構成論的な批判)。ただし、我々は「丸く感じた」、あるいは「赤く」、「光っているように感じた」という感じたことそのものは「ひょっとしたら丸く感じたのではないかもしれない」と疑うことはできない。したがってフッサールの「内在」とは、より厳密には知覚におけるこの不可疑的な感覚体験、人がそのように感じたという初源的な事実性ということになる。

1-6.ノエシス―ノエマ(Noesis―Noema)

 先に我々は、知覚と知覚対象それ自体とは一つになって結合されているものではないということを確認したが、知覚とパースペクティブなものとして現れる知覚事物とは、「意識とはすべて、何ものかについての意識である」という志向性ゆえに切っても切り離せない関係にある。この関係をフッサールは相関関係(Korrelation)と呼ぶ。この相関関係のうち、意識の作用的側面はノエシスと呼ばれ、対象的側面はノエマと呼ばれる。つまりノエシスとは、意識に現れた感覚的ヒュレー(hyle)(素材)に志向的な意味統一を与えてひとつの存在対象の妥当を構成する意識の働きであり、ノエマとはノエシスによって構成された対象性のことである。またこの構成された対象性のことを、志向的相関者という。

今まで書いてきたことは、要するに認識論の問題であり、これに興味を持たれる方以外は、その内容を理解する必要は少ないと思います。

しかしながら、次に感情移入についての文章があり、これは他には無いでしょう。

(感情移入)

 他我の妥当について、もう少し詳しく扱うことにしよう。いま私の知覚野(Wahrnehmungsfeld)に、我々とは違う人が入ってきたとしよう。それは我々の前に単なる物体(Körper)として現れる。ところで、なぜこの物体が我々と同じような主観をもった他我であるということがいえるのか。それは統覚的移し入れ(Übertragung)、すなわち「我々の身体としての物体」と「我々の知覚野に入ってきた物体」との類似性を基礎として、類比化的統覚を為すのである。これがフッサールのいう感情移入、言い換えれば類比統覚による特殊な間接的呈示でなのである。そもそも我々の身体は単なる物体に過ぎない。それを我々は、自己の身体的統覚によって、自己の身体としての物体」と「自己の身体」とを重ね合わせている、いわば統覚(Apperzeption)しているのである。この模型にしたがって、我々は物体として現れた他者の身体を、我々の身体との類似性ゆえに我々とは違う主観をもった他我の身体として統覚する、先ほどと逆の言い方をすれば重ね合わせているのである。この方法により私は、自分の「物体として現れる身体」を「自分の身体」として統覚するのと同じ手法で、「他者の物体として現れた身体」を「一個の身体」として統覚していることになるのである。
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フロイト、ユング   心理学 ( No.17 )
日時: 2017/12/04 18:35
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:gRJtcogo

今まで書いてきた哲学の歴史は、多くの哲学者に登場していただいたが、各人の切り口が異なるだけで、目的とするところは普遍・神と言った真理の探究であったり、人間性を探求することでした。
哲学も、この後は人間自身の有り様を直接問うことになって行きます。
まず初めに、


フロイト

ジークムント・フロイト(独: Sigmund Freud、1856年5月6日 – 1939年9月23日)は、オーストリアの精神医学者、精神分析学者、精神科医。オーストリアのモラヴィア辺境伯領のユダヤ人の家庭に生まれた。神経病理学者を経て精神科医となり、神経症研究、心的外傷論研究(PTSD研究)、自由連想法、無意識研究を行い、さらに精神力動論を展開した。精神分析学の創始者として知られる。

現在では心理学と言えば、文字通りの分野と認識されるが、フロイトの時代では哲学的認識の手法の一つとして考えられていた。
しかしながら、その内容は精神医学、心理学の分野の草分け的発想が多い。
現代精神医学、心理学からはフロイトの矛盾を指摘することが多いが、その慧眼、発想の転換には驚くべきものがある。
ヒステリー、トラウマ、自我、エス等の概念が生まれ、現代社会で流行のセラピーの原型も始められた。

(フロイトの軌跡)

1895年(39歳)、フロイトは、ヒステリーの原因は幼少期に受けた性的虐待の結果であるという病因論ならびに精神病理を発表した。今日で言う心的外傷やPTSDの概念に通じるものである。 これに基づいて彼は、ヒステリー患者が無意識に封印した内容を、身体症状として表出するのではなく、回想し言語化して表出することができれば、症状は消失する(除反応、独: Abreaktion)という治療法にたどりついた。これは当時隆盛になりつつあった物理学の「エネルギー保存の法則」をも参考にしている。この治療法はお話し療法と呼ばれた。今日の精神医学におけるナラティブセラピーの原型と考えることもできる。

やがて彼の関心は心的外傷から無意識そのものへと移り、精神分析は無意識に関する科学として方向付けられた。そして父親への依存を振り切ったフロイトは、自我・エス・超自我からなる構造論と神経症論を確立させた。

フロイトの「力動論」や「リビドー」の概念はエネルギー保存の法則を元にしているとも言われる。患者の症状は無意識に抑圧された内容の形を変えた表れである、ととらえ、ヒステリー患者たちが身体的な症状部位に関する言葉、関連した(自由連想的)エピソード記憶を想起するに至ってから症状から回復することも確かめられた[19]。リビドー(性的エネルギー)の理論には経済的な思考とヴィクトリア時代の道徳が存在している。1人の個人が消費できるエネルギーの量は限定されており、それ以上の消費を行なうと病気や神経衰弱を招く、という観念のもと理論が構築されていたのである。ここから「リビドー保存」の仮説を導き出し、そこから『文化への不満』に著されるように、直接快感をもたらす本能的性行動を放棄し、強制的に文明の目的を追求せざるをえなくなっている文明人は不幸である、という意味を引き出したのである。

フロイトがこだわった点、彼の精神分析理論の科学性については疑問がある。たとえばカール・ポパーは実験やデータなどの反例による理論修復の機会を拒否する精神分析論の独善的な姿勢を批判している。フロイトの精神分析は、「無意識の仮説」によって解明されるべき問題行為が、推理的方法を用いる、一人の“客観的証人(分析者)”にとってのみ意味を持ち、“本人”にとって意味を持たないという、正義と才能の確実な保証の無い分析者による独断が行われる危険性を産み出した。
しかし、フロイト自身がこの精神の病理という分野に大きなスポットライトを当てた業績は誰にも否定できないだろう。フロイトの時代の医学では精神病理の治療はほとんど進んでおらず、脳内のメカニズムを解明する可能性はほとんど存在しなかった。エリック・カンデルは、フロイトは元々は神経学者であり精神分析学は記憶に焦点を当てた学問である以上、将来的には記憶の神経学的解明によって精神分析学と神経学を結び付けることが可能になるであろうと指摘した。
しかし、現代の精神医学においては、フロイトの理論自体が高く評価されているとはいえない。その理由としては、嗜好性の強い独特の性的一元論に代表される、およそ通常の現代人の感覚にそぐわない違和感のある内容という事があげられる。性的一元論は、そもそも彼自身の心の病理からくるとする意見もあるが、当時のヴィクトリア朝時代の抑圧性の非常に強い時代にあっては、まさに紳士を自認する人間たちが性的な領域を否認することに、フロイトは欺瞞を感じたのだった。元々フロイトの診ていた患者は上流階級の女性が多く、性にまつわる情報を遮断された環境で育っていたという事情が指摘される。性理論の形成に関しては、当時の抑圧の強い時代において、フロイトがその観点の強調に革命的意味を持たせていたことを念頭に置く必要がある。また、例えば心的外傷(トラウマ)といった考えは、現代においても通用する。

(リビドー)
リビドーとは、日常的には性的欲望または性衝動と同義に用いられる。世間一般的には、リビドーという言葉は押さえきれない性的欲求のようなものを指して使われる。特に男性の荒々しい露骨な性的欲求を表現する言葉としてしばしば使われ、また時には男性の性的欲望を軽蔑する意味合いの言葉としても使われる。
これはジークムント・フロイトが「性的衝動を発動させる力」とする解釈を当時心理学で使用されていた用語Libidoにあてたことを継承したものである。一方で、カール・グスタフ・ユングは、すべての本能のエネルギーのことをLibidoとした。
対義語はデストルドーと誤認されることもあるが、これはフロイト晩年の『快楽原則の彼岸』における「タナトス(死の欲動)」の言い換えであって、正確な対義語ではない。フロイト自身はしばしば性的欲動の対義語として、死の欲動または攻撃欲動という言葉を使っている。ただし、1920年以前においては、リビドーは対象に向けられる欲動を指しており、その正反対の力として自我欲動を想定していたようである。これは「愛と飢え」という、古来からいわれる詩人の言葉によってしばしば表される。
(精神分析学の観点から)
精神分析学ではリビドーを、様々の欲求に変換可能な心的エネルギーであると定義している。リビドーはイド(簡単にいえば無意識)を源泉とする。性にまつわるものだけでなく、より正確には人間の性を非常にバラエティに富んだものへと向ける本質的な力と考えられている。リビドーが自我によって防衛・中和化されることで、例えば男根期の露出癖が名誉欲に変わるなど、社会適応性を獲得する。また支配欲動が自己に向かい厳格な超自我を形成して強い倫理観を獲得することもある。
リビドーは非常に性的な性質を持つとして見られる一方で、全ての人間活動はこれの変形としてフロイトは理解している。特に文化的活動や人間の道徳的防衛はリビドーの変形したもの、もしくはそのリビドーから身を守るために自我が無意識的に防衛したものとして理解されている。芸術や科学の活動も、リビドーが自我によって防衛され変形したものである。


フロイトに触れたついでに心理学で言えばユンクについて書かねばならない。

(ユンク)

カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung、1875年7月26日 - 1961年6月6日)は、スイスの精神科医・心理学者。深層心理について研究し、分析心理学(通称・ユング心理学)を創始した。

ユング心理学(分析心理学)は個人の意識、無意識の分析をする点ではフロイトの精神分析学と共通しているが、個人的な無意識にとどまらず、個人を超え人類に共通しているとされる集合的無意識(普遍的無意識)の分析も含まれる。ユング心理学による心理療法では能動的想像法も取り入れられている。能動的想像法とは、無意識からのイメージが意識に表れるのを待つ心理療法的手法である。また、ユング心理学は、他派よりも心理臨床において夢分析を重視している。夢は集合的無意識としての「元型イメージが日常的に表出している現象」でもあり、また個人的無意識の発露でもあるとされる。
夢の分析はフロイトが既に重視していたことであった。しかしユング心理学の夢解釈がフロイトの精神分析と異なる点は、無意識を一方的に杓子定規で解釈するのではなく、クライアントとセラピストが対等な立場で夢について話し合い、その多義的な意味・目的を考えることによって、クライアントの心の中で巻き起こっていることを治癒的に生かそうとする点にある。
ユングはフロイトとの決別以後も治療を続けた。ただ、彼は人生の方向を決めるのは治療者ではなく、クライアントであるとし、クライアントの無意識的創造力を信頼した。 
また、日本のユング心理学はその心理臨床において箱庭療法を積極的に取り入れたことでも知られている。
メンテ
ベルグソン 生の哲学 ( No.18 )
日時: 2017/12/04 18:43
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:gRJtcogo

ベルグソン

アンリ=ルイ・ベルクソン(Henri-Louis Bergson [bɛʁksɔn]発音例、1859年10月18日 - 1941年1月4日)は、フランスの哲学者。出身はパリ。日本語では「ベルグソン」と表記されることも多いが、近年では原語に近い「ベルクソン」の表記が主流となっている。

生きた現実の直観的把握を目指すその哲学的態度から、ベルクソンの哲学はジンメルなどの「生の哲学」といわれる潮流に組み入れられることが多く、「反主知主義」「実証主義を批判」などと紹介されることもある。だが実際のベルクソンは、当時の自然科学にも広く目を配りそれを自分の哲学研究にも大きく生かそうとするなど、決して実証主義の精神を軽視していたわけではない(アインシュタインが相対性理論を発表するとその論文を読み、それに反対する意図で『持続と同時性』という論文を発表したこともある)。

一方で、ベルクソンは新プラトン主義のプロティノスから大きな影響を受けていたり、晩年はカトリシズムへ帰依しようとするなど、神秘主義的な側面ももっており、その思想は一筋縄ではいかないものがある(ベルクソンは霊やテレパシーなどを論じた論文を残してもおり、それらは『精神のエネルギー』に収められている)。 因みに、1913年、英国心霊現象研究協会の会長に就任している。
こうした点から、ベルクソンの哲学は、しばしば実証主義的形而上学、経験主義的形而上学とも称される

ベルグソンの主著は『道徳と宗教の二源泉』です。
その中で、ベルクソンは道徳をふたつに分類している。
閉ざされた道徳
禁止事項など抑圧的な道徳。昆虫の従っている規則の類と同一視される。

開かれた道徳
自分自身や自分が属する集団の利害を超えた愛。統制によるのではなく、魅惑されることによって引き起こされるような人類全体、植物や物にまで及ぶような愛。道徳的偉人によってのみもたらされる。

同様の観点から宗教もまたふたつに分類されている。
静的宗教
呪術や迷信、儀式により社会秩序を維持するために存在しているような宗教。

動的宗教
偉大な宗教的神秘家によって説かれるような宗教。「愛の跳躍(エラン・ダムール)」へと導くような宗教。

(生の哲学)

生の哲学は、デカルト的心身二元論的な知性や理性に限定された我々の存在を超克、それより先んじて非合理的な我々の生そのものへとアプローチしていく精神史の思潮のひとつ。シュレーゲルよりも後では反形而上学的要素が強い。19世紀後半〜20世紀前半に盛んになった。
「生」とはどのようなものかについては、論者によって差があり、ショーペンハウアーはただ生きんとして生きる盲目的な暗い意志としていたが、当初ショーペンハウアーを絶賛していたニーチェは彼とは反対にすべてを我がものとし、支配し、超え出て、より強くならんとする権力への意志とし、ディルタイは歴史の流れの中にある客観的精神体としており、それぞれニュアンスに違いがあるが、合理的な理性に対する、非合理な生の優位を主張する点でおおまかな一致をみることができる。
このような生の哲学における非合理主義は、合理的な「学としての哲学」を拒むものとして非難の対象となり、新カント派は生の哲学を批判した。このような流れの中で、論理性・実証性を重視し、いいかげんな概念を用いる哲学や形而上学を批判する論理実証主義も生まれた。

つまるところ、生の哲学とは、論理的合理性に囚われることなく生きるという意志のこととも言える。
その様な意味で、小説の世界ではロマンロランの「ジャン・クリストフ」「魅せられた魂」
ショーロフの「静かなドン」の主人公の生き様を示しているのではないかと思う。
メンテ
マックス・ウェーバー   社会学・政治学 ( No.19 )
日時: 2017/12/04 18:43
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:gRJtcogo

マックス・ヴェーバー

マックス・ヴェーバー(Max Weber、1864年4月21日 - 1920年6月14日)は、ドイツの政治学者・社会学者・経済学者である。マックス・ウェーバーと表記されることもある(正式な名前はカール・エーミル・マクスィミーリアン・ヴェーバー (Karl Emil Maximilian Weber)。マックスはマクスィミーリアンの省略形である)。同じく社会学者・経済学者のアルフレート・ヴェーバーの兄である。
社会学の黎明期のコントやスペンサーに続く、第二世代の社会学者としてエミール・デュルケーム、ゲオルグ・ジンメルなどと並び称される。


マックス・ウェーバーは近代社会学の重鎮にして創始者として著名だけれども、「幼年期」ドイツ歴史学派の流儀で経済学上の業績をいろいろ残した人でもある。

 ウェーバーとゾンバルトは、当時のドイツ経済学の同世代人としてひとくくりにされることが多いけれど、これほど毛色のちがう二人も珍しいくらいだ。浅薄で、空想的、皇帝万歳のゾンバルトは、綿密で、合理的、皇帝大嫌いのウェーバーとまるでちがう。とはいえウェーバーも。ドイツの民族主義からは完全には逃れきれず、単にゾンバルトほどは帝国軍万歳の盲目的愛国者じゃなかったというだけだ。ウェーバーは「支配者民族(ナチのドイツ民族の呼称)」は自分たちの野心をもっと制限しなければならない、と固く信じていた。

 この個人的な態度表明は、彼の最も著名な経済学の業績「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(1905) にも反映されている。この本でウェーバーは、世俗の富の蓄積は慎むべきである、といった資本主義に反するようなピューリタンの物言いが、実はまさにその富の蓄積の推進力となってしまった、と論じる。この論の展開は目新しくて有名だった。カトリシズムは、ウェーバーによれば、世俗的な富の蓄積に関しては寛容であり、ぜいたくな浪費に関しては見て見ぬ振りをしていた。これは教会の階級構造(これは「地位」を求めて争いや策略が不可欠だということだ)から発生した。そして教会そのものも、ぜいたくな浪費と、しょっちゅう持ち出す世俗的な免罪の力の伝統があった。一見すると、カトリックの倫理の方が、プロテスタントの倫理よりも、資本主義に傾き易そうに見える(ウェーバー以前も以後も、まさにそう論じた人々は多い)。

 でもそりゃちがうよ、とウェーバーは言った。確かにプロテスタントの教義は、卑しい地位にとどまり、世俗の仕事と義務に専念しなさい、と言っているし、教会に階級構造もないから上昇志向や富のため込みやぜいたくのお手本となるようなものもない。でも、まさにそれこそが「働いて貯める」倫理を生みだし、それが資本主義を誕生させた。自分の仕事に専念して誇りをもつことは、確実に高い生産性をもたらす態度だ、とウェーバーは主張する。カルヴァン主義の倫理である、beruf (天職/義務/仕事) への慎ましい専念による「神々しさ」という倫理のおかげで、結果としてプロテスタント社会のほうが生産性が高いということになった。一方、カトリックの社会においては、階級序列のおかげで、上の階級への移動ができるかもしれない、という可能性がでてくる。すると多くの人々は、今やっている自分の仕事は、より高く偉い地位に就くための通過地点にすぎない、としか思わなくなる。そうなると目の前の仕事に対しても、自分本来の地位から見てつまんない仕事だと考えて最小限またはそこそこの努力しか払わないだろうし、絶対に一生を捧げるべき価値ある仕事だなんて思わないだろう。結果としてカトリック社会の生産性は低い、とウェーバーは結論づけた。

 プロテスタント社会の生産性の高さは、その高い倹約志向と組み合わさった。消費や世俗の富のぜいたくな誇示が罪だというのは、もう一つの大きなプロテスタント倫理だった。カトリックでもそういう発想はあったけれど、カトリック教会はこうした(そしてその他の)罪をほいほい許してくれる。プロテスタント教会にはそんな力はなく、だから信仰篤き人々に対して消費を慎ましく抑えろとうながす力も大きかった。でもプロテスタントの高い生産性は、要するにかれらがカトリック教徒よりたくさん稼いだということで、しかも貯蓄も大きいということは要するに富が蓄積されたということだ。カトリックは、生産性は低いのに消費はもっと大きかった。

 だから、「資本主義的蓄積」という考えは、プロテスタントの倫理から直接生じたものなんだ、とウェーバーは結論づけた。それはプロテスタント教会や教義が、強欲さを大目に見てくれたからじゃない(全く正反対だ)。むしろ、その beruf に対する生産的な献身と、消費控えめの主張によって、まったく予想外にそれが生じた、というわけ。その後、後の社会の中で「貪欲はいいことだ」という旗印のもとで、資本主義的な取得指向が倫理的に「正当化」されたのは、すでに事実化していたことをゆがんだ形で述べ直しただけだった。ウェーバーの主張によれば、「資本主義社会」を作り出したのは、絶対に資本主義的な「貪欲」の倫理じゃない(後にそれが資本主義社会の拡大にどれだけ貢献したにしても)。むしろ、全く逆だ。

 ウェーバーのこの 1905 年の議論(これは R.H. トーニーが独自に考案したものと同じだった) はもちろんすぐに反論を受けて、その後はおおむね資本主義隆盛の「完全な」理論としては否定されている。でも何はともあれ、かなりの議論は引きおこした。

 経済学(および社会科学一般)に対するウェーバーのその他の主要な貢献は、手法に関する研究だった。これには二つの側面がある: Verstehen または「解釈的」社会学についての理論と、positivism に関する理論だ。

 彼の「理解」ドクトリンは、有名だけれど批判も多く、議論の的となってきた。主な主張というのは、社会学、経済学、歴史学の研究は、何らかの概念装置を用いてアプローチするしかない(あるいはそうすべきだし、実際にそうする)んだから、決して完全に機能的・記述的ではあり得ない、というものだ。そういう概念装置をウェーバーは「理念型」と名付けた。つまりある特定の経済・社会現象を理解しようと思ったら、それらをただ記述するだけでなく、そこに参加している人々の行動を「解釈」しなければならないってことだ。でもこの「解釈」は困った問題を引きおこす。というのも、他のものを知るためには、あらかじめ定まった「理念型」に属するモノとして行動を分類する以外には手がないからだ。ウェーバーは4種類の「理念型」を提示した。(1) 目的合理的行為 (zweckrational, 合理的な目的のための合理的な手段)、(2) 価値合理的行為 (wertrational, 不合理な目的のための合理的な手段)、(3) 感情的行為 (affektual, 感情に導かれた行動)、(4) 伝統的行為 (traditional, 因習や習慣に導かれた行動) だ。

 ウェーバーは「理念型」を使うのが抽象化だということは認めた。でも、それでもそれは社会的現象を何であれ理解しようと思ったら不可欠なんだ、と主張した。だって、物理現象とちがって、それは人間行動がからんでくるし、それは理念型を通じて理解・解釈するしかないのだもの。経済学者のみなさん、ここで耳をそばだてましょう――これぞ「合理的な経済人」という想定を手法的に正当化してくれるものじゃございませんか!

 ウェーバーの実証主義についての研究、というかむしろ、社会科学における「価値自由」という批判も多い信念は、今もなお議論の的だ。ここでのウェーバーの議論はさほど目新しくはないけれど、シュモラーや「青年」歴史学派との完全かつ荒っぽい決別を記すものではあった。とって徹底的な、しかも力強い展開になるきっかけを与えることになった。

 ウェーバーの経済学に対する業績は他にもいくつかある。一つは(すさまじい調査に基づく)「ローマ農業史」(1891 年の教授資格取得論文)、そして、資本主義の歴史における観念論と物神論の二重の役割を考察した「経済と社会」(1914) でウェーバーは反マルクスぶりを示している。最後に、綿密な調査による「一般社会経済史要論」(1923) は、たぶん歴史学派の経験主義的な著作として最高水準だろう。

 マックス・ウェーバーの経済学者としての地位はあれこれ議論の対象となり、今や一般的には、その影響が最も大きかったのは社会学の分野だとされる。でもかれはドイツ歴史学派の末尾にやってきた人物で、経済学だの社会学だのといった区別がまだあまりなかった頃の人だから、それを考えると「経済学者」としても見るべきだろう。
メンテ
ハイエク  新自由主義経済論者 その1 ( No.20 )
日時: 2017/12/04 18:49
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:gRJtcogo

(ハイエク)

ハイエク(1899−1992)に哲学的に特別な業績を見る訳ではないが、彼の思想が将来の新自由主義経済論に与えた影響は大きい。
新自由主義経済とは、先の世界大戦後世界を席巻し、現在の経済の交流の源となった。
しかし同時に格差を生み、現代社会の問題点を生み出したものでもある。
新自由主義の問題は現代社会の課題であり、その良し悪しをふくめて検証するために、少し詳しく説明したい。

ハイエクは現在はリバタリアニズムの思想家の一人とみなされているが、本人は古典的自由主義者(classical liberal)を自称し、エドマンド・バークに倣いOld whigと呼ばれることを好んでいた。 またハイエクの「自由」に対する考えは、単に経済学にとどまらないものがあった。ハイエクは集産主義と計画主義には市場のどの参加者よりも一部のエリートの方が賢明であるという前提があると考えた。だが実際においては市場の情報や知識をすべて知ることは不可能であり、部分的な情報を熟知する参加者達が参加する市場こそがもっとも効率のよい経済運営の担い手であると説いた。

(リバタリアニズム)

(他者の権利を侵害しない限り、各個人の自由を最大限尊重すべきだとする政治思想である)
さらにハイエクは特にフランスに見られるような「理性」に至上の地位を与えるような合理主義には常に反対していた。人間は現存の秩序をすべて破壊し、そこにまったく新しい秩序を建設できるほど賢明ではないとし、既存の秩序、つまり「自然発生的秩序」の重要性を説いた。彼の自由主義は、あくまでイギリス・アメリカ的経験論に基づくものである。コモン・ローなどがその代表例としてあげられる。彼は理性の傲慢さのもたらす危険性を常に問題視していた。

デカルト以来の「理性主義」を「設計主義的合理主義(constructivist rationalism)」と呼び、自由主義的な「進化論的合理主義(evolutionary rationalism)」と峻別、自由主義を体系的に論じ「理性主義」を批判した。
そもそも、人間の理性は、文明社会そのものを創造する能力はもっていない。人間の行為は、一つは先天的で本能の欲求によるものであり、もう一つは人間社会が歴史的に経験を通して試行錯誤と取捨選択を積み重ねることにより発展してきた法(ルール)、伝統、規範に従ってのものである。文明社会は人間の営みの結果であっても、それは人知を超えたものによって発展しているものであり、そこに人間の理性(知力)が入る余地はわずかである。人間はその本質において、誤りに陥りやすい存在であり、人間社会は「漸進的な発展(改良、進歩)」が期待されるのであって、もし理性を乱用し「革命的な進歩」を目指した場合、文明そのものを破壊する。道徳規則の形成も、人間の社会における実践的な営みの経験の中で成長したものであり、人間の理性による意識的な発明ではない(この考えはヒュームの『人間本性論』に通じる)。同様に、社会秩序も「自生的秩序(a spontaneous order)」であり、自由社会と不可分の関係にある、「法の支配(rule of law)」と市場経済の二大原則の確立もこれにほかならない。

こうした考えから、計画経済と集産主義(collectivism)、それに基づく社会主義、共産主義、ファシズムに対して反対し、同時にファシズムも左翼に分類した。
ハイエクの活動は第二次世界大戦をはさんだ時期に最初のピークを迎える。経済学者として,社会主義経済学やケインズ経済学に対する徹底した批判を展開してきたハイエクは,著書『隷従への道』(1944)において,社会主義やケインズ主義を生み出すにいたったそもそもの思想的基盤を問題とするにいたる。それが「計画主義的思考」,すなわち社会を何らかの計画に基づいて合理的にコントロールしようという思考である。

ハイエクによれば,デカルト以来の近代合理主義が生み落とした計画主義的思考は,本来歴史過程において自生的に形成されてきた秩序(「自生的秩序」)をいたずらに破壊し,上から一元的な価値を押し付けることで,人間の多様性や自由を抑圧してしまう。ここでいう自生的秩序とは,さまざまな人間の予期せぬ自由な行動が複雑にからみあった結果としていつのまにか成立し,それ自体が一定の自律性や規則性をもって機能するにいたった,そのような秩序である。自生的秩序は,個々の人間や集団が何らかの意図を実規するために意識的・計画的に作り出した株序よりはるかに精妙で,文明の真の進歩を支えてきた。具体的には,言語や慣習法や伝統および市場が,典型的な自生的秩序である。市場もまた自生的秩序であると主張することで,ハイエクは,市場の失敗を人間の意図的なコントロールによって克服しようという一切の試みが,無益でありかつ本質的に危険であることを示そうとした。

 政府による市場介入を厳しく批判したハイエクの議論は,福祉国家建設に人々の関心が集中していた戦後のしばらくの期間,あまりにも「反動的」であるとして傍流に押しやられていた。だが,1970年代以降,福祉国家の行き詰まりを打開しようとする論者に再発見され,リバタリアニズムの成立に決定的な影響を与える。

貨幣的側面と実物的(生産構造上の)側面との両面から、相対価格体系の変動が景気の変動を発生させるとするハイエク理論は、この問題を捨象し主として集合量の変化に基づき、いわゆるマクロ的分析を行うケインズ派経済学とは、基本的・対照的に違っており、ハイエク‐ケインズ論争は有名である。ケインズ派の凋落(ちょうらく)とともに、改めてハイエク・ブームが始まったのも不思議ではない。かつて一度は「中立貨幣」を説いたハイエクが、1977年に「貨幣の非国有化論(国立中央銀行撤廃論)」を主張するに至ったのも当然かもしれない。だが、ハイエクは「自由放任論者」ではなく、自由社会や自由経済をよりよく発展させるために、政府は何をしなければならないかを、つねに新しい問題として解答していかなければならないという「新自由主義」を説く。

ハイエクの具体的な主張 (隷従への道より)

「個々の分散された経済計画を相互に調整し、統合するのが、競争市場下での価格メカニズムである」
「個々の家庭の経済計画をすべて政府が把握して管理するのは不可能である」
「価格の持つ情報力は、市場で価格が誰にも支配されず、かつすべての者を支配している時に機能を発揮する」
「消費者の選択の自由を制限すると、一時的に物資は豊富になるが、新製品が生まれにくくなる。どの新製品が将来発展するか誰も予測できない。市場に任せるしかない」

「計画経済下で豪華な設備を作っても、多くの場合、資源の誤用になる」
「生産設備を国有化し、資本市場での取引きを禁止すると、その設備が効率的に使用されているのか全く判断できなくなる」
「社会全体の目標を決めることができるということは、個々の国民全員の価値尺度の順位付けができるということである。個々の国民それぞれの心の内部に葛藤がある。最終的に価値判断するのは個々の国民であって、政府ではない」

「議会は利害の対立する特定の経済計画を多数の賛成で決めるのに適さない」
「経済計画を民主的に決めるのは、陸戦計画を民主的に決めるよりも難しい」
「議会が経済計画の策定を行政府に委任する範囲は不可避的に拡大し、経済活動が法の支配から脱却していく」
「法の支配下で行われる自由な経済活動においては、個人は経済活動の結果が予知可能である。政府の支配下で行われる計画経済においては、経済計画上の要請で、個人の努力の結果を事後的に無効にされる可能性がある」

「国家の経済が計画化されればされるほど、個人の経済活動の計画化は困難になる」
「配給制では選択の自由が制限される。貨幣を所有することにより、その人にとって不必要な物から切っていく自由が生じる」
「私有財産制は、資産家同士を競争させることによって、財産のない消費者にも利益を与える」
「自由な労働市場がないと職業選択の自由がない。自由に職業が選択できて、はじめて能力に応じた職業選択の最適化が図られる」
「計画経済下では適正な労働報酬を算定するのが困難である。完全な平等は実現できるが、公正な平等は実現できない」
「自由主義経済下での不運な失業は許容できても、社会主義経済下での計画者が決定した失業は受容できない」

「労働報酬が、その職業の社会的価値を表す。所得保障は、自主的配転を阻害し、命令配転が必要になる」
「計画経済における個人の失敗(ノルマ未達成等)は、自由経済のように個人財産の減少という形で償うことができず、犯罪として罰せられることになる。自分が損すれば済むというわけにはいかない」
「ある部門の所得保障は、他の部門の所得を減少させる。また、より安い報酬で参入したい者を阻害する」
「社会全体の目的を追求すると、個人は無視される」
「社会全体の目的を決める人(独裁者)以外は、個人的な道徳的信念を持てなくなる」

続く
メンテ
ハイエク  新自由主義経済論者 その2 ( No.21 )
日時: 2017/12/04 18:55
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:gRJtcogo

見てきましたように、ハイエク自身は第二次世界大戦の前後の時代に活動した人であり、彼の主張そのものが、資本が巨大化しグローバル化が進んだ現在、科学技術が発達した現在のあらゆる分野の状況に直接当てはめられるようなものではありません。
当時においても、「あまりにも「反動的」であるとして傍流に押しやられていた」とありますが、「1970年代以降,福祉国家の行き詰まりを打開しようとする論者に再発見され,リバタリアニズムの成立に決定的な影響を与える」となってきます。

この変換は何故起こったのか。

まず、新自由主義の項で新自由主義が評価された事例として、イギリスの経済復興のことが言われています。
「市場を絶対視したサッチャーの下、自助の精神が取り戻されたという評価や、以下の各国に共通した双子の赤字の課題を残しつつも、英国が英国病を克服したことです」

1970年当時のイギリスはかつての栄光の名残を引きずり、実際の国の制度はアチコチ疲弊し、慢性的な不況の中にいました。
サッチャー首相(1979 年就任)が実施した荒療治とも言える経済再建策により,克服されたとされることです。
確かにマンネリ化したシステムに息を吹き込む意味での処方箋として有効だったのでしょう。

2また米国が石油危機に端を発するスタグフレーションを脱し、1990年代にはビル・クリントン政権下でインターネットなどの新産業が勃興して産業競争力を回復したこと、

南米ではブラジルが1990年代までの深刻なインフレの制圧に成功しブラジル通貨危機までの安定成長を遂げていることなどは、グローバル資本主義、新自由主義の功績であると評価されていますが、それはいづれも応急処置的な様相の中の問題です。
反対にこれを非難する記述も以前に書きました、下記は其の一部です。

西側諸国では、労働者に対する責任転嫁は格差社会を拡大したとの批判もあり、またチリにおけるシカゴ学派の功績は事実と大きく異なることが明らかになり、ジョセフ・E・スティグリッツら公共経済学の立場からも新自由主義的な政策で国民経済が回復した国は存在しないことが指摘されている。債務国の再建策として新自由主義的な経済政策を推し進めていたIMFも、2005年に理論的にも実践的にも新自由主義的な経済政策の推進は誤りだったと認めている。

ようするに、長期的に見れば、経済的弱者が切り捨てられ、格差が広がり、国家全体としてみれば、ハイエクの言うような社会が構成できていないことが明らかになっているのです。

また資源やエネルギー、環境の問題を含めてハイエク時代と条件が全く異なっています。
ところが現在はその思想が世界の主流として進められているようです。
其の訳に言及するとき、アメリカ巨大資本の意向と言うものに注目しなければなりません。
下記は再掲になりますがその経緯について検討したいと思います。

(背 景)

(1)輸送・通信分野の技術進歩による時間的・空間的距離の短縮、
(2)規制緩和や市場開放など自由化の進展、
(3)旧社会主義圏の崩壊と新興工業国の台頭により市場が世界的規模で拡大 (市場経済規模は27億人から55億人に一気に倍増) したこと、が挙げられる。また、今後は、
(4)インターネットを代表とする情報通信ネットワークの拡大、
(5)NGOの国際的な活動の活発化等が世界経済の一体化を促進していると考えられています。

また企業活動のグローバル化には、大きく分けて5つの段階があるといいます。

第1段階は輸出、
第2段階は海外販売網の整備、
第3段階は天然資源、低廉な労働力、海外マーケットを目的とする生産や技術開発拠点の海外移転、
第4段階は事業推進のために必要な経営資源の移転、
第5段階は世界的規模での経営戦略の展開となる。企業が現地生産等の海外直接投資を増やし、多国籍化していくにつれ、モノ、カネ、ヒトの国境を越えた移動が活発化し、国境の制約が相対的に薄れ、相互依存関係が深化していく。

現在は第5段階に進みつつあり、世界を一つの市場として各国の企業が激しい競争を繰り広げるメガ・コンペティション(大競争)が始まり、提携や買収など競争力強化を目的とした世界的規模での企業の再編成が進んでいる。国境を越えたM&A(企業の合併・買収)の急増、大型化している。一企業内でも、部品供給と完成品組み立てを複数の国で分業する企業内貿易が、国際貿易に大きな割合を占めるようになっている。
また、貿易の拡大、金融取引に関する規制緩和の推進、情報通信ネットワークの拡大により、世界の金融市場の一体化が急速に進展している。
以下、個別に検討したいと思います。
(背 景)
 (2)規制緩和や市場開放など自由化の進展、

ウルグアイ・ラウンド(Uruguay Round、1986年 - 1995年)は、世界貿易上の障壁をなくし、貿易の自由化や多角的貿易を促進するために行なわれた通商交渉です。これにより各国の規制をなくしアメリカ型の巨大資本が活動しやすい下地を作りました。
(3)旧社会主義圏の崩壊と新興工業国の台頭により市場が世界的規模で拡大 (市場経済規模は27億人から55億人に一気に倍増) したこと、が挙げられる。また、今後は、

目ざとい巨大資本が市場としての旧共産主義国と安価な労働力の供給先を同時に手に入れる機会を得て勇躍したと言うことです。
其の国の安定した発展など、何処吹く風で、人々の解放心を利用して、其の国家を蹂躙して乱入していったのです。中国などに見られる極度の格差社会の実現は、それが必然であったのでしょうか。
(4)インターネットを代表とする情報通信ネットワークの拡大、
このことも、急速にグローバル化が進められる強力な手段となりました。

(グローバル化の段階)

第3段階は天然資源、低廉な労働力、海外マーケットを目的とする生産や技術開発拠点の海外移転、

これはすでに述べました、旧共産主義国の崩壊がこの傾向に拍車をかけました。

第4段階は事業推進のために必要な経営資源の移転、

 1980年代から、我が国でも現地生産を目指す企業が急増しています。
 世界の先進国の国内で産業の空洞化が著しくなり始めたころです。
もっとも、アメリカだけは早くからそれを行い、行わねばならないほどの事業規模であったといえます。
その代わりに、アメリカ社会の格差はすでにどうにもならないほど進んでいました。

第5段階は世界的規模での経営戦略の展開となる。企業が現地生産等の海外直接投資を増やし、多国籍化していくにつれ、モノ、カネ、ヒトの国境を越えた移動が活発化し、国境の制約が相対的に薄れ、相互依存関係が深化していく。

我が国でも1990年代の後半から、企業の集約が急速になされました。金融資本においても同様です。
それほどまでにしなければ世界について行けないような、熾烈な資本戦争に巻き込まれたのです。
この段階になると、国家が国民の為に考える施策よりも資本の戦争に勝つための施策の方を優先させざるを得ないようになりました。
完全に資本の論理が国家の論理を超えてしまったのです。

このような「新自由主義」などと言う言葉とは裏腹な巨大資本同士の戦争が始まりました。
ハイエクは、その理論的な武装に使われただけで、元々、当時を30年も遡る彼の理論がその当時の世界の経済の状況などを把握できるようなものではなかったのです。
単純に、アメリカを中心とする世界の巨大資本の戦略に世界が載せられたということです。
グローバル化の傾向は、それでなくても資本主義が抱合する憂慮すべき問題であったのですが、それを平然と逆手に取ったペテン師のような巨大資本の勝手な収益主義に世界が、政治が弄ばれたといえます。
メンテ
ニーチェ ( No.22 )
日時: 2017/12/05 11:27
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:sdl19w96

(ニーチェ)

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(独: Friedrich Wilhelm Nietzsche, 1844年10月15日 - 1900年8月25日)は、ドイツの哲学者、古典文献学者。現代では実存主義の代表的な思想家の一人として知られる。古典文献学者フリードリヒ・ヴィルヘルム・リッチュルに才能を見出され、哲学教授職を希望しつつも、バーゼル大学古典文献学教授となり、辞職した後は在野の哲学者として一生を過ごした。随所にアフォリズムを用いた、巧みな散文的表現による試みには、文学的価値も認められる。

ニーチェはソクラテス以前の哲学者も含むギリシア哲学やアルトゥル・ショーペンハウアーなどから強く影響を受け、その幅広い読書に支えられた鋭い批評眼で西洋文明を革新的に解釈した。
ニーチェは、神、真理、理性、価値、権力、自我などの既存の概念を逆説とも思える強靭な論理で解釈しなおし、悲劇的認識、デカダンス、ニヒリズム、ルサンチマン、超人、永劫回帰、力への意志などの独自の概念によって新たな思想を生みだした。
生存することの不快や苦悩を来世の解決に委ねてしまうクリスチャニズムの悪癖を否定し、無限に繰り返し、意味のない、どのような人生であっても無限に繰り返し生き抜くという超人思想につながる概念である。
彼は、ソクラテス以前のギリシャに終生憧れ、『ツァラトゥストラ』などの著作の中で「神は死んだ」と宣言し、西洋文明が始まって以来、特にソクラテス以降の哲学・道徳・科学を背後で支え続けた思想の死を告げた。

「神の死」とは、ニヒリズム的状況。彼岸を「真の世界」とする価値観(プラトニズム・キリスト教)が崩壊したことで発生した。
ニーチェによれば、「神の死」とは単なるキリスト教超克ではなく、ニヒリズムの宣言でもあった。生の本質は「力への意志」であり、それは自己維持のために必要な世界解釈を行う。
対して、キリスト教は弱者による虚構の世界解釈である。強者は自己を善とし弱者を「劣悪」とするが、そうした価値観を畜群的弱者は転倒させ、支配的強者を「邪悪」とし、自己正当化する。
自力で生と格闘したニーチェは、結局、狂気の中で死ぬことになる。
1889年1月3日、ニーチェはトリノ市の往来で騒動を引き起し、二人の警察官の厄介になった。その後、肺炎で55歳の人生を終える。

ニーチェは、キリスト教にも依らず、他の観念論にも頼らず、自らの生を向き合い、ギリシャ哲学の清新さに憧れ、結局は悩み抜いて狂気を発したと言われる、その生き様が後世の若者たちに支持され、理論的成果は少ないが著名な哲学者と認められている。
しかしながら、そのニーチェの生き様の無力感がニヒリズムを生み、反対にロマン主義に傾倒する事もなる。

(ロマン主義とは)
ロマン主義の底流に流れているものは、古典主義や教条主義がしばしば無視した個人の根本的独自性の重視、自我の欲求による実存的不安といった特性である。ロマン主義においては、それまで古典主義において軽視されてきたエキゾチスム・オリエンタリズム・神秘主義・夢などといった題材が好まれた。またそれまで教条主義によって抑圧されてきた個人の感情、憂鬱・不安・動揺・苦悩・個人的な愛情などを大きく扱った。

音楽好きのニーチェにはワーグナーと言う音楽家の知人がいる。
ワーグナーは歌劇の分野で大きな功績を残しているが、彼の音楽ロマン派とも言われている。

さてニーチェの主著であるが、それはツァラトゥストラはこう語った」と言う名の4部作と言われている。
ニーチェの代表作「ツァラトゥストラ」は、主人公のツァラトゥストラが旅をしながら自らの思想を説くというスタイルをとっています。

その内容を紹介するよりも、ニーチェの名言、格言を紹介する方がニーチェの理解には向いているのでは無かろうか。

ニーチェの名言、格言

いつか空の飛び方を
知りたいと思っている者は、
まず立ちあがり、
歩き、走り、登り、踊ることを
学ばなければならない。
その過程を飛ばして、
飛ぶことはできないのだ。


樹木にとって最も大切なものは何かと問うたら、
それは果実だと誰もが答えるだろう。
しかし実際には種なのだ。

過去が現在に影響を与えるように、
未来も現在に影響を与える。

毎日少なくとも一回、
何か小さなことを断念しなければ、
毎日は下手に使われ、
翌日も駄目になるおそれがある。

世界には、きみ以外には
誰も歩むことのできない唯一の道がある。
その道はどこに行き着くのか、
と問うてはならない。
ひたすら進め。

あなたが出会う最悪の敵は、
いつもあなた自身であるだろう。

軽蔑すべき者を敵として選ぶな。
汝の敵について
誇りを感じなければならない。

世論と共に考えるような人は、
自分で目隠しをし、
自分で耳に栓をしているのである。

高く登ろうと思うなら、
自分の脚を使うことだ。
高い所へは、
他人によって運ばれてはならない。
人の背中や頭に乗ってはならない。

忘却はよりよき
前進を生む。

>実存主義哲学

実存主義は、普遍的・必然的な本質存在に相対する、個別的・偶然的な現実存在の優越を主張、もしくは優越となっている現実の世界を肯定してそれとのかかわりについて考察する思想である、とされる(「実存は本質に先立つ」)。本質をないがしろにするような思想的なものから、本質はこうだが現実はこうであり、本質優位を積極的に肯定せずに、現在の現実をもってそれをどう解決していくべきなのかを思索的に考えたもの。本質を積極的に認めない傾向があるため、唯物的、もしくは即物的になり、本質がみえなくなってしまう極端な思想も生まれる土壌にもなる。また悲観的な発想にもなりがちとなっている。
分かりやすい例えとして スプーンは食べ物をすくう為の物という目的(本質)が先にあり、そこから人の手によって作られる(実存)することによって存在する。 しかし人間は実存が先にあり、本質は自分の手で選びとっていかなければならないとした思想である。

実存主義的な哲学は古くからあったものですが、ニーチェの存在を期に、キルケゴール、ハイデッガー、サルトルなどが追求する事になり、一時は世界の若者を虜にする事になる。
アウトサイダーの様な言葉が流行ったのも、この影響であろう。

ついでに紹介しておきますと、ドストエフスキーの「罪と罰」は、実存主義哲学の影響を受けているものと思います。
なを、実存主義はアナーキズムを生むなど、肯定的な哲学の使命からは外れている面もあるが、飽くまでも人間の生き方を考える意味では哲学は違いない。

メンテ
サルトル  実存主義哲学 ( No.23 )
日時: 2017/12/04 23:25
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:gRJtcogo

ルネッサンス以降、哲学の手法は、今まで見てきた様に、懐疑論(デカルト)、経験主義、人間機械論、社会契約論、カント哲学と解れてきました。
その上に、唯物論、人生論、現象学、実存主義、実証主義、心理学、生理学、社会学へ展開していきます。

また新プラトン主義と言われる流れも存在している。
ギリシャ哲学の始祖、プラトンには、人間にとって基本的な何かを含んでいるのでしょう。

新プラトン主義は、後3世紀に成立し、西洋古代哲学の掉尾を飾った潮流である。始祖とされるプロティノス(3世紀)は、プラトンのイデア論を徹底させ、万物は一者から流出したもの(流出説)と捉えた。ネオプラトニズムとも。
現代の「新プラトン主義」は18世紀のドイツで生まれた造語が19世紀に入ってから定着した近代の用語であり、シュライアーマッハー以降、文献学により、プラトン自身のオリジナルの教説と後世の追随者の思想とが区別して捉えられるようになって確立した概念である。多くの場合、時代的に新しいプラトン主義であるというだけでなく、いくつかの面でプラトン思想とは異なる特徴を呈しており、本来のそれからの逸脱である、という含みをもって用いられる。

哲学と言えるか解りませんが、

プラトニズムと言う言葉は現在でも生きています、読んで字のごとくプラトンの思想にもとづいています.
ではそのプラトンの思想とはどのようなものか.かれは世界を物質世界と精神世界(イデアの世界)にわけて,後者こそが本当に存在する世界だとしました.つまり,われわれがふつうに感覚で認識しているような世界はウソの世界だと考えたのですね.

そこから,肉体的(物質的)なものよりも精神的なものを重視する考えかたをプラトニズムと呼ぶようになりました.よく使われるのは,恋愛において,セックスなどの肉体的な関係をもたず,精神的なふれあいのみで満足するようなものをプラトニック・ラブと言います。

「実存主義」

この最後に位置づけられるものに実存主義哲学があります。

実存主義は、普遍的・必然的な本質存在に相対する、個別的・偶然的な現実存在の優越を主張、もしくは優越となっている現実の世界を肯定してそれとのかかわりについて考察する思想である、とされる(「実存は本質に先立つ」)。本質をないがしろにするような思想的なものから、本質はこうだが現実はこうであり、本質優位を積極的に肯定せずに、現在の現実をもってそれをどう解決していくべきなのかを思索的に考えたもの。本質を積極的に認めない傾向があるため、唯物的、もしくは即物的になり、本質がみえなくなってしまう極端な思想も生まれる土壌にもなる。また悲観的な発想にもなりがちとなっている。
分かりやすい例えとして スプーンは食べ物をすくう為の物という目的(本質)が先にあり、そこから人の手によって作られる(実存)することによって存在する。 しかし人間は実存が先にあり、本質は自分の手で選びとっていかなければならないとした思想である。

もう少し平易に言えば(そんなに平易でもないが)

『存在と時間』でのハイデッガーは、世界のうちに現に投げ出されて存在する人間を現存在とよび、現存在が存在すること、そのことを実存と名づける。現存在がどのように実存するかは、あらかじめ定められた人間の普遍的本質といったものによってではなく、その時々に現存在が実存するまさにそのことによってのみ決定される。つまり「現存在の本質はその実存にある」ことになる。現存在をこうした角度から分析するのが実存論的分析であって、それを通じて実存の非本来性と本来性とが区別される。非本来的な実存とは、本来の自己を見失って「ひと」das Manのうちに没入し、世界の内部で現れる目前の事物に心を奪われている人間の日常的なあり方のことで、これは時間に即していえば、過去を忘却し、未来を予期しながら、その時々の現在に分散して生きる人間のあり方である。

まあ、現代流に言えば、自己責任で生きるという事になりますか。
神にも頼らず、普遍も求めずと言った生き方ですが、もともと哲学、宗教などは人間存在において心の救済を求めるもの。
自己責任で考えても、結局は悲観的に終始することが多くなる。

ニヒリズムやアナーキズム、そのようなものが派生することになる。

実存主義と言う概念は古くからあったが、それを現代的に理論化したのが、ハイデッガー、サルトルです。

(サルトル)

ジャン=ポール・シャルル・エマール・サルトル(フランス語: Jean-Paul Charles Aymard Sartre、1905年6月21日 - 1980年4月15日)は、フランスの哲学者、小説家、劇作家。

サルトルの論調は以下のようなものですが、哲学書を読むより、サルトル他の実存主義文学を読まれた方が解りやすいかと。

サルトルの思想は実存主義によるもので、今まさに生きている自分自身の存在である実存を中心とするものである。特にサルトルの実存主義は無神論的実存主義と呼ばれ、自身の講演「実存主義はヒューマニズムであるか」(のちに出版される『実存主義とは何か』のもととなった講演)において、「実存は本質に先立つ」と主張し、「人間は自由という刑に処せられている」と言い切っている。

もし、すべてが無であり、その無から一切の万物を創造した神が存在する(有神論の立場)ならば、神は神自身が創造するものが何であるかを、あらかじめわきまえている筈である。ならば、あらゆるものは現実に存在する前に、神によって先だって本質を決定されているということになる。この場合は、創造主である神が存在することが前提になっているので、「本質が存在に先だつ」ことになる。

しかし、サルトルはそのような一切を創造する神がいないのだ(無神論の立場)としたらどうなるのか、と問う。創造の神が存在しないというならば、あらゆるものはその本質を(神に)決定されることがないまま、現実に存在してしまうことになる。この場合は、「実存が本質に先だつ」ことになり、これが人間の置かれている根本的な状況なのだとサルトルは主張するのである。

そこでまず、サルトルは即自と対自という対概念を導入する。これは物事のあり方と人間のあり方に分けて対比させたもので、即自である物事とは、「それがあるところのものであり、あらぬところのものであらぬもの<l'&#234;tre est ce qu'il est et n'est pas ce qu'il n'est pas>」であるとした。これは物事が、常にそれ自身に対して自己同一的なあり方をしていることを意味し、このようなあり方を即自存在<&#234;tre-en-soi>という。

それに対して、対自<pour-soi>である人間とは、「それがあるところのものであらず、それがあらぬところのものであるもの」とした。人間は、何をやっているときでも常に自分を意識することができるので、物事のように自己同一的なあり方をしていない。AはAであるといわれるのは即自存在においてのみであって、対自においてはAはAであったとしか言われえない。対自は仮に存在といわれたとしてもそれ自身は無<n&#233;ant>である。これは人間があらかじめ本質を持っていないということを意味する。このことについてサルトルは「人間とは、彼が自ら創りあげるものに他ならない」と主張し、人間は自分の本質を自ら創りあげることが義務づけられているとした。

人間は自分の本質を自ら創りあげることができるということは、例えば、自分がどのようにありたいのか、またどのようにあるべきかを思い描き、目標や未来像を描いて実現に向けて行動する「自由」を持っていることになる。ここでのサルトルのいう自由とは、自らが思い至って行った行動のすべてにおいて、人類全体をも巻き込むものであり、自分自身に全責任が跳ね返ってくることを覚悟しなければならないものである。このようなあり方における実存が自由であり、対自として「人間は自由という刑に処せられている」というのである(人間は自由であるように呪われている。<condamn&#233; &#224; &#234;tre libre>)。

とはいえ、人間は自分で選択したわけでもないのに、気づいたときにはすでに、常に状況に拘束されている。他人から何ものかとして見られることは、わたしを一つの存在として凝固させ、他者のまなざしは、わたしを対自から即自存在に変じさせる。地獄とは他人である<l'enfer, c'est les autres>。そのうえ、死においては、すでに賭けはなされたのであって、もはや切り札は残されていない。わたしを対自から永久に即自存在へと変じさせる死は、私の実存の永遠の他有化であり、回復不能の疎外であるといわれる。


(サルトルの文学)

サルトルは最初、芸術によって存在を完璧(かんぺき)なものにしようと考えたが、やがて戦争体験を経ることにより、真の自由の獲得と、したがって真の存在の完成とは、歴史や社会や現実に参加することによって獲得しなければならぬと考えるに至った。こうして長編小説『嘔吐(おうと)』(1938)は、実存意識に目覚めた人間が小説を書くこと(芸術)で生の意味を発見しようとする姿を描き、短編小説『壁』(1937)では、人生を選択できず、ただ存在するだけのものとして存在する人間を示し、劇作『蠅(はえ)』(1943)では、自己の状況を乗り越える行動によって自己を判定する人間を浮き彫りにした。さらに4部からなる連作長編小説『自由への道』(1945〜49、第4部『最後の機会』は未完)では、第二次世界大戦の前中後の時代を生きる一知識人が、こうした実存的人間の発展をたどりつつ、ついに新たな真の自由と新たな自己を発見する過程を描いた。

 さらに、実存主義文学が社会への参加の文学である以上、文学者は書斎での孤独な創作活動だけにとどまることをやめて、積極的に社会や政治の問題に発言し、それに対して熱烈に働きかけることになる。こうしてサルトルは、さまざまな社会、政治、時事問題――ハンガリー事件、アルジェリア問題など――に正面からかかわり合っていった。そうした参加からまた、政治における目的と手段を描く劇作『悪魔と神』(1951)などの作品を生み出した。以上のような意味合いからサルトルの文学および実存主義文学は、新しい意味でのヒューマニズムの文学といわれている。

(アルベール・カミュの文学)

カミュの場合、サルトルの『嘔吐』と同じような位置を占める作品が『異邦人』(1942)である。その主人公は「不条理」absurdeの意識をもつがゆえに、日常性と良識を代表する社会によって殺人罪で裁かれるが、実は裁く側も自己欺瞞(ぎまん)の罪によって告発されているのと同然である。カミュはこの、人間に虚偽や欺瞞を強い、人間の真の存在を否定する不条理との戦いこそ人間の義務であるとする。そしてこの義務はこうした不条理な人生への抗議、反抗の形をとって、エッセー『シシフォスの神話』(1942)では、永遠に崖(がけ)の上に岩を押し上げねばならぬ絶望的な反抗行為となり、そこに人間のあるべき姿をみようとする。

 こうして、カミュにおいては、反抗が不条理意識をもつ人間の参加行為となり、これを具現するのが長編小説『ペスト』(1947)の主人公で、彼はペストのために恐慌をきたした町で、神や悪魔の無力を知って孤独地獄に陥る人々に囲まれながら、因襲や安易な妥協に甘んじることなく、人間の連帯を頼みにして己の職務を遂行する。こうした意味で、不条理に反抗し続けて人間性を追求する道がまたヒューマニズムに通じている。そして不条理的人間による人間性の誠実な探求の道が、このような反抗と行動の形をとるがゆえに、不条理の文学も必然的に社会への参加を行うものとなる。

(シモーヌ・ド・ボーボアール)

ボーボアールは学生時代にサルトルと巡り会い、2人の結合は激烈な反順応主義と、出生の環境(ブルジョアジー)に対する反抗によって強固にされたが、この二つの命題が彼女の文学的出発点となり、そこにはすでにこの実存主義文学の女王の生涯のテーマがかいまみえる。すなわち、ボーボアールの文学活動は、女性であることの「本質」と女性になることの「実存」の矛盾相克の苦悩を核として展開されるといえよう。長編小説『招かれた女』(1943)は嫉妬(しっと)という永遠のテーマを一新するもので、主人公フランソアーズは自分と夫との間に介入してくる「他者」の存在である招かれた女グザビエールを殺す。他者の幸福に対する指向と他者の存在とはつねに自我の破壊であるという認識である。長編小説『他人の血』(1944)では、レジスタンスにおける連帯と責任の問題を扱い、長編小説『人はすべて死す』(1947)では、真の個人と歴史との相克を描く。膨大な社会学的、心理学的、文学的女性論である『第二の性』(1949)は、「女性は雌と去勢者の中間的存在として社会的心理的につくりあげられるもの」であり、女性が他者によって自己を規定されるのは人間として堕落であるとの観点から、女性の復権を求める。さらに4部からなる回想録『娘時代』(1985)、『女ざかり』(1960)、『或る戦後』(1964)、『決算のとき』(1972)と『おだやかな死』(1964)は、ボーボアール自身の「女性になることへの実存」に至る過程を精神形成と重ね合わせて語る、同時代のドキュメント豊かな作品である。


私は、これらの小説を読んだ事はありません(読む気がありませんでした)
態々醜い疑似体験などしたくはなかったからです。

近代哲学の大きな流れとして実存主義がありますが、ギリシャ哲学で始まった真理の探究と言うものは放棄され、結局は哲学自身が居場所を無くしたことになります。
ニヒリズムもアナーキズムも結局は逃避であり、逃避せざるを得ない人間の困苦の為に哲学があったはずです。
言い換えれば、サルトルの実存哲学は、逃避を論理つけるための哲学と捉えられる面があるのです。

なお、近代哲学は、この後、実証主義へ進みます。
実証主義や今まで省いていたマルクスについて、この後、話す事にします。

メンテ
メルロ・ポンティ   実証主義哲学 ( No.24 )
日時: 2017/12/05 10:09
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:sdl19w96

メルロ・ポンティ

モーリス・メルロー=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty、1908年3月14日 - 1961年5月3日)は、フランスのロシュフォール生まれの哲学者。主に現象学の発展に尽くした。

彼の哲学は「両義性(Ambigu&#239;t&#233;)の哲学」「身体性の哲学」「知覚の優位性の哲学」と呼ばれ、従来対立するものと看做されてきた概念の<自己の概念>と<対象の概念>を、知覚における認識の生成にまで掘り下げた指摘をしている。

たとえば、それまで枯れ木を見たことがない人にとっては、枯れ木を見るだけでは、名前のない枯れ木を「現象」としてしか知ることができない。「枯れ木」を恒常的に認識できるようになるためには、「枯れ木」という言葉(記号)を知る必要がある。
また、精神と身体というデカルト以来の対立も、知覚の次元に掘り下げて指摘し、私の身体が<対象になるか><自己自身になるか>は、

「どちらかであるとはいえない。つまり、両義的である」とした。一つの対象認識に<精神の中のものであるか><対象の中のものであるか>という二極対立を超え、私の身体のリアリティは<どちらともいえない>。しかし、それは無自覚な<曖昧性>のうちにあるのではなく、明確に表現された時に<両義性>を持つとした。そして、その状態が<私という世界認識><根源的な世界認識>であるとした。
そこには、既に言葉と対象を一致させた次元から始めるのではなく、そもそもの言葉の生成からの考察がある。

それは、論理実証主義哲学、分析哲学、プラグマティズムなどの<言語が知られている次元>からの哲学に厳しい指摘をしたといえる。そこには多くの哲学の垣根を越える試みが見られ、また、異文化理解や芸術などに大きな影響を与えた。
また、知覚の優位性からの新しい存在論の試みが絶筆となった『見えるもの見えないもの』で見られる。

これも短い文章だけではほとんど理解できないと思います。
要するに、知覚(目、耳、鼻、肌触り)などと脳により認識を関連つけて事物の把握をしようとするもので、ほとんど脳神経医学、生理学の領域です。

メルロ・ポンティについて現象学と書いていますが、実証主義と言った方が良いかと思います。
その実証主義の概念も古くからあったものですが、ここで言う実証主義とは自然科学に基づいた実証主義であり、すなわち医学、生理学を根拠に哲学まで推論すると言う手法です。

結局は実存主義と同じで、純粋なギリシャ的な意味での哲学は終焉したと言うことになります。
終焉と言いましても、無くなったとか、不必要になったと言う意味ではありません。
哲学と言う観念は希薄になっても哲学と人間性の関係は何時までも続きます。

メルロ・ポンティの主著は
『知覚の現象学』です。
科学的な人間性の把握は社会学の手法にも取り入れることが出来、その方面での展開が望まれるところです。
メルロ・ポンティなどは、名前だけを覚えて於かれて、機会があればさわりでも読まれたら良いでしょう。
メンテ

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