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[53] 教育の話し
日時: 2009/08/07 19:53
名前: 天橋立の愚痴人間

教育会議なる馬鹿の集まりが、馬鹿にふさわしい馬鹿な提言をまとめた。

曰く PTAに父親も参加すべし。

曰く 赤ん坊は、母親がおっぱいを飲まし、子守唄を歌うこと。


最早、会議そのものを解散し、かかった費用は彼らから徴収すべきである。
さすがに、政府もこれを発表する事は参院選のためにはならないと提言を差し戻したらしい。
またある議員は、おっぱいの出ない人に対して差別発言であるような理由をつけたらしい。

差し戻す理由も理由であるが、こんな馬鹿共を任命した責任も取ってもらわねばならない。

こんな連中が何を考えているか、知れたものではない。
こんな連中に教育改革を担当する資格はないのである。

つでに言っておきますが、マスコミに取材を受けた主婦達の反応は、そんなことはもとより解っている、大きな御世話というのが圧倒的であった。


どんどん入ってくる日本崩壊のニュースに、まとうな精神で対処していれば疲れてしまいます。

人生を振り返るに、今日ほど、愚劣な出来事が連続した記憶はありません。
管理人さんの考えは当たっているようです。
メンテ

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イエナプラン教育 ( No.5 )
日時: 2011/09/18 12:43
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:3R2ku166

http://altjp.net/classification/article/90

イエナプラン教育

イエナプラン教育は、1923年にドイツのイエナ大学の教育学教授だったペーター・ペーターゼン教授によって、教育実践を通した教育学的な研究として始められました。子どもたちが根幹グループと呼ばれる異年齢のグループで学ぶという試みがその内容であり、この試みはそれから徐々に、6歳から15歳までの学校、幼稚園、特殊教育へと広がっていきました。

ペーターゼンの取り組みは第二次大戦中を通じて続きましたが、東西ドイツ対立やその後西側に亡命したペーターゼンの早逝などのためにドイツ国内ではその後あまり発展していません。しかし、1950年代にオランダに伝えられ、オランダの新教育運動に関わっていた人達の手で大きく発展、1970年代以後のオランダの教育制度改革に非常に大きな影響を与えています。

オランダにおけるイエナプラン教育は、フレネ教育やその他の国々の異年齢学級の試みなどからの影響もあり、独自の発展を遂げています。

現在、オランダ国内に約220校のイエナプラン小学校(4‐12歳児)があるほか、数校の中等学校もあり、「オランダ・イエナプラン教育協会」を通して関係者の間の交流を深めています。また、ドイツでも、オランダのイエナプラン教育を逆輸入してイエナプラン校を設置する試みが見られるほか、イエナでも、再度ペーターゼンのオリジナルな思想に基づいて、幼稚園から高校までの一貫教育に基づくイエナプラン校再編の試みもあります。

現在、学校数においても、教員間の研修組織の上でも、諸外国の中で最も発達しているオランダ・イエナプラン教育の実践には、以下のような特徴が挙げられます。

1.学級は3学年にわたる異年齢の子どもたちによって構成される。学級は『根幹グループ(ファミリー・グループ)』と呼ばれ、学級担任の教員は「グループ・リーダー」と呼ばれる。

2.学校での活動は、会話・遊び・仕事(学習)・催しという4つの基本活動を循環的に行う。この4つの活動を循環的に行うために、時間割は教科別で作られず、4つの活動のリズミックな交替をもとにして作られる。

3.生と仕事の場としての学校。学校を、子どもと教員と保護者とからなる共同体とみなし、子どもが一日のうちの大半の時間を過ごす場として、リビングルームとしての環境づくりを強調する。

4.学校教育の中核としてのワールドオリエンテーション。子どもの経験世界における、真正な現実に対する『問いかけ』に発する学習。教科別の学習との相互交換的な学びを通して、『学ぶことを学ぶ』ために設けられた総合的な学習の時間。

5.インクルーシブな教育を目指し、生徒集団を、可能な限り生の社会の反映としてとらえ構成するように目指す。この理念に基づき、イエナプラン校は、教育行政が取り組み始めるよりも前から、特別のニーズを持つ障害児や社会経済的背景のためにハンディキャップを持つ子ども達の入学を積極的に受け入れてきた。



ドイツにおける発展 [編集]ペーターゼンは、第2次世界大戦前、イエナ大学の実験校で、6歳から15歳までの子どもを対象にした学校教育、幼稚園、特殊教育でイエナプラン教育を実践した。ナチスの支配期には同校は政治的圧力のもとに置かれつつも閉校されることなく存続し、それが、今日まで、ペーターゼンの政治的立場を批判する論評の原因ともなっている。第2次世界大戦後、ペーターゼンは大学実験校の存続と、再編成を試みるが、イエナが共産圏に置かれ、ペーターゼンは共産主義政府当局に対立し、同実験校も1949年に閉校となった。

その後、ペーターゼン自身は西ドイツに亡命し、1953年に亡くなっている。西ドイツでは、1950年代と60年代にいくつかのイエナプラン校が設置されたが、ペーターゼンの死亡や東西ドイツ対立などのために、ドイツ国内ではあまり大きな発展をしなかった。むしろ、下記に述べるように、オランダでの発展が先行し、現在、ドイツにおけるイエナプラン教育は、再興運動として行われているものと、オランダでの実践に倣って設立されているものとがある。ただし、オランダに比べると学校数は少なく、教育界における影響力も比較的小さい。

オランダにおける発展 [編集]現在、イエナプラン教育が最も盛んなのはオランダである。また、オランダにおけるイエナプラン教育は、ペーターゼンが打ち立てた基礎に基づきつつも、さらに、フレネ教育や欧米各地の無学年生の学校や異年齢学級の実践からの影響も大きい。 オランダに初めてイエナプランを紹介したのは、スース・フロイデンタール・ルッター(Suus Freudenthal-Lutter, 1908‐1986)で、彼女は、当時オランダの新教育運動の母体組織であった「養育・教育刷新研究会(de Werkgemeenschap voor Vernieuwing van Opvoeding en Onderwijs、WVOと略)』の国際交流部門の秘書だった。

スース・フロイデンタールがイエナプラン教育に出会ったのは1950年代であると言われているが、イエナプラン教育がオランダの教育者たちに公的に広く知られるようになるのは、1964年に「イエナプランによる教育刷新」というテーマでWVOの全国総会が行われてからである。この総会には、生前、夫ペーターに協力してイエナプラン教育の発展に努めたエルゼ・ペーターゼンも招かれていた。その後、1969年には『イエナプラン教育財団』が設立され、財団関係者の交流のために、季刊誌「ペドモルフォーゼ」が刊行された(1981年に廃刊)。

オランダで最初のイエナプラン校は1962年に設立されている。以後、オランダ憲法第23条の「教育の自由」により認められた『教育理念の自由』『学校設立の自由』『教育方法の自由』などの好条件に支えられて、イエナプラン教育を採用する学校は順調に普及発展を遂げ、現在では、オランダ国内に約220校のイエナプラン小学校(4‐12歳児)があるほか、数校の中等学校もある。現在は『イエナプラン教育財団』に代わり「オランダ・イエナプラン教育協会」が設置されており、毎年、参加校の教員及びイエナプラン教育の専門家を集めて全国総会を開催するほか、「メンセン―キンデレン」という季刊誌を発行して、イエナプラン教育関係者の間の交流を深めている。

(終わり)
メンテ
シュタイナー学校(ワルドルフ学校) ( No.6 )
日時: 2013/09/21 21:37
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:nG3PlehE

イエナプラン教育と似たようなものに、シュタイナー学校(ワルドルフ学校)があります。


ルドルフ・シュタイナー

 ルドルフ・シュタイナーは1861年にオーストリアの田舎町に生まれ、1925年に亡くなりました。彼はカントを学び、ゲーテの書籍などをまとめたりし、さまざまな思想家、哲学者とも交流して、真理は神秘的直観、体験によってしか得られないという神秘主義の上に立つ、神智学を打ち立てました。

 シュタイナーは、ゲーテの権威であり、劇作家であり、オイリュトミーという運動芸術の発案者であり、哲学、神学、教育、農学、建築学、薬草学、薬学、医学、自然農法、共同体思想など、ありとあらゆる分野の専門家であり、また全部を繋げた人でもあります。この本で取り上げた幼児教育は、その巨大な氷山の一角といえます。

シュタイナー学校(ワルドルフ学校)

 シュタイナーは、人間は7年ごとの周期で大きく発達していくと言います。生まれてから永久歯の生えてくる7歳までが第一段階で、肉体の完成にあらゆるエネルギーを総動員しているときです。思春期の訪れる14歳までが第二段階で、エーテル体という、肉体に生命を注ぎこんでいる力の活躍する時期です。14歳から、人間としてすべての要素が整う21歳までが第三段階です。第二次性徴が訪れると、思考や想像力、判断力が目覚め、アストラル体が活躍を始めます。そして21歳に自我が目覚め、人間として完成します。シュタイナー学校のカリキュラムは、その人間の発達を待ち受けるかたちでつくられています。

 シュタイナー学校は、別名ワルドルフ学校と呼ばれますが、ドイツのシュツッツガルトで、1919年に初めてワルドルフ・アストリアという名前の煙草工場で働く人たちの子どもたちのためにモデル校をつくったところから始まったのがそのいわれです。

 最初の学校ができてから、現在では国境を越えて46ケ国に900以上もの学校ができるまでに発展しました。その他、とくにヨーロッパでは多くの公立校がシュタイナー学校のメソッドを取り入れています。

幼稚園

 幼稚園は年齢タテ割りで、知育をしません。子どもはまだお母さんのお腹の中にいるような気分で生きているので、部屋も子宮の中を思わせる淡いサーモンピンクのペンキで塗り、透きとおったカーテンで直射日光をさえぎり、夢の中のような雰囲気を保ちます。子どもはこの時期は理屈ではなく、模倣から物事を身につけて成長しますから、静かで、優しく、生き生きしたよい人間関係とリズムのある生活とよい環境を与えます。この年齢の子どもの生活半径は家庭にあるので、幼稚園も家庭的な雰囲気をつくって教師はお母さんやお父さんのような雰囲気で子どもに接します。幼稚園では教師は脇役です。

1年生から8年生まで

• オリジナルのカリキュラム
 アメリカのシュタイナー学校では、小学校は1年生から8年生までで、つぎが高校で9年生から12年生までです。小学校は、教師は持ち上がりで、子どもの魂を育てます。この年齢の子どもたちは主に感覚を育てています。

 カリキュラムは、それぞれの教師が、どんな時代にどこでどんな子どもを相手に、また自分が誰であるかによって、発達段階などの基本線を保ちながら、独自のものをつくり上げます。また全教科にそれぞれ横のつながりをもたせると同時に、全体像がつかめて、子どもが今学んでいることや理由が無意識のうちに理解できるように配慮します。

 たとえば七歳の子は幼児からの転換期にいますから、まだおとぎ話の世界に住んでいます。ですから一年生は全教科が物語形式で導入されます。九歳は自分と他人が区別できるようになる年齢です。すると国語では人間のもっとも古い歴史と呼ばれる旧約聖書がテーマになります。手の仕事では自分と他人がぶつかるイメージのクロスステッチが入ってきますし、音楽では和音、輪唱などが出てきます。また全体と部分の例としては、算数の場合、足し算、引き算、割り算、掛け算の四体系全部が最初に物語形式で提示されてから、それぞれの体系に移っていきます。

• メインレッスン形式の授業

 一日の初めは二時間弱、主要科目を集中して勉強します。とくに低学年は、歌をうたったり、詩を唱えたり、ゲームや劇などの芸術体験を通し、肉体の動き、心、頭を総動員してすべてを学び、最後に自分たちでその日に身につけたものを大きなノートに挿絵とともにまとめていき、それが教科書になります。

 教科は国語なら二〜三週間毎日ずっと国語ばかり学びます。つぎに国語は休んで、学んだことが消化するのを待ち、その間に算数に進むという具合です。主要教科のあとは手の仕事、二つの外国語、体育、オイリュトミーという運動芸術などが続きます。

 小学校に入ると子どもの中に記憶力が目覚め、言語を通して物事の意味が理解できるようになっていきますが、まだいろいろな判断力のもとをつくっている段階です。将来きれいなものと汚いものが区別できるように、美しい環境を用意し、人間の生き方を含め、子どもの人生のお手本になるような資料のみ使います。すべての教科を、人間がそれを初めて発見したときからの歴史を経験させることにより、自分の力で現在の発達までを全身で理解できるようにします。点数評価はありません。

 子どもと大人の境目である思春期は、人間の歴史でいえばルネッサンス、革命の時期です。その時期には、それに対応したカリキュラムをもってきます。変動期の歴史を自分がその時代の主人公になったようなかたちで学び、国語は喜劇と悲劇を交互に用意し、子どもの転換期を発散させます。この時期は、幼稚園で家庭が子どもの行動半径だったのが、学校という共同体にまで広がります。八年生まで、教師は生徒の前でしっかりした権威をもちます。

9年生から12年生まで

• 思考、想像力、判断力が目覚める高校時代

 高校になると、子どもにはついに本当の意味での思考力、想像力、判断力が芽生えますから、それからはすべての授業が思考を通して行われます。子どもの行動半径は地域社会にまで伸びます。人類の歴史を人の成長の中に見ると、幼児はまだおとぎ話や神話の時代に生きていますが、小学校で人類の太古の歴史からルネッサンスや革命時代まで行きつき、高校で現代社会までたどりつきます。子どもたちが見るもの、聞くもの、経験するものが血や肉で理解できるよう、さまざまな角度から物事を学びます。

 自分の育った環境と違う世界を経験するよう、障害者学校や施設や貧しい地域の託児所、その他工場などへ学校の教科の一つとして働きにいきます。社会科の授業では、息子は裁判所へ実際殺人事件の裁判をしているところを見に行きました。授業はほとんど考える授業で、討論の結果や研究成果をクラスで口頭で発表してから、挿絵付きのレポートにまとめるというスタイルが多くなります。

 10年生くらいになると、よその国のシュタイナー学校との交換留学が盛んに行われます。私の長男はドイツ、次男はフランスの学校に行きました。アフリカやオーストラリアなどに行く子もいます。そして11年生ごろから大学への進学準備に入ります。この時期の子どもは地域社会に住み、21歳までに現在の世の中に出て行く準備が整います。思春期から子どもの自立心が目覚めてきますから、親や教師はふたたび脇役に回ります。



シュタイナー教育の目的

 学校教育で一番大切な部分は、子どもたちに人間とは何者か、なぜ自分は生きているのか、いったい自分はどこから来て、どこへ行くのか無意識のうちに感じさせることにあります。いわゆる教科は、生きるための手段であり、目的は別のところにあるのです。けれども人智学を教えてはいけないことになっています。

 シュタイナー教育は、全人教育であり、自由への教育ともいわれます。それは自分が好き勝手なことをするのではなく、いつも全体と部分、周りの世界に対する自分の立場を感じ取り、自分で温かい心をもって、正しい思考ができ、判断し、それを実行できるだけのあらゆる意味での基礎をつくることにあります。ですから教師が子どもたちにものを教えているときも、現在の子どもに語りかける部分、それからこれから成長させていく種をまいている部分の両方に気を配ります。教師が子どもに教えられるのは高校の卒業までで、その後はその基礎を経験とともに延ばしていってもらいたいからです。いつも目の前の子どもたちの二〇年後、三〇年後、そして年を取って死ぬまでのことを考慮に入れて基礎をつくっていきます。

 感情、知性、行動力のバランスがとれた自由人を育てることがシュタイナー教育の目的です。



最後に、紹介した教育の方法に共通することは、子供に自主性を理解させるというものです。
但し、これは3段階に分けられていて、幼児期の自主性の開発の為には、それこそ子供の潜在した可能性を導き出す為に、何事も子供に任せるということをするらしいです。
我が国と異なるところは、小学生、中学生の年代になると教師の指導を中心とする様に切り替わってきて、教師はあらゆる社会的な規範を子供にしつけると言います。
その後、子供が自立する時代、要するに高校生の時期から、再び、子供の自主性を尊重し、それぞれが、それぞれにあった生き方を選択するように指導すると言う方法を取っている事です。
そのために、特に小中学校の時代の教師の能力を育てるような事がされていて、新任の教師には、人により様々ですが、1〜3年くらいは先輩の教師が、その教師の指導に当っているという事です。
この点も、学校出たての新任教師が赴任すると、たちまち一人前に扱われ、誰の干渉もなく教育に当っている我が国の環境とでは教師の質に大きな違いがあります。
「自主性教育」と言う言葉だけを追っている我が国の間違いを認識するべきですが、文部科学省、教育委員会、日教組全てが、本当の子供の教育とは、何かを問う姿勢はなく、単に自分たちの立場から教育方針を弄んでいる現状では、誰もが気がつきません。
ましてやペアレントモンスターなどと言うPTAが存在していては、我が国の教育に何の期待も出来ないでしょう。



(終わり)
メンテ
Re: 教育の話し ( No.7 )
日時: 2011/09/18 13:32
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:3R2ku166

さて、元へ戻って、関口博之氏の教育論です。
関口氏は、氏のグログへ行けば御分かりになるように、

http://d.hatena.ne.jp/msehi/
ドイツを参考に、教育、産業、原発行政などの分野で新しい日本の形を求めておられるようです。
そういう意味で敬意を払うとともに、表題の教育論(これだけではありません)について、私からも一言参加させていただきたく思います。

氏の記事の趣旨は、安倍改革によって行なわれた、新自由主義の枠に組み込まむ教育改革の総括とも言うべき教育基本法案に対する批難です。

考えてみれば、もともと教育とは、何であったかということも考えなければならなくなります。
教育と言う概念の発祥は、王権国家の時代の帝王学に端を発していると思います。

ギリシャ時代から君主論などが書かれていました。
その後の教育は、一方で宗教の世界の修業とは別として、国家の官吏を養成する事が主眼となり、中国の科挙の制度などが良い例です。
近代になって、庶民が少しは裕福になると、庶民の生活の為の読み書きソロバンというものを教育するようになりました。
始めての大衆教育であります。

その後、産業革命を経て、国家の覇権争いは、武力だけでなく経済全般の問題となり、国家の富国強兵の為に国民を教育することが必要となりました。
国民皆教育の為に義務教育制度が出来たのは、この頃からです。

帝国主義による国家間の覇権争いが収まると共に、民主主義の社会と言うものが標榜されて、始めて人権や個人の権利の概念が教育の中に盛り込まれてきました。
しかしながら、富国強兵に代わって企業戦争に勝ち抜くための人材確保と言う面が、よりダイナミックに蠢いています。

現代社会は、まさしくこの延長にあり「教育に何を求めるか」と言う概念も醸成されてはいません。
もちろん、教育の過去は過去、これからの教育のあるべき姿を追い求める必要が嫌が上にも増してきていると思います。
新自由主義の枠組みの中の教育は、あいも変わらず富国強兵の延長にあり、格差に悩む庶民の生き様の指標にはなりません。
物資と情報の氾濫による人間性の崩壊にも対応できません。

要するに文明史的な価値観の転換が求められているのです。
それが何であるかの方向性は漠然とは皆が感じ取ってはいると思います。

そういうものを凝縮して新しい教育の理念をつくらねばならないと思います。
同時に、それを、倫理、道徳と言った範疇の精神の領域へ求めてはならないことを認識しておくべきです。
メンテ
Re: 教育の話し ( No.8 )
日時: 2013/09/21 21:21
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:nG3PlehE

久々に、教育問題のスレッドをUPします。

我が国ではペーパーテストで良い成績を取れることが教育と考えられる一方で、誤った平等、自主性の教育が行われています。


「平等と自主性教育の問題点」については下記のURを御参照願います。

http://www.kyudan.com/toukou/amano03.htm

また、下記もどうぞ

「私立高等学校における校則と退学処分に関する考察」

http://www.kyudan.com/toukou/amano02.htm
メンテ
Re: 教育の話し ( No.9 )
日時: 2012/07/09 12:50:23
名前: 北の国から

 この掲示板で私も、選挙の結果は(制度の善し悪しはとりあえず置いといて)そこの住民の
民度、つまり根本的には教育の中身で決まると何回か書かせていただきました。
 たとえば、この天橋立の愚痴人間さんのスレッドのNO.4などでは、教育についてさまざ
まな論点でかなり全面的に論じておられ、勉強させていただいています。
 教育の目標である「自立の精神」「他人の痛みのわかる人間」「困難な人々に配慮できる」
など、きわめて重要ですが、国民的な合意にいたっていません。
 ここでは、政治が当面よくならないだろうというなかで、それでも私たちが身近なところ
からできそうな、教育の改革について考えてみました。(小、中、高くらい)
 まず、教育の現場と地域の共同です。PTAのような学校主導になりやすい活動ではなく、
生徒の親でなくても参加し(場合によっては生徒も参加し)おおいに生徒の活動や、教師の
課外活動を支援し、同時に学校もふくめた地域づくりをすすめていく。モンスターペアレン
ツなども減少します。受験成績だけの教育や、民主主義のはき違えも、みんんなで議論して
乗り越えていく展望が生まれます。教師の悩みや、生徒のこまりごとなども共有できると同
時に、教師が地域にしっかりと根付いた教育ができます。
 教育委員会や校長が馬鹿なことを言ってきたら地域の力で粉砕できます。
メンテ
Re: 教育の話し ( No.10 )
日時: 2012/07/09 13:14:20
名前: 北の国から

 ボクの小学6年のとき(S35)など、一クラス74人でした。それでも先生は、卒業間近に
なった三日間、他の授業をやめて、「二十四の瞳」を朗読して聞かせてくださいました。
 一クラスの人数は少ないほうが生徒にとっても、教師にとってもいいに決まっていますが、そ
れよりなにより「教育の目標」とか「教育の本質」を真剣に考える教師こそが求められていると
思います。
 教師を、どこかの機関が評価したり、進学の状況で学校を評価する愚かさについて、住民と地
域づくりという観点から強力に批判していく、地域の合意をつくりあげます。
 知識ももちろん軽視できませんが、教育現場で、「生徒全員参加の音楽」とか「全員参加の劇」
など、地域と社会全体をみる楽しさ、参加するたのしさ、苦手な科目があろうと「学校って楽し
い場所なんだ」と感じることを生徒にひろげる、そのために優れた文化に接する具体的な機会を
作っていく、これが、二つ目の提案です。
 そして、これも現場への介入ですから、地域から強力に発信するしかありません。
メンテ
Re: 教育の話し ( No.11 )
日時: 2012/07/09 13:33:37
名前: 北の国から

 天橋立の愚痴人間さんが指摘されているように、教師の質は決定的です。
しかし、これは5年10年でどうにか(制度を変える展望もない)なるようなことでは
ないような気がします。
 たとえば、掛け算を習う前に、時計の読み方を教える非科学性。こういうことに専門
の、プロの教師は、断固として批判しているのでしょうか。
 ボクの6年のとき、勉強はあまり好きでなかった女の子が、歌についてはなんでもか
んでも、歌詞もメロヂイも正確に覚えている。先生はその生徒の出番を、ことあるごと
につくってあげていました。

 医者という職業もそうですが、教師という職業も「教師という職業が好き」「子ども
が好き」で教員の道を選択する生徒は減っているらしいのです。
生徒にとっては悲惨なことです。
メンテ
Re: 教育の話し ( No.12 )
日時: 2012/07/09 13:46:15
名前: 北の国から

 誤解を恐れずにあえて言うと、たとえば熊本県民の方たちよりも、京都に住んで
おられる方のほうが、一般には民度が高いと言われていますし、そうしたことを裏
付ける客観的事実は少なくありません。
 それは、京都府の教育の実践が優れているということではなく、たぶん長い歴史
の実践によって培われてきた「地域力」ではないかと思っています。
 (たまには、少しおかしい「政調会長」なども当選してきますが)
メンテ
Re: 教育の話し ( No.13 )
日時: 2012/07/09 13:58:00
名前: 北の国から

 この辺りのことはあまり勉強していないので断定的なことは言えないのですが、
徳川300年のなかで、京都のひとびとは「都」の誇りと「反中央」の伝統をう
けついでこられたのではないでしょうか。
 「開発予算どりのもらい上手」の北海道と言われていますが、私の経験でいえ
ば、北海道では、サラリーマンよりも、農漁民のほうが地域的誇りと気骨を持っ
ていると思います。
 教育の地域共同は、富良野の高校で実践がつづけられており、少しづつではあ
りますが、実績もあげています。
メンテ
Re: 教育の話し ( No.14 )
日時: 2013/09/21 21:39
名前: 天橋立の愚痴人間 ID:nG3PlehE

このスレッドも大切にしていますが、随分と放置していましたので、過去ログに入りかねません。

それで久しぶりにUPし、皆さんの目に触れるようにしました。

政治のことは、この通りなので、意見を言う気にもなれない方は、せめて教育論にでも花を咲かせて下さい。
メンテ

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